第43話 静かな一手
ラミレス公爵邸。
レオンハルト・アルマダ・ラミレスは、執務室で一通の報告書へ目を通していた。
商会の動き。
貴族たちの動向。
王都へ出入りする人間。
定期的に集めさせている報告の中で、一枚だけ指が止まった。
「……東倉庫街。」
記されている内容そのものに、異常はない。
荷馬車は普段通り出入りし、倉庫では荷の積み下ろしが行われている。
人員にも大きな変化はない。
「予定通りか。」
「はい。」
傍らに控えていた側近が答える。
「特に問題はございません。」
「ならば、そのままでいい。」
レオンハルトは報告書を伏せた。
今、最も避けるべきなのは、こちらから変化を起こすことだ。
荷を止める。
人を替える。
倉庫を閉じる。
そんな真似をすれば、そこに何かあると自ら知らせることになる。
「余計な動きはさせるな。」
「承知しております。」
「いつも通りに動かせ。」
「はい。」
レオンハルトは次の書類へ手を伸ばす。
「レイ・ヴァルティエについては。」
「周辺を調べました。」
側近が答える。
「ヴァルティエ家の遠縁であることに間違いありません。普段は領地で暮らしており、王都での交友関係は多くありません。」
「不審な点は?」
「特には。」
「そうか。」
それなら、今すぐ動かす必要はない。
「接触はまだするな。」
「では。」
「周囲だけ整えておけ。自然に縁ができる程度でいい。」
「茶会などでしょうか。」
「それで構わん。私の名は出すな。」
「承知いたしました。」
レオンハルトは、それ以上レイについて触れなかった。
使えるかどうか、判断するのは、もう少し先でいい。
その時。
コンコン。
扉が叩かれる。
「失礼いたします。」
執事が一礼した。
「オルブライト商会の主人がお見えです。」
「通せ。」
「かしこまりました。」
執事が退出する。
レオンハルトが側近へ視線を向ける。
それだけで、男は意図を察した。
「では、私はこれで。」
「ああ。」
側近が部屋を出る。
入れ替わるように、一人の壮年の男が姿を現した。
「公爵閣下。」
王都中央区に店を構える、オルブライト商会の主人だった。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます。」
「座れ。」
「失礼いたします。」
男が腰を下ろす。
レオンハルトはすぐには口を開かなかった。
扉が閉まり、廊下から人の気配が遠ざかる。
それを待ってから。
「東は。」
「問題ございません。」
「荷は。」
「予定通りです。」
「人員は。」
「変えておりません。」
短いやり取り。
それだけで二人には十分だった。
「そのまま続けろ。」
「承知しております。」
「何かあっても、勝手に動くな。」
「はい。」
「こちらから指示を出すまでは、何も変える必要はない。」
「かしこまりました。」
商会主が深く頭を下げる。
しばらくして、僅かに迷うような間があった。
「……一つ、よろしいでしょうか。」
「何だ。」
「ヴァルティエ領へ流している分も、このままで?」
レオンハルトの視線が上がる。
「何か問題があるのか。」
「いいえ。ただ、最近はあちらの動きが少々――」
「だからこそだ。」
言葉を遮る。
「急に止めれば、こちらから答えを教えることになる。」
「……。」
「何も変えるな。」
穏やかな声。
だが、拒む余地はなかった。
「承知いたしました。」
「それでいい。」
レオンハルトは椅子へ背を預ける。
「疑っている者ほど、変化を探す。」
ならば、変化など見せなければいい。
「普段通りに動かせ。普段通りに荷を流せ。こちらを見ている者がいたとしても、何も見つけられぬようにな。」
「はい。」
「それと。」
レオンハルトの声が僅かに低くなる。
「余計な者へ話すな。」
「もちろんです。」
「お前が知る必要のないことまで、知ろうとするな。」
「……承知しております。」
商会主は、今度こそ深く頭を下げた。
「では、失礼いたします。」
「ああ。」
扉が閉まる。
◇
一人になった執務室。
レオンハルトは机の上へ視線を落とした。
東倉庫街。
オルブライト商会。
ヴァルティエ領へ流れる荷。
そして、ヴァルティエ家の遠縁。
レイ。
外から見れば、どれも繋がってはいない。
それでいい。
一本の線として見られた瞬間、十五年前まで遡られる可能性がある。
「……まだ早い。」
誰に聞かせるでもなく呟く。
アレン・ヴァルティエが、どこまで気づいているのかは分からない。
だが、焦って潰そうとすれば、かえって疑念を深める。
ならば、何も起きていないように見せる方がいい。
レオンハルトは新しい書類へ手を伸ばした。
「静かなうちに、進めておこう。」
一つ、また一つ。
表では何も変わらないまま、盤上だけが、誰にも気づかれぬ速度で動いていた。




