第33話 繋がり始める糸
アンが王都を去った翌日。
ローラン侯爵家の一室。
ヴィオレットは机の上へ、二つの資料を並べていた。
一つは、酒瓶の底に刻まれていた印についてまとめた調査書。
もう一つは、木札の焼き印についての報告書。
「……。」
紫色の瞳が、静かに文字を追っていく。
始まりは、アレン・ヴァルティエから届いた一通の依頼だった。
十五年前のヴァルティエ夫妻死亡事故。
そして近頃、アレンの周囲で立て続けに起きている不可解な出来事。
その二つに繋がりがないか、調べてほしい。
そう記されていた。
その後、ヴァルティエ家から一本の酒瓶が送られてきた。
瓶底に刻まれていた、見慣れない印。
調べた限りでは、王都で流通している商会や酒蔵の印とは一致しなかった。
さらに酒を届けた商人の足取りを追ううちに、灰色亭へ辿り着いた。
そこまでを、ヴィオレットはアレンへ報告している。
「そして……。」
指先が、もう一つの資料へ移る。
木札。
灰色亭へ出入りしていた商人の荷から見つかったという、焼き印の押された札。
こちらも商会の印ではなかった。
送り主を示すものでもない。
複数の運び屋から話を集めた結果、表の帳簿を通さない荷に使われ、受取先を識別するための印である可能性が高いことが分かった。
さらに、同じ焼き印を付けた荷が、ヴァルティエ領西地区へ運び込まれたという証言まで出てきた。
その情報も、すでにアレンへ送っている。
「……。」
ヴィオレットは椅子へ背を預けた。
そこまでは、ただの依頼だった。
依頼人がいて、情報屋である自分が調べ、得られた情報を返す。
それだけの関係。
だが、その後。
王都へ一人の女性が現れた。
「アンさん……。」
家名を名乗らない、黒髪の旅人。
彼女は木札を手に、焼き印について調べ歩いていた。
商人。
木工職人。
荷運び。
馬車屋。
少しでも荷の流れに関わっていそうな者を、一人ずつ訪ねている。
そしてそのせいで、命まで狙われた。
「……。」
ヴィオレットは目を伏せる。
偶然。
そう考えるには、重なり過ぎている。
そして昨日、最後の一つが加わった。
アンの滞在する宿を訪ねてきた男。
その外套の内側にあった、ヴァルティエ家の紋章。
さらに、アンが王都を発つ際に使った馬にも、ヴァルティエ家の印があった。
「やはり……。」
ヴィオレットは小さく呟いた。
「アンさんは、アレン卿の調査に関わっている。」
それならば説明がつく。
アレンが情報屋から得た情報を、自らの側でも追っていた。
そのために、信頼できる人物を王都へ送り込んだ。
「だから、同じ木札を……。」
ヴィオレットの指先が報告書の上で止まる。
だがそう考えても、分からないことが多い。
アレンの指示で動いているのなら、アンは何者なのか。
ヴァルティエ家に仕える者なのか。
それとも、表には出せない立場にある、協力者なのか。
「……。」
市場で向かい合った女性を思い出す。
旅人としては、あまりにも洗練された所作。
家名を明かそうとしない慎重さ。
長く武器を握ってきた者の手。
尾行にすぐ気づくほどの勘。
そして、四人の刺客を相手にしても崩れなかった、あの剣技。
「ただの協力者にしては……随分と信頼されているのですね。」
王都へ人目を忍んで使者まで寄越している。
何かあれば、すぐに知らせるほどの相手。
だというのに、アン自身はヴァルティエ家との関係を、一度も口にしなかった。
「……不思議な方。」
思わず、小さく笑う。
だが。
それ以上、推測を重ねるのはやめた。
情報屋に必要なのは想像ではない。
事実だ。
確かなのは、アンがヴァルティエ家と繋がっていること。
そして、アレンと同じものを追っていること。
今は、それだけで十分だった。
ヴィオレットは二つの資料を重ねる。
