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第60話 事故報告書


 机の上には、読み終えた都市整備計画書が積み重なっていた。


 アレンは最後の一冊を閉じ、小さく息を吐く。


「十五年前に方針が変わったことまでは分かったけど……誰が決めたのかは分からなかったね。」


「はい。十六年前までは整備を検討する区域に含まれていました。それが十五年前に、『物流機能への影響』を理由に整備対象から外されています。」


 リリアは年代順に並べた資料へ視線を落とした。


「翌年からは前年度の判断が踏襲され、やがて理由そのものも記されなくなっています。」


「最初の判断まで辿らないと駄目か。」


 アレンも十五年前の計画書を見る。


 誰が何を根拠に、東倉庫地区を整備対象から外したのか。


 今ある資料だけでは、そこまでは分からない。


「計画が作られた経緯については、別の記録を探す必要がありそうですね。」


「そうだね。」


 アレンは積み上げられた資料を見つめた。


 十五年前、東倉庫地区を巡って、何かが変わった。


 それが事件と関係しているのか、単なる行政上の判断だったのか、まだ決めつけることはできない。


「……。」


 ふと、先ほど読んだ資料の内容が頭をよぎる。


「リリア。」


「はい。」


「さっきの道路拡幅の記録なんだけど。工事の後に、馬車の往来がどう変わったかまで残ってたよね。」


「はい。」


「事故については、どうだったんだろう。」


 リリアが僅かに首を傾げる。


「事故、ですか?」


「道を広げたことで事故が減ったのか。それとも、往来が増えて逆に増えたのか。」


 アレンは机の上の資料へ視線を落とす。


「領地で街道を整備するなら、その辺りも知っておきたい。」


「なるほど。」


「街道事故の記録って、残ってるかな。」


「確認してみましょう。」


 二人は文官を呼んだ。


「すみません。過去の街道事故に関する記録も拝見できますか?」


「ございます。どの年代をご希望でしょう。」


「できれば、ここ二十年ほどを。道路整備の前後で事故の件数や原因に変化があったのか、領地の参考にしたいんです。」


「承知いたしました。」


 文官は一礼する。


 しばらくして、数冊の帳簿を抱えて戻ってきた。


「こちらになります。街道上で発生した事故について、年代ごとにまとめられております。」


「ありがとうございます。」


 再び。


 紙をめくる音だけが部屋へ響き始めた。


 橋の崩落。


 荷馬車同士の衝突。


 馬の暴走。


 崖崩れによる通行人の負傷。


 街道上で起きた事故について。


 発生した日時。


 場所。


 被害状況。


 原因。


 その後の対応。


 簡潔ではあるが、必要な情報は整理されていた。


「こっちは雨天時の事故が多いですね。」


「坂が急だからかな。」


「後年に排水路が追加されています。」


「……なるほど。」


 アレンは頁をめくる。


「こういうの、本当に参考になるね。」


「本来の目的にも使えそうです。」


「うん。」


 事故記録と、その後に行われた街道整備。


 並べて見れば、何故その場所へ手が入れられたのかも分かる。


 アレンは一件ずつ目を通していった。


 そして、十五年前。


「……。」


 指が止まった。


 見慣れた家名が、そこにあった。


『ヴァルティエ領主夫妻 馬車転落事故』


「……アレン様。」


「うん。」


 リリアも気付いたようだった。


 アレンは何も言わず、その記録を読み進める。


 街道脇の斜面から馬車が転落。


 乗車していたヴァルティエ夫妻は死亡。


 御者一名も死亡。


 馬車は斜面下で発見。


「……。」


 そこまでは、幼い頃から聞かされてきた話と変わらない。


 事故だった。


 父と母は帰らなかった。


 その程度しか、アレンは知らなかった。


 けれど、次の一文で、目が止まる。


『御者は事故現場より離れた街道上にて発見。救助を求めるため現場を離れたものと判断する』


「……。」


 アレンは、もう一度、同じところを読む。


『救助を求めるため現場を離れたものと判断する』


「リリア。」


「はい。」


「これ。」


 アレンは一文を指差した。


