第64話 秘めた想い
アレンたちと別れたヴィオレットは、侍女とともにローラン侯爵邸への帰路についていた。
夕暮れだった空は、少しずつ夜の色へ変わり始めている。
行き交う人の数も減り、商店では店じまいを始める姿が見られた。
「お嬢様。」
隣を歩いていた侍女が、ヴィオレットを見る。
「先ほどから、何かお考えですか?」
ヴィオレットは僅かに目を瞬かせた。
「顔に出ていましたか?」
「少しだけ。」
「それは困りましたね。少し、考え事をしていただけです。」
小さく笑うヴィオレットに、侍女はそれ以上尋ねなかった。
◇ ◇ ◇
ローラン侯爵邸へ戻ると、ヴィオレットは侍女を下がらせ、一人で自室へ入った。
窓を開けると、涼しい夜風が流れ込み、紫色の髪を僅かに揺らす。
窓の向こうには、王都の灯りがひとつ、またひとつと増えていた。
「……。」
ヴィオレットは窓辺に立ったまま、今日見たものを一つずつ思い返した。
転んだ少年へ、誰よりも早く駆け寄ったアレン。
革手袋を外した手。
指の付け根に残された、剣を握り続けた者の痕跡。
そして、金色の髪の隙間から覗いた耳の後ろの小さな黒子。
どちらも、ヴィオレットには見覚えがあった。
黒髪の旅人、アン。
そして、深いワインレッドのドレスを纏い、夜会へ現れたレイ・ヴァルティエ。
アンとレイが同一人物であることは、すでに分かっている。
同じ位置にある黒子。
剣を扱う者の手。
それだけではない。
姿を変えても、完全には消せないものがある。
立ち方。
物を見る時の視線。
相手へ意識を向ける時の、僅かな間。
アンとレイには、いくつもの共通点があった。
だから、二人が同じ人物だということには、もう疑いがない。
そして今日。
そこへ、もう一人が重なった。
アレン・ヴァルティエ。
「……そうでしたか。」
静かな部屋へ、小さな声が落ちる。
ヴィオレットの口元に、自然と笑みが浮かんだ。
「アレン卿だったのですね。」
王都の喫茶店で出会ったアン。
木札について調べ、尾行されてもなお、一人で真相を追おうとしていた人。
夜会で出会ったレイ。
華やかに笑いながら、相手へ警戒させることなく自然と情報を引き出していた令嬢。
そして、若き領主。
アレン・ヴァルティエ。
三人ではなかった。
すべて、一人の人間だった。
「……。」
ならば、もう一つ考えなければならないことがある。
アンもレイも、ヴィオレットの目には、女性であることに何の不自然さもなかった。
服装や化粧だけではない。
立ち居振る舞いも、声も、女性の姿でいることそのものが自然だった。
少なくともヴィオレットが接した限りでは、無理に女性を演じているようには見えなかった。
そして、その二人がアレンと同じ人物なのだとすれば。
「……アレン卿は。」
言葉を途中で止める。
女性なのではないか。
その答えは、もうヴィオレットの中ではほとんど形になっていた。
けれど、本人から聞いたわけではない。
確かめたわけでもない。
ならば、それ以上踏み込む必要はなかった。
この国では、女性が領主となることは認められていない。
もし自分の考えが正しいのなら、これは単なる個人の秘密ではない。
知られれば、アレンは今の地位さえ失いかねない。
なぜ男として生きているのか。
なぜ、そこまでして領主であり続けているのか。
情報屋として調べようと思えば、方法はいくらでもある。
出生の記録。
ヴァルティエ家に古くから仕える者。
アレンの両親が生きていた頃の記録。
辿れば、答えへ行き着くかもしれない。
けれど。
「……ここから先は、私が調べることではありませんね。」
ヴィオレットは静かに呟いた。
アレンが何を背負い、どうして男として生きることになったのか。
それは本人が話したいと思った時に、本人の口から聞けばいい。
情報屋だからといって、知ることができるからといって、何もかも暴いていいわけではない。
まして、依頼されたことでもなかった。
ヴィオレットは窓の外へ視線を向ける。
アレンから依頼されたのは、十五年前の事故について。
両親が亡くなった真相を調べること。
依頼人が男であろうと、女であろうと、それで仕事が変わることはない。
「……。」
そこで、ヴィオレットはふと気付いた。
自分が僅かに笑っている。
「……変ですね。」
指先で、そっと口元へ触れた。
依頼人の秘密へ辿り着くことなど、今までにもあった。
情報を扱っていれば、本人が知られたくないものを目にすることもある。
その度に、必要な情報か、不要な情報か、それだけで判断してきた。
今回も同じはずだった。
アレンが何者であろうと、十五年前の事件を調べるうえで必要がないのなら、誰かへ話す必要はない。
父にも、ローラン家の者たちにも、報告するつもりはなかった。
依頼には関係のない、アレン個人の秘密なのだから。
それだけ。
――そのはずなのに。
「……私は、知ってしまったのですね。」
ぽつりと呟く。
なぜだろう。
その言葉が、思っていたよりも少しだけ特別なものに聞こえた。
知らないふりをしていればいい。
本人が隠しているのなら、それを守ればいい。
そう決めただけなのに。
なぜ、この秘密を知ったことが、ほんの少し嬉しいのだろう。
「……困りましたね。」
答えは出なかった。
ただ、不思議だった。
アレンが女性かもしれないということよりも、これまで別々だと思っていた姿が、すべて一人へ重なったことの方がずっと心に残っている。
アンとして見せた真っ直ぐな眼差しも。
レイとして見せた華やかな笑顔も。
領主として見せる穏やかな表情も。
すべて、アレンという一人の人間の中にある。
そう思うと。
もっと知りたい。
そんな気持ちが、自然と浮かんでしまう。
けれど、秘密を暴いて知りたいわけではない。
いつかアレン自身が話してくれるのなら、その時に聞いてみたい。
「アレン卿……。」
名前を口にすると、胸の奥へほんの僅かな温かさが広がった。
ヴィオレットは自分の胸元へ手を添える。
けれど、それ以上は考えなかった。
今はまだ、この感情に名前を付ける必要はない。
窓の外では、夜風が木々を静かに揺らしていた。
ヴィオレットはしばらく王都の灯りを眺める。
やがて、その表情から柔らかな笑みが消えた。
「十五年前の真実も、必ず見つけます。」
紫の瞳が、情報屋のものへ戻る。
アレンから依頼されたから。
それだけだったはずなのに。
いつの間にか、アレンのために、真実を見つけたいと思っている。
その想いが、どこへ向かい始めているのか。
ヴィオレットはまだ、知らなかった。




