第57話 準備
王都を囲む城壁が姿を現した。
高く積み上げられた石壁。
その向こうには、いくつもの尖塔が空へ伸びている。
アレンは馬車の窓からその景色を眺め、小さく息を吐いた。
「また来たね。」
「貴族会議以来ですね。」
向かいに座るリリアが答える。
「今回は、少し長くなりそうかな。」
「資料次第でしょうか。」
「そうだね。」
王城に十五年前の記録が残っていたとしても、すぐに目的のものへ辿り着けるとは限らない。
そもそも、どれだけ残されているのかさえ分からなかった。
やがて、馬車は城門へ続く列へ並ぶ。
順番が回ってくると、衛兵がヴァルティエ家の紋章を確認した。
「ヴァルティエ卿。ようこそ王都へ。」
「ご苦労様。」
衛兵が一礼する。
馬車はそのまま城門をくぐった。
途端に、街の喧騒が耳へ飛び込んでくる。
客を呼び込む商人の声、石畳を鳴らす馬車の車輪、道端では、子どもたちが笑いながら駆け回っている。
「相変わらず賑やかだ。」
アレンが窓の外を眺める。
領都とは、人の数も、行き交う荷の量も違う。
そして、馬車が大通りを進むにつれ、こちらへ向けられる視線も増えていった。
「ヴァルティエ家の馬車だ。」
「アレン卿が?」
そんな声が時折、窓の向こうから聞こえてくる。
アレンは苦笑した。
「もう気付かれた。」
「これだけ目立つ紋章を掲げておりますから。」
「それもそうか。」
今回は、隠すつもりなどない。
アレン・ヴァルティエとして、正面から王都へ来ている。
王城へ向かうことも、都市整備について調べることも、領主として、何ら不自然な行動ではなかった。
「僕が来たことも、すぐ広まるだろうね。」
「おそらくは。」
「それでいい。」
アレンは窓の外へ視線を戻す。
誰かが、自分の動向を気にしているのなら、隠れて動く必要はない。
領地の整備について調べるため、王城へ行く。
それだけだ。
◇ ◇ ◇
夕刻。
馬車は貴族が多く利用する宿へ到着した。
「ヴァルティエ卿。お待ちしておりました。」
支配人に出迎えられ、アレンたちは部屋へ案内された。
長旅の荷を解き、一息ついた頃、リリアが一枚の書類を持って、アレンの部屋を訪れた。
「明日の予定を確認してもよろしいですか?」
「もちろん。」
机を挟み、二人で向かい合う。
「まず、王城で都市整備に関する資料の閲覧を申請します。」
「理由は、ヴァルティエ領の今後の整備計画の参考にするため。」
「はい。」
「最初から、十五年前や東倉庫街については聞かない。」
「その方がよろしいでしょう。」
アレンは頷く。
目的は、あくまで領地整備の参考となる事例を調べること。
そのために、王都で過去に行われた都市整備について確認する。
その中で、十五年前の記録も見る。
「過去二十年分くらいは確認したいな。」
「計画書と事業報告書ですね。」
「うん。十五年前だけ見たら、さすがに不自然だから。」
「では、そのように申請いたします。」
「お願い。」
アレンは指先で机を軽く叩いた。
「それ以外の資料は?」
「今の段階では求めない方がよろしいかと。」
「僕もそう思う。」
一度に多くを求めれば、何か特別な目的があるのではないかと、余計な疑問を持たれるかもしれない。
まずは都市整備の記録を見る。
計画されていた内容と実際に行われた工事、その二つを比べる。
「そこで東倉庫街がどう扱われていたのかを確認する。」
「はい。」
「何か不自然なものがあったら、その時に次を考えよう。」
「承知しました。」
リリアが書類を閉じる。
これで明日の予定は決まった。
「それと。」
「まだある?」
「王城内でも、お一人では行動なさらないでください。」
「……王城の中でも?」
「王城の中でも、です。」
アレンは少しだけ眉を下げた。
「分かったよ。」
「本当に?」
「アンにもならない。勝手に抜け出さない。一人でも動かない。」
「よく覚えていらっしゃいますね。」
「昨日言われたばっかりだからね。」
リリアの口元が僅かに緩む。
「それでしたら結構です。」
「僕だって、ちゃんと学習するんだから。」
「存じております。」
「……絶対思ってないでしょ。」
「そのようなことは。」
何食わぬ顔で返され、アレンは小さく息を吐いた。
すると、リリアの表情が少しだけ真剣なものへ変わる。
「レオンハルト公爵とお会いした場合は?」
アレンの表情からも、笑みが消えた。
「いつも通り。」
答えに迷いはなかった。
「こちらから探ることもしない。左腕のことも聞かない。」
「承知しました。」
「まだ何も分かってないからね。」
先日の貴族会議で、レオンハルトが左腕を気にしていた。
それは事実だ。
だが、何故なのかは分からない。
屋敷を襲撃した者との繋がりを示す証拠もない。
今の段階で、疑いだけを根拠に動けば、自分の方から余計なものを見せることになる。
「今は、十五年前の記録を見ることだけ考えよう。」
「はい。」
明日、王城に何が残されているのか、それを確かめる。
◇ ◇ ◇
リリアが部屋を出た後、アレンは一人、窓辺へ歩いた。
夕暮れの王都、幾重にも重なる屋根の向こうに、王城が見える。
「……。」
十五年前。
父と母が亡くなった頃、その時代の王都を記した書類が、あの城のどこかに残されている。
けれどそこに答えがあるとは限らない。
東倉庫街が整備されなかったことにも、事件とは何の関係もない理由があるかもしれない。
予算が足りなかった。
工事の優先順位が変わった。
倉庫街という性質上、後回しにされただけかもしれない。
「まずは、事実からだ。」
アレンは、もう一度だけ王城を見つめ、窓から離れた。
◇ ◇ ◇
同じ頃。
王都の一角。
「ヴァルティエ卿が王都へ入られました。」
短い報告を受け、一人の男が顔を上げた。
左頬には、古い刀傷が走っている。
「目的は。」
「まだ分かりません。」
「供は?」
「使用人と護衛が数名。普段より護衛は多いようです。」
「……そうか。」
男は僅かに目を細めた。
「王城へ向かう予定があるようです。」
「いつだ。」
「明朝。」
「用件は。」
「そこまでは。」
「……。」
男はしばらく黙った。
ヴァルティエ家の紋章を掲げ、正面から王都へ入った。
姿を隠す様子もない。
王城へ行くことさえ、隠そうとしていない。
それだけを見れば、何も不自然なところはない。
「分かり次第、報告しろ。」
「はっ。」
「ただし、近づくな。遠目に動きを見るだけでいい。」
「承知しました。」
男が一礼し、その場を離れていく。
「……アレン・ヴァルティエ。」
刀傷の男が、小さくその名を口にする。
東倉庫街を監視している者たち。
そして、この時期に王都へ現れたアレン。
繋がっているのか、偶然なのか、まだ判断する材料はない。
ヴァルティエ家の馬車が王都へ入った。
それだけなら、珍しいことではない。
けれど、東倉庫街を探る何者かが現れた直後となれば、ただの偶然として見過ごすには、少しだけ、出来すぎていた。