「御者は、馬車と一緒に見つかったわけじゃないんだね。」


「……はい。」


「街道上で見つかってる。」


 リリアが隣から帳簿を覗き込む。


 アレンの視線は、一文から動かない。


「どうして。」


「アレン様?」


「どうして、救助を求めていたって分かったんだろう。」


 リリアの表情が僅かに変わった。


「御者も死亡している。」


「うん。」


「でしたら、本人から確認することはできません。」


「誰かが見てたのかな。」


 アレンは続きを確認する。


 目撃者。


 発見者。


 救助に当たった者。


 証言。


 それらしい記述を探す。


 だが。


「……ない。」


 御者が助けを求めていたと証言した者の名前も、誰かへ声を掛けたという記録も、救援を求めていたと判断できる根拠も、何一つ記されていない。


 ただ。


『救助を求めるため現場を離れたものと判断する』


 その結論だけが残されている。


「他の報告も見てみよう。」


「はい。」


 リリアが近い年代の帳簿を何冊か机へ並べた。


 二人で事故記録を確認していく。


『生存した御者の証言によれば――』


『通行人二名の証言から――』


『現場に残された轍の状況から――』


『馬具の破損状態から――』


 簡潔な記録だった。


 だが事故原因や、関係者の行動を推定している箇所には、何を根拠にそう判断したのか、それが記されている。


「……これだけ違う。」


 アレンが呟いた。


 リリアも、ヴァルティエ夫妻の事故記録へ視線を戻す。


「御者が事故現場から離れた街道上で発見された。それ自体は、記録に残っている事実です。」


「うん。」


 アレンは頷いた。


「でも、『救助を求めるため』は事実じゃない。」


「……。」


「少なくとも、この記録からは事実だと確認できない。」


 アレンの指先が、その一文の上で止まる。


「誰かが付けた意味だ。」


 リリアの表情が僅かに強張った。


「もし、この一文がなかったら?」


「……御者だけが、事故現場から離れた場所で亡くなっていたことになります。」


「そう。」


 事故を起こした馬車。


 斜面下で死亡していた両親。


 そして一人だけ、事故現場から離れた街道上で発見された御者。


 それだけなら、疑問が残る。


 何故、御者だけがそこにいたのか。


 事故の後も生きていて、自力でそこまで移動したのか。


 何のために、どこへ向かおうとしていたのか。


 けれど。


『救助を求めるため』


 その一文があれば、疑問には、もっともらしい答えが与えられる。


「……綺麗すぎる。」


 アレンが呟いた。


 リリアが顔を上げる。


「もちろん、本当に助けを呼びに行こうとしたのかもしれない。」


「はい。」


「その可能性はある。だから、この記録が間違ってるとは言えない。」


 思い込みで、答えを作ってはいけない。


 それは、ここまで調査を続ける中で、何度も自分へ言い聞かせてきたことだった。


「でも。」


 アレンは報告書から目を離さない。


「根拠が残ってないなら、確かめたい。」


「誰が、この報告書を作成したのか。」


「それも。それから、事故を調べた部署と、最終的に事故だと判断した人。」


「承知しました。」


 アレンは帳簿を閉じなかった。


 もう一度、最初から読み返す。


 事故が起きた場所。


 発見された馬車。


 両親。


 御者。


 そして根拠の残されていない、たった一つの推定。


「……。」


 ふと、机の端に積まれた都市整備計画書が目に入った。


 十五年前、東倉庫地区では、それまで整備を検討されていた方針が変わった。


 そして、同じ十五年前。


 両親の事故記録には、根拠の分からない推定が残されている。


 同じ年、それだけだ。


 今はまだ、二つを結びつけるものは何もない。


 だから、アレンは線を引かなかった。


「まずは、一つずつだ。」


「はい。」


 十五年前、東倉庫地区を整備対象から外した者。


 そしてヴァルティエ夫妻の死を調べ、事故と結論付けた者。


 それぞれを辿った先に、何があるのか。


 今はまだ、誰にも分からなかった。


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