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第27話 偶然の茶会


 王都で木札について聞き込みを始めて、二日目。


 成果らしい成果は、まだ得られていなかった。


「……。」


 アンは店を出ると、懐へ木札を戻した。


 知らない。


 見たことがない。


 返ってくる答えは、どこへ行っても似たようなものばかり。


 けれど全員が本当に知らないわけではない。


 焼き印を見た瞬間、僅かに目を逸らす者。


 急に口数が減る者。


 話を切り上げようとする者。


 昨日の馬車屋だけではなかった。


(やっぱり、何かある。)


 知っている。


 けれど、話したくないというより。


(……話せない?)


 何かを恐れている。


 そんな印象の方が強かった。


「焦っても仕方ないか。」


 朝から歩き続けている。


 アンは通りを見回し、近くにあった喫茶店へ入った。


     ◇


 店内には商人や旅人らしい客が、ちらほらと座っていた。


 アンは窓際の席へ案内される。


「紅茶と、軽く食べられるものをお願いします。」


「かしこまりました。」


 ようやく一息つき、窓の外へ目を向ける。


「午後はもう少し南側を――」


 そこまで呟いた時、入口の扉が開いた。


「いらっしゃいま――」


 店主の声が途中で変わる。


「これはヴィオレット様。ようこそお越しくださいました。」


(え?)


 アンが思わず振り返る。


 そこにいたのは昨日、街で偶然見かけた令嬢だった。


 ヴィオレット・ローラン。


 淡い紫色の髪。


 透き通るような白い肌。


 華奢な身体を包む、可憐なドレス。


 侍女が白い日傘を受け取り。


 ヴィオレットは柔らかく微笑んだ。


「突然申し訳ありません。空いているお席はございますか?」


「もちろんでございます。すぐにご用意いたします。」


 店内の視線が、自然とヴィオレットへ集まる。


 滅多に外出しない、病弱な侯爵令嬢。


 そして、社交界の花。


 注目されるのも無理はなかった。


(昨日に続いて、今日も会うなんて。)


 アンは少し驚きながらも、すぐに視線を戻した。


 今の自分はヴィオレットにとって、ただの黒髪の旅人だ。


 わざわざ気にする必要は――


「……。」


 ヴィオレットの足が止まった。


 紫色の瞳が、窓際へ向けられている。


(……また、こっち見てる?)


 目が合った。


 昨日とは違いヴィオレットは、すぐに視線を外さなかった。


 隣にいる侍女へ小さく何かを囁く。


 侍女が頷き、こちらへ歩いてきた。


(え。)


「失礼いたします。」


「はい。」


 アンは姿勢を正した。


「お嬢様が、もしご迷惑でなければ、ご一緒させていただけないかと申しております。」


「……私と、ですか?」


「はい。」


 思いもよらない申し出だった。


 アンはヴィオレットを見る。


 少し離れた場所から、こちらへ柔らかな微笑みを向けている。


「私でよろしければ。」


「ありがとうございます。」


 侍女が椅子を引き、ヴィオレットが向かいへ腰を下ろした。


「突然お声を掛けてしまって、申し訳ございません。」


「いいえ。少し驚きましたけれど、私でよろしければ。」


 アンは柔らかく微笑む。


「ヴィオレット・ローラン様ですね。」


 ヴィオレットが僅かに目を瞬かせた。


「私をご存じなのですか?」


「もちろんです。社交界の花と呼ばれる方を、王都で知らない方は少ないでしょう。」


「まあ。」


 ヴィオレットが困ったように笑う。


「少々、恥ずかしい呼ばれ方ですわね。」


「でも、とてもお綺麗ですから。」


「……。」


 ヴィオレットが瞬きをする。


(あ。)


