第24話 アン
数日後。
ヴァルティエ邸の執務室。
アレンは届いた報告書へ最後まで目を通すと、静かに息を吐いた。
「……駄目か。」
「南側では、それ以上の足取りは掴めなかったようですね。」
「うん。」
西地区の倉庫街で、例の焼き印と同じ可能性のある荷が、別の荷車へ積み替えられた。
その荷車が向かったのは南。
そこでアレンは南へ続く道沿いの宿場や倉庫、荷車を預かれる場所、荷を積み下ろしできそうな場所を調べさせていた。
だが途中までは目撃されているものの、その先の足取りは途絶えていた。
「街道を外れたのかな。」
「あるいは、再び荷を積み替えた可能性もございます。」
「西地区と同じことをされたら、荷車を追っても意味ないもんね。」
アレンは報告書を机へ置いた。
王都の灰色亭。
姿を消した偽商人。
酒瓶の刻印。
老人から渡された木札。
その木札と同じ焼き印を付けた可能性のある荷。
そして、ヴァルティエ領西地区で行われた積み替え。
少しずつ。
繋がりは見えてきている。
けれど。
誰が。
何を。
何のために運んでいるのか。
肝心なところだけが、まだ見えない。
「……行き先を追うだけじゃ駄目か。」
「と、申しますと?」
「逆から調べる。」
アレンは机の上に広げた領内の地図へ目を落とした。
「例の荷は、王都方面から西地区へ入ってきた可能性が高い。」
「はい。」
「だったら、王都で出どころを探した方が早いかもしれない。」
灰色亭で見つかった木札。
そしてヴァルティエ領まで運び込まれた、同じ焼き印を付けた可能性のある荷。
どちらも王都へ繋がっている。
「もう一度、王都で調べたい。」
「灰色亭へ?」
「そこだけじゃない。」
アレンは首を横に振る。
「帳簿に残らない荷を扱ってる運び屋とか。積み替えに使われてる場所とか。」
「表ではなく、裏の流通をお調べになるのですね。」
「うん。」
送り主の名前も、受取先の名前も残さない。
焼き印だけで荷を流す。
そんな仕組みがあるのなら、普通の商人や商人組合へ聞いても、答えが出ないのは当然だった。
「もう少し深いところまで調べてみたい。」
「ですが。」
リリアが僅かに眉を寄せる。
「最近、アレン様は王都へ赴かれることが増えております。」
「……そうなんだよね。」
灰色亭の調査。
収穫祭の会議。
そのほかにも、領主として王都へ赴く機会が続いている。
そして先日、レオンハルトにも言われた。
『最近は、王都へよく足を運ばれているそうですな』
ただの世間話だったのかもしれない。
けれど、続けて。
『王都には、表からは見えぬ場所も多い』
そう忠告された。
「……。」
アレンの目が僅かに細くなる。
「アレン様?」
「いや。」
考えすぎかもしれない。
今のところ。
レオンハルトを疑うだけの根拠はない。
それでも、自分の動きを気にしている者がいる可能性は考えておいた方がいい。
「また僕が王都へ行ったら、さすがに目立つか。」
「はい。領主が頻繁に領地を空けることにもなります。」
「……。」
アレンは少し考えた。
やがて、ふっと口元を緩める。
「じゃあ、大丈夫。」
「……アレン様?」
「僕が行かなければいいんでしょ。」
「と、申しますと?」
アレンは椅子から立ち上がった。
「リリア。」
「はい。」
「影武者をよろしくね。」
その一言で、リリアはすべてを察した。
「……承知しました。」
「話が早くて助かる。」
「長年お仕えしておりますので。」
「それ、最近よく言うよね。」
「事実でございますから。」
リリアは何食わぬ顔で答える。
アレンは苦笑し、机の上の報告書を手に取った。
「領地には、アレンがいる。」
「はい。」
「王都へ行くのは――」
僅かに笑う。
「アンだよ。」
◇ ◇ ◇
自室へ戻ったアレンは、鏡の前に立った。
上着を脱ぎクラバットを外す。
男物のシャツも脱いでいく。
そして、胸元へ手を伸ばした。
幾重にも巻かれたさらしを、ゆっくりと解いていく。
締め付けから解放された瞬間。
「……やっぱり楽。」
アレンが大きく息を吐く。
「毎回おっしゃいますね。」
後ろに控えていたリリアが答えた。
