↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/82

第51話 見返す影


 王都。


 ラミレス公爵邸。


 午後の陽射しが差し込む執務室で、レオンハルトは、机に積まれた書類へ静かに目を通していた。


 コンコン。


 規則正しいノックが響く。


「入れ。」


 扉が開いた。


 姿を現したのは、一人の男だった。


 四十代ほどで、帽子は手に持っている。


 露わになった左頬には、古い刀傷が一本、走っていた。


 男は扉を閉め、室内に他の者がいないことを確認してから、レオンハルトの前で一礼した。


「ご報告がございます。」


「話せ。」


「オルブライト商会を出た後、尾けられました。」


 レオンハルトのペン先が止まった。


「……何?」


「途中で撒きましたが、偶然ではないかと。」


 ゆっくりと、レオンハルトが顔を上げる。


「一人か。」


「いえ。」


「どういう意味だ。」


「途中で人間が変わりました。」


「……。」


「距離の取り方も一定ではありません。長く同じ者が追うこともなかった。」


 レオンハルトの目が僅かに細められる。


「尾行を引き継いでいた、と。」


「おそらくは。」


「素人ではないな。」


「はい。」


 男は淡々と答える。


「それで、周囲を確認しました。」


「何か分かったか。」


「東倉庫街でも、気になる者を確認しております。」


「……東倉庫でも?」


「はい。」


 男は一枚の紙を取り出した。


 東倉庫周辺の簡単な見取り図だった。


「以前から商人でも荷運びでもない者が、何度か周辺に姿を見せています。」


「同じ者か?」


「いいえ。日によって違います。」


「ならば偶然ではないのか。」


「その可能性もございます。ただ。」


 男の指が、地図の上をなぞる。


「長時間同じ場所には留まりません。倉庫へ出入りする荷より、人間を見ているように思えます。」


「……。」


「昨日までなら気にも留めなかったでしょう。」


 だが、自分が尾けられた。


 そう考えれば、今まで気にも留めていなかった人影の意味が変わってくる。


「オルブライト商会だけではなく。」


 男が続ける。


「東倉庫も、見られている可能性があります。」


 短い沈黙が落ちた。


 レオンハルトは、ゆっくりとペンを置いた。


「誰だ。」


「まだ分かりません。」


「ヴァルティエか?」


「確認できておりません。」


「……。」


 レオンハルトの指先が、一定の間隔で机を叩く。


 アレン・ヴァルティエ。


 真っ先に浮かぶのはやはり、その名だった。


 だが、先日の貴族会議では、こちらが腕の具合を尋ねても、何ら不自然な反応はなかった。


 屋敷への襲撃についても、王家へ訴え出てはいない。


 表立って調べている様子もない。


 だからといって、裏で何もしていないとは限らない。


「オルブライトには?」


「知らせておりません。」


「……何故だ。」


「監視されていると知れば、余計な動きをする可能性があります。」


 レオンハルトの指が止まった。


 やがて、口元へ僅かな笑みが浮かぶ。


「それでいい。知らせるな。」


「はい。」


 オルブライト商会は使える。


 だからこそ、必要以上のことを知らせる必要はない。


 監視されていると知れば、怯えるかもしれない。


 荷を止めるかもしれない。


 あるいは、勝手な判断で逃げ出す可能性すらある。


 それでは困る。


「荷の動きも変えるな。」


「東倉庫もですか?」


「今まで通りだ。」


「ですが、既に見られている可能性がございます。」


「だからこそだ。」


 レオンハルトは静かに男を見る。


「ここで動きを変えれば、こちらが監視に気づいたと教えることになる。何も知らぬふりをして動かせ。」


「承知いたしました。」


「お前は荷には触れるな。」


 男が顔を上げた。


「見るべきは、こちらを見ている者だ。」


「……はい。」


「名前まではいらん。」


 レオンハルトの声が、僅かに低くなる。


「誰の手の者か。それだけ突き止めろ。」


「かしこまりました。」


「それと。気づかれたと思えば追うな。相手の正体も分からぬうちから、こちらの存在まで教えてやる必要はない。」


「承知しました。」


 男は深く一礼し、静かに退室した。


 それから、程なくして、再びノックが響いた。


「失礼いたします。」


 今度は、側近が入室する。


「もう一件、ご報告がございます。」


「何だ。」


「レイ・ヴァルティエ嬢についてです。」


 レオンハルトが視線だけを向ける。


「その後も調べさせましたが、不審な点は確認できませんでした。夜会の後は領地へ戻っており、再び王都へ入った形跡もございません。」


「身元は?」


「改めて確認いたしました。ヴァルティエ家の遠縁で間違いございません。」


「そうか。」


「領地での評判にも問題はなく、特筆すべき交友関係も見当たりません。」


「……。」


 レオンハルトの脳裏に、先日の夜会で見た女の姿が浮かぶ。


 深いワインレッドのドレス。


 目立とうとはしない。


 自ら多くを語ることもない。


 それなのに気づけば、話している相手の方が口を開いている。


「惜しいな。」


「公爵様?」


「いや。」


 レオンハルトは僅かに笑った。


「夜会で見た限りでは、なかなか使い道のある娘だと思っただけだ。」


 人の警戒を解き、自然に懐へ入り込む。


 使い方次第では、情報を引き出す駒にもなる。


 あるいは、ヴァルティエ家へ入り込むための道にも。


「今後も調査を?」


「深入りはするな。今は東倉庫の方が優先だ。」


「承知いたしました。」


「ただし。」


 側近が顔を上げる。


「レイ・ヴァルティエに動きがあれば報告しろ。特に、本家との接触は見逃すな。」


「はい。」


 側近も一礼し、部屋を後にした。


 再び、執務室に静寂が戻る。


 レオンハルトは椅子から立ち上がった。


 窓辺へ歩み寄り、眼下に広がる王都を見下ろす。


 十五年。


 誰にも悟られることなく、必要なものだけを残し、不要な痕跡は消してきた。


 それなのに、今、その中へ、誰かが手を伸ばし始めている。


「……誰だ。」


 アレン・ヴァルティエ。


 やはり、最初に浮かぶのは、その名だった。


 だが証拠はない。


 まして、今回見つかった者たちは、複数人で尾行を引き継ぎ、気配を悟られれば退き、こちらが追えば、人混みの中へ消える。


「……。」


 レオンハルトの目が細くなる。


 アレン本人が動いている。


 それだけでは、説明のつかない部分がある。


 ならば、誰かを使っているのか。


 それともアレンとは別の誰かが、同じ場所へ辿り着いたのか。


 まだ分からない。


 だからこそ、今は動かない。


 相手がこちらを見ているのなら、こちらも相手を見ればいい。


「誰が、そこまで辿り着いた。」


 低い声が静かな執務室へ落ちた。


 そしてレオンハルトは、何事もなかったように机へ戻った。


 オルブライト商会はまだ何も知らない。


 東倉庫もこれまで通り動き続ける。


 表向きは何一つ変わらない。


 けれど、その裏側では、すでに見る者を、見返す視線が生まれていた。


 追う者と、追われる者。


 その境目が少しずつ、曖昧になり始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。