第44話 繋がる痕跡
夜の東倉庫街は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
倉庫の陰に、一人の男が身を潜めている。
ローラン家の構成員だった。
視線の先にあるのは、十日余り監視を続けている倉庫。
そして、そこへ定期的に姿を見せる、一人の男。
決まった時間に現れ、荷を確認し、短時間で立ち去る。
これまで、その繰り返しだった。
だが、今夜は違った。
「……。」
男が倉庫から出てくる。
すぐには立ち去らない。
周囲へ視線を走らせ、人気がないことを確かめてから、小さく口笛を吹いた。
しばらくして、路地の奥から、黒い外套を羽織った人物が現れた。
二人が接触する。
ローラン家の構成員は、さらに身を低くした。
距離がある。
会話までは聞こえない。
やがて監視対象の男が懐へ手を入れた。
取り出したのは、手のひらに収まるほどの、小さな包み。
それを黒い外套の人物へ渡す。
ほんの数秒。
二人はそれ以上言葉を交わすことなく、別々の方向へ歩き出した。
「……。」
構成員は一瞬だけ迷い、黒い外套の人物を追った。
◇
いくつもの路地を抜ける。
距離を保ち、足音を消し、相手の視界へ入らないよう、慎重に後を追う。
だが。
「……?」
角を曲がったところで、黒い外套の姿が消えた。
構成員は足を止める。
左右を見る。
細い路地。
閉ざされた店。
建物の間へ続く狭い通路。
人の気配はない。
(撒かれたか。)
気づかれたのか、単純に相手の方が一枚上手だったのか、判断はできない。
ここから無理に探せば、監視そのものを悟られる可能性がある。
構成員は追跡を諦めた。
背格好。
歩幅。
身体の使い方。
見えた特徴だけを頭へ刻み、静かにその場を離れた。
◇
翌朝。
ローラン侯爵家。
「報告です。」
ヴィオレットは読んでいた資料から顔を上げた。
「監視対象が昨夜、第三者と接触しました。」
「詳細を。」
「小さな包みを渡しております。接触相手を追跡しましたが、途中で見失いました。」
「気づかれましたか?」
「分かりません。」
「そう。」
ヴィオレットは僅かに考え、静かに頷いた。
「そこで追跡を打ち切ったのは正解です。無理に追って監視そのものを悟られては、これまでの時間が無駄になります。」
「ありがとうございます。」
「監視は継続してください。それから。」
ヴィオレットは机の上へ王都の地図を広げた。
「今後は人だけではなく、倉庫へ出入りする荷も記録してください。」
「荷を、ですか。」
「ええ。荷車の特徴、出入りした時刻、運び込まれた物、運び出された物。確認できる範囲で構いません。」
「承知いたしました。」
構成員が一礼し、部屋を後にする。
ヴィオレットは一人、地図へ視線を落とした。
東倉庫街。
監視している倉庫。
昨夜の接触地点。
黒い外套の人物を見失った場所。
一つずつ印を付けていく。
「……荷。」
そこで、羽ペンが止まった。
倉庫。
荷。
受け渡し。
「……。」
ヴィオレットの紫色の瞳が、僅かに細くなる。
十五年前。
これまで調べてきたのは、主にヴァルティエ夫妻の馬車事故そのものだった。
事故が起きた場所。
当時の状況。
夫妻の足取り。
その前後に接触していた人物。
だが、もし現在追っているものが、十五年前から続いているのだとしたら。
「事故だけを見ていては、足りない……。」
ヴィオレットは立ち上がった。
「誰か。」
控えていた使用人が入室する。
「お呼びでしょうか。」
「十五年前の東倉庫街について調べます。残っている貸出記録と物流関係の帳簿を集めてください。」
「すべてでしょうか。」
「ええ。特に――」
ヴィオレットは地図の一点を指した。
「この区画を優先して。」
「承知いたしました。」
◇
数時間後。
机の上には、古びた帳簿が積み上げられていた。
十五年前のものともなれば、記録のすべてが残っているわけではない。
紛失したもの、破損したもの、すでに処分されたものもある。
ヴィオレットは、その中から現在監視している区画に関係するものだけを選び、一冊ずつ確認していった。
何冊目だっただろう。
「……。」
頁をめくっていた指が止まる。
区画番号。
倉庫番号。
ヴィオレットは現在の地図を見る。
もう一度。
帳簿を見る。
「同じ場所……。」
