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第4話 違和感


 睡眠薬騒ぎから三日。


 ヴァルティエ領へ戻ったアレンは、いつものように執務室で書類へ目を通していた。


 領内の収支報告。


 街道の補修申請。


 商人から届いた取引の確認。


 一枚ずつ処理していると。


「アレン様。」


 執事が一通の封筒を手に入ってきた。


「王都より、先日の夜会について報告が届いております。」


「睡眠薬の件?」


「はい。」


 アレンはペンを置いた。


「どうだった?」


「薬を混入した人物までは特定できなかったとのことです。」


「……やっぱり。」


 あまり期待はしていなかった。


 あの日、酒を運んできた給仕は、その場ですぐに騎士たちから事情を聞かれている。


 だが本人は、指定されたグラスをアレンへ運ぶよう頼まれただけだと証言したらしい。


「給仕からは?」


「自分は中身について何も知らなかったと。グラスも、別の者から渡されたものだったそうです。」


「その別の人は?」


「見つかっておりません。」


「顔は覚えてないの?」


「給仕の話では、夜会の使用人と同じような服装をしており、顔もよく見ていなかったそうです。」


「……用意がいいね。」


 アレンは椅子の背へ身体を預けた。


 人の多い大規模な夜会。


 同じような服装の給仕や使用人が何十人も行き交う。


 そこへ紛れ込まれてしまえば、あとから一人を特定するのは難しい。


「薬が僕を狙ったものだったかどうかは?」


「それについても、断定できないとのことです。」


「僕のところに運ばれてきたのに?」


「アレン様へ渡すよう指示されていたことは確認されております。ただし、その指示を出した人物が誰なのか分からない以上、目的についても判断できない、と。」


「なるほど。」


 少なくとも。


『アレンを狙ったものではない』


 と決めつけられたわけではないらしい。


 証拠がないから何も断定できない、それだけだ。


(でも、偶然とは思えないよなぁ。)


 あのグラスは、間違いなく自分のところへ運ばれてきた。


 しかも中に入っていたのは、命を奪う毒ではなく睡眠薬。


(眠らせて、何をするつもりだったんだろう。)