 アンも一瞬遅れて気づいた。


 思ったことをそのまま口にしてしまった。


「申し訳ありません。つい。」


「いいえ。ありがとうございます。」


 ヴィオレットは口元へ手を添える。


 ほんの少し、嬉しそうだった。


「私はヴィオレット・ローランと申します。」


「私はアンです。」


「アン様。」


「様なんて必要ありません。」


「では、アンさんと。」


「はい。」


 ヴィオレットが微笑む。


「アンさんは、王都の方ではありませんよね?」


「はい。旅の途中で立ち寄りました。」


「お一人で?」


「ええ。」


「まあ。お強いのですね。」


「慣れていますから。」


 答えてから、アンは紅茶へ手を伸ばした。


 これ以上、自分について詳しく話すつもりはない。


 ヴィオレットもそれを察したのか。


「王都はいかがですか?」


 それ以上踏み込まず自然に話題を変えた。


「賑やかで楽しいところですね。見るものも多くて、毎日歩き回っています。」


「お気に召した場所は?」


「市場ですかね。」


「市場?」


「はい。いろいろな人がいますから。見ているだけでも面白いです。」


 それは、アレンとしても本心だった。


 領地でも、王都でも街を見るのは好きだ。


「ヴィオレット様は、よくこちらへ?」


「体調の良い時だけです。ここのお菓子が好きなのです。」


「そうなんですね。」


 ちょうど運ばれてきた焼き菓子を見て、ヴィオレットの表情が、ほんの少し嬉しそうに緩んだ。


 アンは思わず笑う。


「……何でしょう?」


「いえ。甘いもの、お好きなんだなと思って。」


「ええ。こちらのお菓子は特に。」


「なんだか意外です。」


「そうでしょうか?」


「はい。ヴィオレット様って、もう少し――」


 そこで。


 アンは言葉を止めた。


「もう少し?」


「……何でもありません。」


「気になります。」


「言ったら怒りません?」


「内容によりますね。」


「それじゃ言いづらいなぁ。」


 普段の口調が出かけて、アンは僅かに目を見開く。


「……言いづらいです。」


 言い直した。


 ヴィオレットが、僅かに首を傾げる。


「……。」


「ヴィオレット様?」


「いいえ。何でもございません。」


「そうですか?」


「ええ。」


 ヴィオレットは微笑む。


 けれど、今の一瞬。


 言葉遣いが変わった。


 たったそれだけなのに。


 何故か耳に残った。


 アンは紅茶へ口をつける。


 向かいに座るヴィオレットを気づかれない程度に見る。


 最初は本当に病弱な令嬢だと思っていた。


 実際、今こうして目の前にいても。


 華奢で。


 儚げで。


 少し無理をすれば倒れてしまいそうに見える。


 なのに以前、腕を掴まれた時、振りほどこうとしても簡単には外れなかった。


 見た目からは想像できないほど、力が強かった。


 それに夜会では、自分が口をつけるより先に、酒へ薬が入っていることに気づいた。


(……やっぱり、よく分からない人だな。)


 病弱な令嬢。


 そう考えれば説明のつかないことが、いくつかある。


 だからといって、何かを疑うほどの理由もない。


「アンさん?」


「……あ。」


「どうかなさいました?」


「いいえ。」


 アンは誤魔化すように微笑んだ。


「ヴィオレット様は、本当にお綺麗だなと思いまして。」


「まあ。」


 ヴィオレットが僅かに目を見開く。


「先ほども仰ってくださいましたね。」


「思ったことを口にしてしまう癖があるみたいです。」


「ふふ。そうなのですね。」


 ヴィオレットが笑う。


 アンもつられて笑った。


 こうして話していると、余計に分からなくなる。


 けれど不思議と、嫌な感じはしなかった。


 一方、ヴィオレットも。


 アンを静かに観察していた。


 昨日、通りで目が合った時。


 自分の礼へ応えようとして、一瞬だけ右手が腰へ伸びた。


 ドレスの裾を摘むような仕草。


 けれどアンが身につけていたのは旅装だった。


 今日は、そんな間違いはしない。


 最初から今の服装に合った振る舞いをしている。


 それでも、紅茶を持つ指先。


 食器の扱い。


 背筋。


 言葉遣い。


 どれも、旅をしている女性というだけでは説明できないほど、洗練されている。


(きちんと教育を受けた方……。)


 おそらく、それなりの家の出身なのだろう。


 けれど家名を名乗らない。


 ただアン。


 それだけ。


(事情がおありなのでしょうね。)


 なら無理に聞く必要はない。


 自分だって人に知られたくない顔を持っている。


 名乗りたくないこと。


 隠しておきたいこと。


 誰にでも一つくらいはあるものだ。


     ◇


 しばらくして、アンは頬へ落ちてきた黒髪を何気なく耳へ掛けた。


「……。」


 その瞬間。


 ヴィオレットの視線が止まった。


 耳の後ろ。


 髪に隠されていた場所に、小さな黒子がある。


(黒子……。)