十五年前。
現在監視している倉庫と同じ場所が、すでに荷の保管場所として使われていた。
もちろん。
それだけなら何もおかしくない。
古い倉庫なのだから。
十五年前にも使われていたとして、不思議ではない。
「借主は……。」
次の頁へ目を移す。
「……?」
本来なら、そこに使用者の名が残っているはずだった。
だが、頁がない。
ヴィオレットは帳簿を手元へ引き寄せる。
紙が劣化して抜け落ちたのではない。
綴じ目の近くに、不自然な切断跡が残っている。
「切り取られていますね。」
傍らにいた構成員が答える。
「はい。」
「いつ頃か分かりますか?」
「そこまでは。」
「そうですか。」
ヴィオレットはそれ以上、推測しなかった。
十五年前に切り取られたとは限らない。
誰が、何のためにそれをしたのかも分からない。
今確かなのは、十五年前、この倉庫が使われていたこと。
そして、使用者の記録だけが失われていること。
「他の記録を。」
「こちらに。」
今度は、当時の荷を管理していた帳簿だった。
ヴィオレットは一行ずつ目で追っていく。
日付。
荷の種類。
数量。
搬入先。
受取確認。
そして。
「……。」
指が止まった。
文字ではない、欄の端に。
小さな印が残されている。
「これは……。」
見覚えがあった。
ヴィオレットはすぐに別の資料を取り出した。
アレンからの依頼を受け、ローラン家で調査したもの。
木札に刻まれていた、焼き印の写し。
二つを並べる。
「……同じ。」
形、線の位置、細部まで一致している。
ヴィオレットは椅子へ深く腰掛けた。
しばらく、何も言わなかった。
十五年前、現在監視している倉庫と同じ場所で、今も使われているものと同じ識別印が、すでに使われていた。
「十五年前にも……。」
木札の焼き印を調べた際、これは商会そのものを示す印ではなく、荷を受け取る側を識別するためのものではないか、そう推測していた。
その印が、十五年前の荷の管理記録に残されている。
そして。
現在、同じ場所で、再び不審な荷の受け渡しが行われている。
「……。」
ヴィオレットは二つの資料を見比べる。
初めてだった。
十五年前と現在が、推測ではなく。
同じ場所と、同じ印によって繋がった。
「お嬢様。」
「ええ。」
ヴィオレットは静かに頷いた。
「大きな手掛かりです。」
「では、倉庫を調べますか?」
「いいえ。」
即答だった。
「まだ触れません。」
「しかし。」
「同じ倉庫。同じ印。確かに繋がりは見えました。ですが、十五年前にこの印を使っていた者と、現在この倉庫を使っている者が同一とは限りません。」
それに、ここで倉庫へ踏み込めば、その先にいる者が警戒する。
「監視を続けてください。今まで通りに。」
「承知いたしました。」
「知りたいのは、倉庫そのものではありません。」
ヴィオレットは地図へ目を落とす。
「荷がどこから来て。」
指先が、東倉庫街から一本の道を辿る。
「どこへ運ばれ。」
その先で止まった。
「最後に、誰の手へ渡るのか。」
「そこまで辿るのですね。」
「ええ。」
ヴィオレットは微笑んだ。
「今度こそ、途中で糸を切らせません。」
◇
一人になった部屋で、ヴィオレットは便箋を取り出した。
宛先は、アレン・ヴァルティエ。
羽ペンを取り。
確認できた事実だけを書き記していく。
現在監視している東倉庫街の倉庫が、十五年前にも使われていたこと。
当時の使用者を示す頁が切り取られていること。
そして。
十五年前の荷の管理記録から。
現在調査中の木札と同一の印が発見されたこと。
そこまで書き。
ペンを止めた。
十五年前の馬車事故との関連については、書かなかった。
「推測は、必要ありませんね。」
必要なのは確認できた事実だけ。
それをどう判断するかは、依頼人であるアレン自身に委ねればいい。
ヴィオレットは手紙を封じた。
「ようやく、一つ。」
十五年前と現在、離れていた二つの時間を結ぶ痕跡が見つかった。
切り取られた頁。
残された焼き印。
そして、十五年を経た今も使われている、同じ倉庫。
消したつもりだったのだろう。
けれど痕跡というものは、すべてを消し去ることなどできない。
ヴィオレットは封書を手に取った。
この報告がアレンの手元へ届く頃、止まっていた十五年前の時間が、ほんの僅かに再び動き始める。