 そこが一番気になる。


 殺すつもりなら、もっと分かりやすい毒を使えばいい。


 わざわざ眠らせる必要などない。


 連れ出す。


 何かを奪う。


 あるいは。


 眠っている間に、何かを仕掛ける。


「……面倒だな。」


「警備を増やされますか?」


「しばらくはね。王都に行く時も、使用人には注意するよう伝えておいて。」


「承知いたしました。」


 執事が一礼して退室する。


 扉が閉じると。


「アレン様。」


 今度は侍女のリリアが紅茶を机へ置いた。


「先ほどから難しいお顔をなさっていますね。」


「そう?」


「はい。」


「睡眠薬のこと考えてた。」


「それだけですか?」


「……。」


 アレンは紅茶へ手を伸ばしかけて。


 止めた。


「何で分かったの?」


「長いお付き合いですので。」


「怖いなぁ。」


「それで?」


「……ヴィオレット嬢。」


「ローラン家の?」


「うん。」


 アレンは自分の腕を見る。


 三日前。


 掴まれた感触は、まだ妙に記憶に残っている。


「僕さ。」


「はい。」


「女の人に腕を掴まれて、振りほどけなかったの初めてなんだよね。」


「……。」


 リリアの口元が僅かに動いた。


「今、笑おうとした?」


「いいえ。」


「絶対した。」


「失礼いたしました。」


「やっぱり笑ってたじゃん。」


 アレンは呆れたように息を吐く。


「でも、本当に驚いたんだよ。少し力を入れて引いたのに、全然動かなかった。」


「随分とお力のある方なのですね。」


「そうなんだよ。」


「病弱と伺っておりますが。」


「そこ。」


 アレンが指を差す。


「僕もそこがちょっと不思議で。」


 華奢な身体。


 ゆっくりとした歩き方。


 侍女を常に傍へ置き。


 夜会へ出席することさえ珍しい。


 どこから見ても、噂通りの病弱な令嬢だった。


 なのに。


「あんな細い腕だったのに。」


「はい。」


「僕が振りほどけないんだよ?」


「アレン様よりお強いのでは?」


「簡単に言わないでよ。」


「事実としては、その可能性も。」


「……。」


 アレンは少し考える。


「まあ、力が強い女性だっているか。」


「おりますね。」


「薬にも詳しかったみたいだし。」


「貴族令嬢でしたら、薬草について学ばれる方もいらっしゃるでしょう。」


「そうだよね。」


 言われれば。


 どちらも有り得ないことではない。


 病弱だからといって、腕力まで弱いとは限らない。


 薬について詳しい理由だって。


 身体が弱いからこそ、身近だった可能性もある。


「……僕が気にしすぎかな。」


「気になるのですか?」


「少しだけ。」


「ヴィオレット様のことが。」


「その言い方だと違う意味に聞こえるんだけど。」


「そうでしょうか?」


「そうだよ。」


 リリアが僅かに笑った。


「ただ、噂で聞いてた印象とちょっと違ったから気になっただけ。」


「左様でございますか。」


「その顔やめて。」


「何も申しておりません。」


「顔が言ってる。」


 アレンは紅茶を一口飲んだ。


 結局。


 考えたところで何も分からない。


 ヴィオレット・ローランとは。


 まだ一度の夜会で少し言葉を交わしただけだ。


 腕力が強かった。


 薬に気づいた。


 それだけで、何か特別な事情があると決めつける方がおかしい。


「まあ、いいや。」


 アレンは書類へ視線を戻した。


「助けてもらったのは本当だし。」


「そうですね。」


「変な人って決まったわけでもないし。」


「変な人だとは一言も申し上げておりませんが。」


「……そうだった。」


     ◇


 午後。


 屋敷の裏手にある鍛錬場へ。


 乾いた音が響いた。


 アレンが木剣を振り抜く。


 踏み込む。


 返す。


 再び振るう。


 動きに迷いはない。


「はっ!」


 最後の一撃を止め。


 ゆっくりと息を吐く。


「今日も冴えておりますな。」


 近くで見ていた騎士団長ガレスが声を掛けた。


「ありがとう。」


「王都では女遊びと酒ばかりだと聞いておりますが。」


「それ、僕に直接言う?」


「事実ではございませんので。」


「分かってるならいいけど。」


 アレンが笑う。


「遊んでいるように見せるのも、なかなか大変なんだよ。」


「人気者の苦労ですな。」


「ガレスが代わる?」


「遠慮いたします。」


「即答だね。」


 騎士団長も笑った。


 アレンはもう一度、木剣を構える。


 剣を握っている時は楽だった。


 相手の動きを見る。


 間合いを測る。


 力を受け流す。


 そして、隙を突く。


 考えるべきことがはっきりしている。


 三日前。


 ヴィオレットに腕を掴まれた時のことを思い出す。


(……やっぱり。)


 木剣を振り抜く。


(僕、そんなに非力じゃないよね。)


「アレン様?」


「何?」


「今日は随分と力が入っておられますが。」


「……気のせい。」


「左様ですか。」


「うん。」


 少しだけむきになっている自覚はあった。


     ◇


 鍛錬を終えたあと。


 アレンは屋敷の酒蔵へ寄った。


「……増えてる。」


「はい。」


 後ろから来たリリアが帳簿を開く。


「葡萄酒十二本。蒸留酒六本。果実酒四本。本日までに届いた分です。」


「また二十本以上……。」


「アレン様がお酒好きだと評判ですので。」


「誰のせいだろうね。」


「アレン様では?」


「分かってるよ。」


 棚から一本を手に取る。


 王都でも滅多に出回らない、高級な蒸留酒だった。


「これは港の商人に回そう。」


「先日の交渉のお相手ですか?」


「うん。酒好きだったから。」


「よく覚えていらっしゃいますね。」


「そういうの覚えるのも仕事だから。」


 酒そのものへの興味は薄い。


 けれど、誰が何を好むかは覚えている。


 商談のきっかけになる。


 情報を引き出す助けにもなる。


 贈り物として返せば人間関係も円滑になる。


「本当に、ご自分で飲む気はございませんね。」


「嫌いじゃないよ。」


「お好きでもない。」


「そうだね。」


 アレンは酒瓶を棚へ戻した。


 王都では。


 酒豪。


 酒好き。


 毎晩酒を飲み歩いている遊び人。


 そんな噂になっている。


 けれど。


 アレンにとって酒は目的ではない。


 使えるなら使う。


 それだけだ。


「それに。」


「はい?」


「飲んでもあんまり酔わないし。」


「耐性がありますからね。」


「酔えたら楽しいのかもしれないけど。」


「一度くらい泥酔してみたいですか?」


「後始末してくれる?」


「嫌です。」


「じゃあやめとく。」


 アレンが笑った。


     ◇


 夕暮れ。


 再び執務室へ戻ると。


 机の上に。


 見覚えのない封筒が置かれていた。


「これ何?」


「先ほど届きました。」


 リリアが答える。


「ローラン家からでございます。」


「ローラン家?」


 アレンの手が止まる。


 封筒を見る。


 差出人には。


 ヴィオレット・ローラン。


 そう記されていた。


「……僕に?」


「アレン様宛てでございますね。」


「それは見れば分かるけど。」


 アレンは椅子へ座り。


 封を切る。


 中には整った文字で短い文章が綴られていた。


 先日の夜会では、突然お腕を掴むような真似をしてしまい、申し訳ございませんでした。


 ご気分を害されておりましたら、お詫び申し上げます。


 そして最後に。


 無事にお帰りになられたことを願っております。


「……。」


「何と?」


「この前のこと、謝ってる。」


「律儀な方ですね。」


「うん。」


 別にアレンは気分を害してなどいない。


 むしろ助けてもらったのはこちらだ。


「謝る必要ないのになぁ。」


 そう言いながら。


 もう一度、手紙へ目を落とす。


「……不思議な人。」


「ヴィオレット様が?」


「うん。」


「どのあたりが?」


「上手く言えない。」


 病弱だという噂とあの腕力。


 薬への知識。


 そして、目の前で話した時に感じた噂だけでは分からない何か。


 けれど。


 まだ、それが何なのかは分からない。


 そもそも。


 何かがあるのかどうかさえ、アレンには判断できなかった。


「まあ。」


 アレンは手紙を丁寧に畳み直す。


「今度会ったら、僕の方からもう一回お礼を言おう。」


「よろしいのではないでしょうか。」


「助けてもらったしね。」


 封筒へ手紙を戻す。


 それだけのことだった。


 ただ。


 ヴィオレット・ローランという名前は、三日前よりも少しだけ、アレンの中に残るようになっていた。


 それが単なる興味なのか。


 恩人への関心なのか。


 それとも、別の何かなのか。


 まだアレン自身にも分からなかった。


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