「アレン卿も、報告を受け取って終わりにはなさらなかったのですね。」
自分でも動いていた。
領内で商人たちへ聞き。
西地区へ足を運び。
得た手掛かりをさらに追わせている。
危険なものへ近づいていると分かっていても。
十五年前の真実を諦めようとはしていない。
「……本当に。」
ふっと、柔らかな笑みが浮かぶ。
「見た目よりずっと、無茶をなさる方。」
夜会で酒に細工がされていると知っても。
王都で危険な目に遭っても。
アレンは調査を止めなかった。
情報屋へ任せきりにもせず、自分で調べられるところまでは、自ら調べている。
世間で囁かれている、酒と女性に溺れる、遊び人の領主。
その噂から想像する姿とは、あまりにも違っていた。
その時だった。
コンコン。
「失礼いたします。」
扉が開き、部下が入ってくる。
ヴィオレットは顔を上げた。
「昨夜の刺客について、新しい情報が入りました。」
その言葉に、柔らかかったヴィオレットの表情が変わる。
社交界で見せる侯爵令嬢の顔から、情報屋のものへ。
「聞かせて。」
「逃走した者の一人と思われる男を追ったところ、東倉庫街で定期的に荷を受け取っている人物との接触が確認されました。」
「人物の身元は?」
「複数の名を使っております。本名はまだ掴めておりません。」
「荷は?」
「中身までは確認できておりません。ただ――」
男は一枚の紙を差し出した。
「荷箱に、印があったとの報告です。」
ヴィオレットが受け取る。
紙には、目撃した印を写した簡単な図が描かれていた。
「……。」
紫色の瞳が細くなる。
見覚えがある。
ヴィオレットは机の上へ置かれていた木札の調査書を開いた。
二つを並べる。
同じだった。
「この焼き印……。」
「はい。」
男が頷く。
「アレン様から調査を依頼された木札と、同じものと思われます。」
「繋がりましたね。」
「接触した男は、現在も監視しております。捕らえますか?」
「いいえ。」
即答だった。
「まだ泳がせて。」
「しかし、逃げられる可能性もございます。」
「構いません。」
ヴィオレットは二枚の紙へ視線を落とす。
「ここで末端を一人捕らえても、また糸を切られます。」
昨夜の刺客が脳裏をよぎる。
捕らえられた瞬間、男は何一つ語らず、自ら毒を噛んだ。
あれほど徹底している者たちだ。
今ここで一人を捕らえたところで、その先へ辿り着ける保証はない。
「今度はこちらから、糸を切らせません。」
紫色の瞳が、静かに細められる。
「荷を受け取った後、どこへ運ぶのか。誰と会うのか。その先に誰がいるのか。全部追って。」
「承知いたしました。」
「ただし、気づかれないように。相手がこちらを警戒した時点で、追跡は打ち切って構いません。」
「よろしいので?」
「ええ。無理に追って、また痕跡を消される方が困ります。」
「かしこまりました。」
男は深く一礼し、部屋を後にした。
◇
一人になった部屋。
ヴィオレットはもう一度、机の上を見る。
酒瓶。
灰色亭。
木札。
焼き印。
ヴァルティエ領へ運ばれた荷。
アンを狙った刺客。
そしてその刺客と繋がっていた、東倉庫街の男。
ばらばらだった糸が、少しずつ一本へ纏まり始めている。
「……アレン卿。」
依頼人である、若き領主。
「アンさん。」
王都で出会った、家名を名乗らない旅の女性。
二人がどういう関係なのかは、まだ分からない。
けれど、同じ真実を追っている。
それだけは、もう疑いようがなかった。
ヴィオレットは木札の焼き印を指先でなぞる。
「もう少しです。」
誰に聞かせるでもなく。
小さく呟いた。
「必ず、辿り着いてみせます。」
アレンから受けた依頼。
そして、自分の目の前で命を狙われたアン。
最初は別々だった二つが、いつの間にかヴィオレットの中でも、一つの事件として繋がり始めていた。