 ヴィオレットは、ほんの一瞬だけ、それを見つめた。


 どこにでもある小さな黒子。


 ただ、それだけ。


 なのに妙に印象へ残った。


「ヴィオレット様?」


「……あ。」


 アンの声で、ヴィオレットは我に返る。


「申し訳ありません。少し考え事を。」


「お疲れですか?」


「いいえ。大丈夫です。」


「無理しない方がいいですよ。」


「ありがとうございます。」


 ヴィオレットは微笑む。


 アンも、それ以上は何も言わなかった。


 けれどヴィオレットの中には、昨日から感じていた小さな違和感が少しずつ積み重なっていた。


 初めて見る顔。


 知らない声。


 黒い髪。


 深い藍色の瞳。


 どこかで見たような感覚がある。


(……どこで?)


 考えても答えは出なかった。


     ◇


 やがて、ヴィオレットが席を立った。


「そろそろ失礼いたします。」


「もう大丈夫なんですか?」


「ええ。今日は調子が良いので。」


「それならよかった。」


 アンも立ち上がる。


「突然でしたのに、お付き合いいただいてありがとうございました。」


「こちらこそ。楽しかったです。」


「私もです。」


 二人は向かい合い軽く一礼を交わした。


 今度は、アンの身体が迷うことはなかった。


 旅装に合わせた自然な礼。


 ヴィオレットはそれを見て、ほんの僅かに目を細める。


「それでは、アンさん。」


「はい。」


「またお会いできましたら。」


「その時は、ぜひ。」


 ヴィオレットは柔らかく微笑むと、侍女とともに店を出ていった。


「……。」


 アンは窓から二人を見送った。


 やがて、小さく息を吐く。


「不思議な人だな。」


 病弱な令嬢にしか見えないのに。


 会うたびに、その印象から少しだけ外れるところが見える。


 けれど今日、二人で話してみて分かったこともある。


 相手が話したくなさそうなことには、無理に踏み込まない。


 甘いものが好きで、笑えば年相応の少女に見える。


「……。」


 アンは、ヴィオレットが座っていた椅子を見る。


 気になることはいくつもある。


 それでも今日一番強く残っているのは、疑問ではなかった。


「楽しかったな。」


 ぽつりと零れる。


 アンは残っていた紅茶へ口をつけた。


     ◇


 一方。


 店を出たヴィオレットは、侍女と並んで歩いていた。


「お嬢様。」


「何?」


「随分と楽しそうでございましたね。」


「そう見えた?」


「ええ。」


 ヴィオレットは少しだけ笑う。


「不思議な方だったわ。」


「家名はお尋ねにならないのですか?」


「ええ。名乗らないということは、名乗りたくない理由がおありなのでしょう。無理に聞く必要はないわ。」


「なるほど。」


 侍女が頷く。


 少し歩いてからヴィオレットは、何気なく自分の耳の後ろへ触れた。


 先ほど見えたアンの小さな黒子。


「……。」


「お嬢様?」


「昨日も思ったのだけれど。」


 黒髪の旅人。


 初めて見る顔。


 知らない声。


 それなのに何かが引っかかる。


 昨日の礼、洗練された所作。


 一瞬だけ崩れた口調。


 そして耳の後ろの黒子。


 どれも一つだけなら、何でもない。


 けれど。


「……いいえ。」


 ヴィオレットは小さく首を振った。


「まだ、何でもないわ。」


 答えを決めるには早すぎる。


 ただ自分でも少し意外だった。


 市場で木札について聞き回っている黒髪の旅人。


 その正体を探るために声を掛けたはずだった。


 それなのに気づけば、普通に話して。


 笑って。


 アンとの時間そのものを楽しんでいた。


「また、お会いできるかしら。」


 ヴィオレットが小さく呟く。


 侍女は隣で何も言わず、僅かに微笑んだ。


 互いに相手へ小さな疑問を抱きながら、それでも、もう一度話してみたいと思っている。


 短い茶会は二人の間に、新しい興味と、まだ正体の分からない違和感を残して終わった。


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