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第40話 新たな駒


 夜会も終盤を迎えていた。


 楽団の奏でる曲は、先ほどまでの華やかなものから、ゆったりとした旋律へ変わっている。


 レオンハルト・アルマダ・ラミレスは、グラスを片手に大広間を見渡していた。


 貴族たちの笑い声。


 交わされる挨拶。


 酒と音楽に浮かされたような空気。


 その中でレオンハルトの視線が、一人の女性へ向けられる。


 茶色の髪、深いワインレッドのドレス。


 今夜、何度か目に入った令嬢だった。


「公爵様。」


 側近が静かに近づいてくる。


「先ほどお尋ねになった女性について、分かりました。」


「申せ。」


「レイ・ヴァルティエ。ヴァルティエ家の遠縁にあたる女性です。」


「ヴァルティエ。」


 レオンハルトの目が僅かに細くなる。


「本家との関係は。」


「詳細までは。ただ、普段はヴァルティエ領で暮らしているようです。」


「王都では見ない顔だな。」


「はい。社交界へ姿を見せることは、ほとんどないようです。」


「そうか。」


 レオンハルトは再びレイを見る。


 ヴァルティエ家。


 その名前だけで先ほどまでより、僅かに興味が増した。


 最近アレン・ヴァルティエは妙な動きを見せている。


 こちらの周囲を嗅ぎ回っている確証はない。


 だが十五年前のことを探られる可能性は、できる限り潰しておきたい。


 そして今夜、そのヴァルティエ家に連なる、見慣れない女が現れた。


「今夜は、何をしていた。」


「何を、と申しますと?」


「誰と話していた。」


 側近は少し考える。


「商会の当主や、地方に領地を持つ貴族が多かったかと。」


「内容は。」


「そこまでは。」


「そうか。」


 レオンハルトはグラスを傾ける。


 視線の先では、レイが初老の貴族と話していた。


「まあ、本当ですの?」


「ああ。昔はもっと酷かった。東側など、今でも古い倉庫ばかりだがね。」


「そうなのですね。王都はどこも新しい建物ばかりだと思っておりましたわ。」


「いやいや。場所によるとも。それに――」


 話しているのは、ほとんど男の方だった。


 レイは笑い、時折相槌を打つ。


 何か一言尋ねれば、男がまた話し始める。


「……。」


 レオンハルトは黙って眺めていた。


 やがて。


「随分と話させる女だな。」


 側近もレイへ視線を向ける。


「確かに。」


「本人は、ほとんど何も話していない。」


「社交がお好きなのでは?」


「それだけならいいがな。」


 レオンハルトの口元に、薄い笑みが浮かんだ。


 人間にはそれぞれ使い道がある。


 腕の立つ者。


 金を持つ者。


 地位を持つ者。


 そして、人の懐へ入るのが上手い者。


 レイ・ヴァルティエは、最後の一つに当てはまりそうだった。


「面白いな。」


「公爵様?」


「ヴァルティエ家の遠縁でありながら、社交界ではほとんど知られていない。」


 レオンハルトは静かに続ける。


「そのうえ、人に警戒されにくい。」


「……。」


「使い方次第では、役に立つかもしれん。」


 側近が僅かに声を落とす。


「接触いたしますか?」


「いや。」


 レオンハルトは即座に否定した。


「今は必要ない。」


「では。」


「調べておけ。」


 視線はレイへ向けたまま。


「ヴァルティエ家でどういう立場にいるのか。アレン卿とはどの程度親しいのか。それだけでいい。」


「承知いたしました。」


「使えるかどうかは、それからだ。」


 側近が一礼して離れていく。


 レオンハルトは一人、グラスの中で揺れる赤い酒を眺めた。


 駒は、使える場所へ置かなければ意味がない。


 急ぐ必要などなかった。


     ◇


 その頃。


 レイは別の貴族との会話を終えたところだった。


「ありがとうございました。とても興味深いお話でしたわ。」


「いやいや。こちらこそ。久しぶりに楽しく話せましたよ。」


「ふふっ。またお聞かせくださいませ。」


「もちろんですとも。」


 相手を見送り、レイは笑みを残したまま、静かに息を吐く。


(……東倉庫街。)


 アンとして木札を見せて回った時とは違う。


 レイなら、もっと遠いところから情報を拾える。


「レイ様。」


 声を掛けられ、レイは顔を上げた。


 先ほど話した令嬢が手を振っている。


「こちらへいらっしゃいません?」


「ええ。今参りますわ。」


 柔らかく微笑み、歩き出す。


 その途中、何気なく大広間へ視線を巡らせた。


「……。」


 レオンハルトがいた。


 誰かと談笑している。


 こちらを見ている様子はない。


 レイもすぐに視線を外した。


(今夜は、これ以上欲張らない方がいいね。)


 レオンハルト本人へ近づくつもりはなかった。


 今はまだ、疑っていることさえ知られない方がいい。


 それよりも、今夜拾った情報を領地へ持ち帰り、整理する方が先だ。


 やがて、夜会の終わりを告げる曲が流れ始めた。


 レイも他の招待客とともに、王城を後にする。


 馬車へ乗り込む直前。


「……。」


 少し離れた場所に、淡い藤色のドレスが見えた。


 ヴィオレットだった。


 侍女に付き添われながら、こちらも帰りの馬車へ向かっている。


 ふと、ヴィオレットもこちらへ気づいた。


 視線が重なる。


 レイは微笑み、小さく会釈する。


 ヴィオレットも、同じように微笑んだ。


 それだけだった。


 今夜はもう言葉を交わさない。


「レイ様。」


 御者に呼ばれ。


「今参ります。」


 馬車へ乗り込む。


 扉が閉じた。


     ◇


 少し遅れて、レオンハルトも自らの馬車へ向かっていた。


「公爵様。」


 側近が扉を開く。


 レオンハルトは乗り込む直前、王城を振り返った。


 今夜、思いがけず見つけた女。


「レイ・ヴァルティエ……。」


 ヴァルティエ家の遠縁。


 アレンに近い可能性があり、人の警戒を解くことにも長けている。


 まだ使えると決まったわけではない。


 こちらへ引き込めるかどうかさえ分からない。


 それでも、盤上に置いておく価値くらいはある。


「調べておけ。」


「は。」


「使えそうなら、その時に考える。」


 レオンハルトは馬車へ乗り込む。


 扉が閉じた。


 やがて、車輪がゆっくりと回り始める。


 この時、レオンハルトは知らなかった。


 新たな駒として目を付けたレイ・ヴァルティエが、自分が警戒しているアレン・ヴァルティエ本人であることを。


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