第26話 静かな波紋
翌朝。
アンは宿を出ると、例の木札を懐へしまい、市場へ向かった。
昨日とは反対側の通り。
今日は商人だけではなく、木工職人や馬車屋、荷箱を扱う店にも話を聞くつもりだった。
焼き印の意味が分からなくても木札そのものから、何か手掛かりが得られるかもしれない。
◇
「失礼します。」
アンは一軒の木工店へ入った。
店内には、大小さまざまな木箱や木製品が並んでいる。
奥で作業をしていた職人が顔を上げた。
「何かお探しで?」
「少しお尋ねしたいことがあるのですが。」
アンは懐から木札を取り出した。
「このような木札を見たことはありませんか?」
職人は受け取ると、表を見て、裏返す。
縁を指先でなぞり、焼き印へ目を向けた。
「……似たようなもんなら、いくらでもあるな。」
「こちらの焼き印は?」
「いや。見たことねぇ。」
「そうですか。ありがとうございました。」
「役に立てなくて悪いな。」
「いいえ。十分です。」
丁寧に一礼し、アンは店を後にした。
それからも、一軒。
また一軒と店を回った。
「知らないねぇ。」
「うちで作ったものじゃないな。」
「焼き印も見覚えがない。」
返ってくる答えは、どこも似たようなものだった。
そして昼を過ぎた頃。
アンは市場の外れにある、小さな馬車屋へ入った。
「こんにちは。」
「いらっしゃい。馬車をご入用で?」
「いいえ。今日は少し伺いたいことがあって。」
アンは木札を差し出した。
「こちらをご存じありませんか?」
「木札?」
男が何気なく受け取る。
そして、焼き印を見た瞬間。
「……。」
ほんの僅かに指が止まった。
アンは何も言わない。
男はすぐに木札を返した。
「知らんな。」
「そうですか。」
「ああ。見たこともない。」
先ほどまでとは違い、男はアンと目を合わせようとしない。
「お仕事中に申し訳ありませんでした。ありがとうございます。」
「……いや。」
アンはそれ以上尋ねず、木札を懐へ戻した。
そのまま店を出る。
しばらく歩いてから。
「……知ってる。」
小さく呟いた。
少なくともあの男は何かに反応した。
木札そのものか、焼き印か。
そこまでは分からない。
だが、初めて見た物への反応ではなかった。
(問い詰めても話さないだろうな。)
なら別のところから探ればいい。
アンは振り返ることなく、市場の奥へ歩いていった。
◇
「なあ。」
アンの姿が見えなくなった頃。
向かいの店にいた商人が、隣の男へ声を掛けた。
「あの黒髪の旅人、朝から何軒回ってる?」
「さあな。ずっと何か聞いて回ってるぞ。」
「木札を見せてるらしい。」
「木札?」
「ああ。何を調べてるんだろうな。」
男は遠ざかる黒髪を見た。
「知らん。まあ、旅人にしちゃ妙ではあるな。」
それだけ言うと二人は仕事へ戻った。
けれど人の出入りが多い市場では、目立つ行動は、思っている以上に人の目へ残る。
黒髪の旅人が何かを探している。
そんな小さな話が少しずつ、市場の中へ広がっていった。
◇
夕暮れ。
ローラン邸。
一人の男が裏口から屋敷へ入り、使用人たちと言葉を交わすこともなく、奥へ進んでいく。
やがてある部屋の前で足を止めた。
「失礼いたします。」
「どうぞ。」
中から聞こえたのは、ヴィオレットの声だった。
男が部屋へ入り、静かに頭を下げる。
「市場から、少し気になる報告が。」
書類を読んでいたヴィオレットが顔を上げた。
「聞かせて。」
「朝から一人の女性が、商人や木工職人、馬車屋などを回って聞き込みをしております。」
「どのような方?」
「黒髪の若い女性です。旅人のような格好をしていると。」
「……黒髪?」
ヴィオレットの手が止まった。
昨日、街で見かけた女性が脳裏をよぎる。
「何を聞いているの?」
「木札についてです。」
「木札?」
「焼き印の付いたものを見せているそうです。」
「……。」
ヴィオレットの表情から、僅かに笑みが消えた。
「焼き印の形は?」
「そこまでは確認できておりません。」
「そう。」
焼き印のある木札など王都にはいくらでもある。
けれどこの時期に、わざわざ市場を歩き回り、その出所を探している黒髪の旅人。
そして自分もまた、アレンから依頼された木札を追っている。
「その方には何もしないで。」
「承知しております。」
「ただ、どこへ行くのかだけ見ておいて。接触する必要はないわ。」
「かしこまりました。」
男は一礼し部屋を出ていった。
一人になったヴィオレットは、椅子の背へ身体を預ける。
「黒髪の旅人……。」
昨日。
偶然、目が合った女性。
見覚えのない顔だった。
それなのに、何故か気になった。
令嬢の挨拶へ応じようとした時。
一瞬だけ、その手が腰元へ伸びた。
旅装には摘まむような裾などなかったのに。
「……。」
それだけなら、淑女教育を受けた女性が、旅装をしていただけとも考えられる。
だがその女性が今日、焼き印のある木札を探している。
「偶然……かしら。」
まだ何かを断定するには早い。
ヴィオレットは窓の外へ目を向けた。
ただ昨日よりも、黒髪の旅人への興味が、少しだけ強くなっていた。
◇
その頃。
宿へ戻ったアンは、机の上へ木札を置いていた。
「……一人いた。」
馬車屋の男。
あの反応は見間違いではない。
木札を見た瞬間、明らかに手が止まった。
それなのに、何も知らないと言った。
「知っていても、話せない……か。」
だとすれば。
やはり、この印は表立って使われるものではないのだろう。
アンは木札を指先で回した。
問い詰めることもできる。
領主アレンとしてなら、もっと強引な調べ方だってできる。
けれど今の自分は、ただの旅人だ。
だからこそ、相手に警戒されずに見えるものもある。
「焦らなくていい。」
一度で答えが見つかるとは思っていない。
少しずつ拾えるものを拾えばいい。
「必ず辿り着く。」
アンは木札を握った。
ただ、自分が焼き印を探して歩いたことで、王都の市場に、小さな波紋が広がり始めていることをアンはまだ知らない。
そしてその波紋を、ヴィオレットもまた静かに拾い上げていた。




