第59話 積み重なる記録
翌朝。
アレンとリリアは、再び王城を訪れた。
昨日応対した文官が二人を見ると、穏やかな笑みを浮かべる。
「ヴァルティエ卿、お待たせいたしました。ご依頼の資料をご用意しております。」
「ありがとうございます。」
案内されたのは、行政文書を閲覧するための一室だった。
中央には、大きな机。
その上には、年代ごとに分けられた分厚い資料が、いくつも積まれている。
「こちらが、過去二十年分の都市整備計画書と事業報告書です。年代順に並べておりますので、ご自由にご覧ください。」
「助かります。」
「何かございましたら、お呼びください。」
文官が一礼し、部屋を出ていく。
扉が閉まると、アレンは改めて、机の上を見渡した。
「……思った以上の量だね。」
「二十年分ですから。手分けしましょう。」
「うん。」
二人は年代を分け、それぞれ資料を開いた。
王都西地区。
街道の拡幅。
南地区。
排水路の改修。
中央区。
広場の拡張と周辺道路の整備。
住宅区画では、石畳の舗装や街灯の設置まで記録されている。
「細かいな……。」
アレンは頁をめくりながら呟いた。
計画だけではない。
実際に工事が行われたのか、予定から変更された箇所はあるのか。
変更されたのであれば、その理由は何か。
翌年以降に追加の整備が必要と判断された場所まで記録されている。
「こういう記録は、領地でも参考になりそうだ。」
「本来の目的にも役立ちそうですね。」
「うん。道路を広げた後に、馬車の往来がどう変わったかまで残ってる。これは持ち帰って参考にしたいな。」
アレンは興味深そうに資料を読み進める。
東倉庫地区だけを探しているように見せないため。
それだけではない。
領主として使えるものがあるのなら、本当に学んで帰るつもりだった。
やがて紙をめくる音だけが、静かな部屋へ規則正しく響き始めた。
昼が近くなった頃。
「……。」
アレンの指が止まった。
十五年前、大規模な都市整備が行われた年の計画書だった。
いくつもの地区名が並ぶ中、一つの記述が目に留まる。
――東倉庫地区。
『物流機能への影響を考慮し、当期整備対象より除外とする』
「……物流機能への影響。」
アレンは小さく呟いた。
倉庫街なのだから、大規模な工事によって、荷の流れが滞ることを避ける。
理由としては理解できる。
むしろ、これだけを見れば、何もおかしくはなかった。
アレンはその頁に目印を挟むと、次の年の資料を手に取った。
街道の補修。
水路の改修。
新たな区画整備。
前年とは違う事業が並んでいる。
その中から東倉庫地区を探す。
『前年度方針を踏襲し、当期も整備対象外とする』
「……。」
アレンの目が僅かに細くなった。
さらに翌年。
『現状維持』
その次。
『整備優先度低』
そしてまた翌年。
『現状維持』
「リリア。」
「はい?」
「ちょっと見て。」
リリアが席を立ち、アレンの隣へ来る。
アレンは何冊かの資料を年代順に並べた。
「十五年前。」
最初の一冊を指す。
『物流機能への影響を考慮し、当期整備対象より除外』
「十四年前。」
『前年度方針を踏襲し、当期も整備対象外とする』
「十三年前。」
『現状維持』
「十二年前。」
『整備優先度低』
「十一年前。」
『現状維持』
リリアが順番に目を通していく。
「……理由が、なくなっていますね。」
「うん。」
最初の年には、物流機能への影響という理由が記されている。
翌年には、前年度の方針を踏襲しただけ。
さらに年月が経つと、理由らしい理由すら書かれなくなっていた。
記述の仕方は変わっている。
それでも結論だけは変わらない。
「現状維持……。」
アレンが呟く。
十五年間、王都では何度も都市整備が行われている。
道路は広がり、水路は改修され、新たな街灯が設置され、区画そのものが変わった場所もある。
それなのに、東倉庫地区だけは、変わらない。
「十五年前に物流への影響を考えて工事をしなかった。それは分かる。」
「はい。」
「でも、その理由が十五年後まで有効だったのかな。」
アレンは資料へ視線を落とす。
「物流を止められないなら、時期をずらせばいい。区画ごとに工事をする方法だってある。他の地区では実際にそうしてる。」
「にもかかわらず、東倉庫地区では大きな整備が行われていない。」
「うん。」
偶然なのか、何か理由があるのか、まだ分からない。
アレンは十五年前の計画書を見つめた。
「……その前は?」
「その前?」
「十五年前に初めて対象外になったのか、それより前からなのか。」
リリアも意図を理解した。
「確認してみましょう。」
二人は資料を遡った。
十六年前。
十七年前。
十八年前。
王都各地の整備計画を追いながら、東倉庫地区に関する記録を探す。
そして。
「……あった。」
アレンが一冊の資料を引き寄せる。
十六年前、東倉庫地区について。
翌年以降に整備を検討する区域の一つとして記載されていた。
『次期整備計画において、道路及び排水設備の改修を検討』
「整備の候補には入ってたんだ。」
リリアも頁を覗き込む。
「翌年度の検討対象として、明記されていますね。」
「それが翌年には――」
アレンは二冊を並べた。
十六年前。
『次期整備計画において、道路及び排水設備の改修を検討』
十五年前。
『物流機能への影響を考慮し、当期整備対象より除外とする』
「ここで変わってる。」
「はい。」
アレンは二つの記録を見比べた。
整備を検討していた区画が、翌年、整備対象から外された。
そして、その判断だけが、形を変えながら、十五年間引き継がれている。
「……誰が決めたんだろう。」
アレンの指先が、十五年前の記述の上で止まる。
物流への影響を理由に、東倉庫地区を整備対象から外した人物。
あるいは、その判断に至った部署。
「計画を作った部署だけじゃない。」
アレンは考えながら口にする。
「前年には検討対象だったものが外されたなら、その経緯がどこかに残ってるかもしれない。」
「承認した者もいるはずです。」
「うん。」
けれど今ここにあるのは、都市整備計画書と事業報告書だけ。
計画がどのような経緯で作られ、誰が何を提案し、誰が最終的に承認したのか、そこまでは分からない。
だからといって、今すぐ、その記録だけを求めるつもりもなかった。
「今日は、まず二十年分を最後まで見よう。」
「はい。」
「東倉庫だけに気を取られたくない。他にも似たような変更があるかもしれないから。」
もし、同じように整備対象から外された地区がいくつもあるのなら、東倉庫地区だけが特別だったとは言えない。
逆に、他の地区では再検討されているのに、東倉庫地区だけが十五年間放置されているのなら、その違和感は、もう少し大きくなる。
「まずは比べないとね。」
「ええ。」
思い込みは真実から目を逸らさせる。
だから見つけた違和感だけを覚えておく。
まだ答えにはしない。
二人は再び資料へ向き直った。
一年、また一年。
積み重ねられた記録を辿っていく。
王都は変わり続けていた。
道路が変わり、水路が変わり、人の流れさえ変わっている。
その中で東倉庫地区だけが、十五年前に下された一つの判断を境に、まるで時間から取り残されたかのように、同じ場所に残り続けていた。




