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第38話 仮面が集う夜


 夜会が始まってから、しばらく経った頃。


 楽団の演奏が一曲終わり、大広間に拍手が広がった。


 レイは人の輪から少し離れ、グラスへ口をつける。


「……。」


 思ったほどの収穫はない。


 東倉庫街。


 商人の出入り。


 古くから使われている倉庫。


 それとなく話題を振ってみたものの、今のところ木札へ繋がりそうな情報は得られていなかった。


(まあ、そんな簡単にはいかないか。)


 木札を見せて聞き回ったアンは、すでに命を狙われている。


 今夜は同じ轍を踏むわけにはいかない。


 あくまでレイ・ヴァルティエとして。


 王都へ滅多に来ない令嬢が、珍しさから色々な話を聞いている。


 その範囲を越えてはいけない。


 レイが次に話しかける相手を探していた、その時、会場の空気が僅かに変わった。


「ラミレス公爵。」


 近くにいた貴族の声が聞こえる。


 レイの指が、グラスの脚に触れたまま止まった。


(……レオンハルト。)


 視線だけを向ける。


 レオンハルト・アルマダ・ラミレス。


 社交界では穏やかで人当たりの良い大貴族として知られている男。


 だがアレンにとっては、今もっとも警戒すべき人物の一人だった。


 決定的な証拠はない。


 だからこそ、こちらから迂闊に動くこともできない。


 レオンハルトは周囲の貴族たちと挨拶を交わしながら、大広間を進んでいく。


 やがて、その足が止まった。


「ヴァルティエ卿。」


 レイの青い瞳が僅かに細くなる。


 その先にいるのは今夜、アレン・ヴァルティエを演じているリリアだった。


「レオンハルト公爵。」


 リリアは穏やかな笑みを浮かべ、一礼した。


「ご無沙汰しております。」


「久しいですな。ヴァルティエ卿。」


 レオンハルトも笑顔を返す。


「領地の方はいかがです?」


「おかげさまで。大きな問題もなく。」


「それは何より。」


 ただの挨拶。


 周囲から見れば、それだけだった。


「しかし。」


 レオンハルトが、リリアを上から下まで眺める。


「少しお痩せになられましたかな。」


「そう見えますか?」


「ええ。お若いとはいえ、一領を預かる身。働き過ぎは感心しませんぞ。」


「お気遣いありがとうございます。」


「身体は大切になさらねば。」


 そう言いながら、レオンハルトが親しげに、リリアの左腕へ手を添えた。


「――」


 傷へ正確に、指が重なる。


 襲撃を受けた夜、侵入者の刃を受けた場所だった。


 鈍い痛みが走る。


 けれど、リリアは表情を変えなかった。


「最近、少し鍛錬に力を入れ過ぎまして。」


「ほう。」


「若いうちに身体を作っておこうかと。」


「ははは。それは結構。しかし、何事もほどほどが一番ですぞ。」


「肝に銘じます。」


 レオンハルトは笑いながら手を離した。


 そして何事もなかったように、別の話題へ移る。


 リリアも同じように応じる。


 笑顔と笑顔、穏やかな会話。


 けれど。


(……偶然?)


 リリアは胸中だけで呟いた。


 触れられた場所が、あまりにも正確だった。


 ただしそれだけでは何の証拠にもならない。


 たまたま腕へ触れただけだと言われれば、それまでだ。


 だから、リリアも何も知らない顔を続ける。


「では、またいずれ。」


「ええ。公爵もどうぞ良い夜を。」


 レオンハルトが離れていく。


 その背中を見送りながら、リリアの笑みだけが、ほんの僅かに薄くなった。


     ◇


 その一部始終を、レイも離れた場所から見ていた。


(今……。)


 リリアの左腕。


 そこへレオンハルトが触れた。


 屋敷へ侵入者が入った夜、リリアが斬られた場所だ。


 偶然かもしれない。


 けれど。


(……嫌な偶然だな。)


 レイはグラスへ口をつける。


 今すぐ問いただしたところで意味はない。


 それどころか、自分たちが何を疑っているのか、相手へ教えることになる。


 だから動かない。


 ただ、忘れない。


 今夜見たものを。


 あとでリリア本人にも確認する必要がある。


 レイがそう考えていると。


 ふと、レオンハルトがこちらへ顔を向けた。


「……。」


「……。」


 一瞬だけ視線が重なる。


 レイはすぐに、令嬢らしい柔らかな微笑みを浮かべた。


 軽く会釈する。


 レオンハルトも穏やかに笑い、同じように会釈を返した。


 それだけ。


 互いに言葉は交わさない。


 レオンハルトは別の貴族のもとへ向かっていった。


(……見られた?)


 いや。


 夜会で目が合っただけだ。


 考え過ぎる必要はない。


 レイも自然に視線を外した。


     ◇


 少し離れた場所では、ヴィオレットも、レオンハルトとアレンのやり取りを見ていた。


「……。」


 気になったのは。


 やはり、あの瞬間。


 レオンハルトがアレンの左腕へ触れた時だった。


 アレンの表情は変わらなかった。


 会話も途切れていない。


 けれどほんの一瞬、アレンの肩に力が入ったように見えた。


(痛み……?)


 そう見えただけかもしれない。


 それに、今夜のアレンには、先ほどから小さな違和感がある。


 受け答えも、笑い方も、何かがおかしいわけではない。


 むしろよく知るアレン卿そのものだ。


 それなのに。


(……少しだけ、違う。)


 何が、とは言えない。


 話し方なのか、間の取り方なのか。


 もう一度だけアレンへ視線を向ける。


 その向こうに。


 ワインレッドのドレスを纏ったレイの姿が見えた。


「……。」


 今度はそちらへ目が移る。


 アンを思い出させた、ヴァルティエ家の遠縁。


(レイ様……。)


 今夜、少し話してみたい。


 単純な興味だった。


 アンとの共通点が気になることもある。


 けれどそれ以上に、どこか不思議と目を引かれる女性だった。


「お嬢様。」


 侍女が小さく声を掛ける。


「少しお休みになりますか?」


「いいえ。まだ大丈夫です。」


 ヴィオレットは柔らかな笑みを浮かべた。


「それより。」


 ワインレッドのドレスへ、もう一度視線を向ける。


「ご挨拶していない方がおりますので。」


     ◇


 音楽が変わった。


 新しい曲が始まり、大広間の中央へ、また人々が集まっていく。


 レイは情報を拾い。


 リリアはアレンとして振る舞い。


 ヴィオレットは、その両方を静かに観察している。


 そして、レオンハルトもまた。


 誰にも本心を見せることなく、穏やかに笑っていた。


 同じ夜会、同じ大広間、それぞれが別のものを追いながら、まだ誰も相手の仮面の下までは見えていない。


 ただ、ヴィオレットの視線だけが、人波の向こうにいるレイへと向かっていた。


 次に交わす言葉が、アンとレイを結ぶ、もう一つの違和感になるとも知らずに。


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