「だって本当に楽なんだよ。」
「でしたら、普段からもう少し緩くなされては?」
「それじゃ身体の線が出るでしょ。」
「左様でございますね。」
「分かってて言った?」
「さて。」
「絶対分かってた。」
さらしを完全に外す。
男として見せるために作られていた身体の輪郭が消え、本来の女性らしい身体へ戻る。
けれどこれだけでは、アレン・ヴァルティエを知る者なら気付く可能性がある。
アレンは椅子へ腰掛けた。
リリアが短い金髪を丁寧にまとめ、その上から黒髪のウィッグを被せていく。
艶やかな黒髪が、肩を越え、背中を流れ、腰近くまで落ちた。
「次は目を。」
「うん。」
青い瞳へ、深い藍色のカラコンを入れる。
鏡の中の印象がまた一つ変わった。
最後に着替えたのは旅人らしい、動きやすい服装だった。
華美ではない。
かといって粗末すぎるわけでもない。
王都へ出入りする旅人たちの中へ紛れてしまえば、わざわざ目を留める者もいない。
「……どう?」
アレンが立ち上がる。
そこにいるのはもう、領主アレン・ヴァルティエではなかった。
腰まで流れる黒髪。
深い藍色の瞳。
さらしを外した女性らしい身体つき。
そして人混みに紛れても違和感のない、旅人の装い。
どこから見ても王都を訪れた、一人の旅人だった。
リリアがしばらく見つめ、感心したように息を吐く。
「何度拝見しても、お見事です。」
「そんなに違う?」
「ええ。アレン様を知る者ほど、同一人物とは思わないでしょう。」
「それなら安心かな。」
アレン――アンは鏡の前で一度だけ身体を回した。
黒髪が遅れて背中を流れる。
「ウィッグ、大丈夫?」
「はい。固定しておりますので、少々動いた程度では外れません。」
「さすがに王都の真ん中で外れたら困るからね。」
「その時は。」
「その時は?」
「走って逃げてくださいませ。」
「助けてよ。」
「冗談でございます。」
「リリアが言うと冗談に聞こえないんだよなぁ……。」
リリアが僅かに笑う。
「声もお願いいたします。」
「分かってるよ。」
一度。
軽く咳払いする。
そして普段の少し低く作った声ではなく、本来の柔らかな声で口を開いた。
「これならどう?」
「問題ございません。」
「よかった。」
アンが微笑む。
その笑い方さえ、普段のアレンとは少し違って見える。
アレンとしている時は相手にどう見えるのかを、常に意識してきた。
領主らしく。
男らしく。
時には遊び人らしく。
けれどアンには、その必要がない。
領主でも貴族でもない。
ただの旅人。
王都の人混みへ紛れ、誰の記憶にも残らず歩けばいい。
「久しぶりだな、これ。」
アンが黒髪を一房摘まむ。
「お似合いですよ。」
「ありがとう。」
それから改めて鏡の中の自分を見る。
「領地には、アレンがいる。」
「はい。」
「だから。」
鏡に映る黒髪の女性が、静かに微笑む。
「王都へ行くのは、旅人のアン。」
「こちらはお任せください。」
「お願い。」
◇ ◇ ◇
翌朝。
一台の馬車が、ヴァルティエ領を出た。
乗っているのは王都へ向かう一人の女性。
旅人、アン。
領主アレン・ヴァルティエの姿はない。
――その頃。
ヴァルティエ邸では。
「アレン様。こちらが本日の書類です。」
「ああ、そこへ置いてくれ。」
執務机に座るアレンが。
いつもと変わらず仕事をしていた。
金色の短い髪。
男物の衣服。
少し低めの声。
使用人が見ても領主アレン・ヴァルティエそのものだった。
誰も疑わない。
誰も気付かない。
領地には、アレン。
王都へ向かう馬車には、アン。
同じ時刻。
本来なら一人しか存在しないはずの人物が二つの場所に存在している。
馬車の窓から流れる景色を眺めながら、アンは黒髪を耳へ掛けた。
今回追うのは帳簿には残らない荷。
焼き印だけで受取先を識別する運び屋。
そして王都から自分の領地へ入り込んだ、その経路。
「さて。」
アンが小さく笑う。
「どこから調べようかな。」
領主アレンでは目立ちすぎる場所を今度は、名もない旅人として歩く。
それが二十年間いくつもの顔を使い分けてきたアレンだからこそできる、もう一つの調査方法だった。




