第48話 オルブライト商会
ローラン侯爵邸。
夕暮れが窓を赤く染める頃、ヴィオレットは執務室で、東倉庫街から届いた報告書へ目を通していた。
現在も監視は続いている、十五年前にも使われていた倉庫。
同じ焼き印。
そこへ出入りする荷と、人の流れ。
少しずつ情報は増えているものの、まだ、その先にいる者の姿までは見えていなかった。
コンコン。
「失礼いたします。」
扉が開き、一人の構成員が入室した。
「ご報告いたします。」
ヴィオレットが顔を上げる。
「進展がありましたか?」
「はい。以前、東倉庫街で監視対象と接触した人物が、再び姿を現しました。」
紫色の瞳が僅かに細められる。
監視対象から、小さな包みを受け取った人物。
一度は追跡したものの、途中で姿を見失っている。
「どこで?」
「前回、見失った場所の近くです。」
「尾行は?」
「行いました。今回は一人では追わず、複数名で引き継いでおります。」
「相手に気づかれた様子は?」
「ございません。」
「それで?」
構成員が一枚の紙を差し出した。
「王都中央区にある、オルブライト商会へ入りました。」
「……オルブライト商会。」
ヴィオレットは小さく繰り返した。
聞き覚えのある名だった。
王都でも比較的大きな商会の一つ。
主に穀物や織物を扱い、王都だけではなく、各領地との取引もある。
貴族家を相手にすることも珍しくない。
少なくとも、表向きは、何の不審もない商会だった。
「正面から?」
「いいえ。裏口からです。」
「滞在時間は?」
「一刻にも満たない程度です。」
「出た後は?」
「途中まで追いましたが、商会との接触を確認することを優先し、それ以上は追っておりません。」
「それで結構です。」
ヴィオレットは迷わず答えた。
一度、こちらの追跡を振り切っている相手だ。
尾行に慣れている可能性も高い。
ここで欲を出し、監視そのものを悟られる方が危険だった。
「現在は、オルブライト商会へ出入りする者の確認に切り替えております。」
「よく判断しました。」
「ありがとうございます。」
構成員が頭を下げる。
ヴィオレットは机の上へ視線を落とした。
十五年前、東倉庫街の同じ倉庫で使われていた焼き印。
現在、その倉庫へ出入りする荷にも、同じ印が使われている。
そして、倉庫へ定期的に姿を見せていた男。
その男から包みを受け取った人物が、今度はオルブライト商会へ入った。
「……ようやく、名前が出ましたね。」
これまで追っていたのは、名前のない人間ばかりだった。
偽名を使った商人。
身元不明の運び屋。
捕らえられるより死を選んだ刺客。
どれも、その先へ繋がる名前を残さなかった。
だが今回は違う。
――オルブライト商会。
初めて、現在の王都に実在する、具体的な組織へ糸が伸びた。
もっとも。
「まだ、商会が関わっていると決まったわけではありません。」
ヴィオレットが静かに続ける。
構成員が頷いた。
「あの人物が商会に勤めているとも限りません。」
「はい。」
「取引相手かもしれない。誰かを訪ねただけかもしれない。あるいは、商会内部の一部だけが関わっている可能性もあります。」
オルブライト商会そのものを、この時点で敵と決めつけることはできない。
「ですから、まずは表から調べます。」
「どこまで?」
「扱っている商品。主要な取引先。所有している倉庫。使っている運送業者。それから――」
一度、言葉を切る。
「ヴァルティエ領との取引があるかも確認してください。」
「承知いたしました。」
「商会主と役員についても。」
「はい。」
「ただし、接触はしないでください。」
「もちろんです。」
ヴィオレットは小さく頷いた。
「もし無関係なら、それで構いません。ですが、本当に東倉庫街と繋がっているのであれば、こちらが調べていると知られた瞬間に動きを変えるでしょう。」
今まで、こちらは何度も痕跡の先で糸を切られてきた。
今度こそ、同じことを繰り返すつもりはない。
「今は見るだけです。何を運び、誰が出入りし、その荷がどこへ向かうのか。一つずつ記録してください。」
「承知いたしました。」
構成員は深く頭を下げ、静かに部屋を後にした。
◇
扉が閉まる。
ヴィオレットは椅子へ背を預けた。
「……オルブライト商会。」
もう一度、その名を口にする。
机の上には、木札の焼き印を書き写した紙。
十五年前の帳簿。
東倉庫街の地図。
そして、新たに書き加えられた、一つの商会名。
十五年前にも存在した焼き印。
現在も同じ場所で使われている印。
そこから伸びた人の流れが、初めて形のある場所へ辿り着いた。
「……。」
ヴィオレットは地図へ手を伸ばした。
東倉庫街、そこから王都中央区へ、細い線を引く。
線の先に、オルブライト商会。
「まだ、繋がったとは言えませんね。」
ただ候補にはなった。
調べるべき場所として。
十分に。
そこで、ふと。
ヴィオレットの脳裏に一人の女性が浮かんだ。
腰まで流れる黒髪。
旅装束。
深い藍色の瞳。
木札を手に、王都中を歩き回っていた女性。
(アンさん。)
尾行され。
命まで狙われた。
それでも、あの木札を手放さなかった。
今なら、なぜ相手がそこまで彼女を止めようとしたのか、少しだけ分かる気がする。
彼女は、知らないまま、相手にとって触れられたくない場所へ近づいていたのだ。
「……。」
ヴィオレットは小さく息を吐いた。
アレンには、アンを調査から外すよう忠告してある。
そしてアレンも、受け入れてくれた。
(彼女を止めてくださっていればいいのですが。)
アン、そしてレイ・ヴァルティエ。
同一人物であることは、すでに分かっている。
けれど、彼女とアレンがどのような関係なのかは、まだ分からない。
ただ、アレンが自分と同じ調査を任せるほど、信頼している人物なのだろう。
「……今は、こちらで調べましょう。」
これ以上、彼女を危険へ晒す必要はない。
そのために、自分たちがいる。
ヴィオレットは報告書を手に取った。
視線が一つの名前で止まる。
「さて。」
僅かに目を細める。
「何が出てくるでしょうね。」
東倉庫街から伸びた一本の糸。
その先に現れたオルブライト商会。
まだ、それが敵なのかさえ分からない。
だからこそ急がない。
気づかせない。
切らせない。
ローラン家は、初めて姿を現したその名を、誰にも悟られることなく静かに追い始めた。




