第20話 表にない印
翌朝。
ヴァルティエ邸の執務室。
アレンは机の上に置いた小さな木札を、じっと見つめていた。
灰色亭へ出入りしていた商人、その男が運び込んだ荷箱から落ちたものだという。
端には、黒い焼き印が一つ。
昨日までに商人組合へ照会したものの、この印に該当する商会も、運送業者も見つからなかった。
「……リリア。」
「はい。」
「やっぱり、実際に荷を扱ってる人にも見てもらいたい。」
「商人組合からは、すでに回答をいただいておりますが。」
「うん。でも、組合に登録されてない印だからって、誰も使ってないとは限らないでしょ?」
正式な商会の印ではない。
それは分かった。
けれど、荷を扱う現場だけで使われる印なら、商人組合の記録に残っていなくても不思議ではない。
「古くから付き合いのある商人を、何人か呼べる?」
「承知いたしました。」
「大勢には見せなくていい。信用できる人だけでお願い。」
「かしこまりました。」
リリアが一礼して部屋を出ていく。
アレンはもう一度、木札へ目を落とした。
瓶底に刻まれていた印とは違う。
しかし、どちらも同じ商人へ繋がっている。
まだ無関係と切り捨てるには早かった。
◇ ◇ ◇
その日の午後。
領内で長く商いを続けている三人の商人が、領主館へ招かれた。
「突然呼び立ててごめんね。」
「とんでもございません。」
「少し、見てもらいたいものがあるんだ。」
アレンは布に包んでいた木札を取り出した。
「この印に、見覚えはある?」
最初の商人が受け取る。
表。
裏。
焼き印。
念入りに確かめてから、首を横へ振った。
「申し訳ございません。存じません。」
「商会の印だと思う?」
「少なくとも、私が知る商会のものではございませんね。」
二人目も同じだった。
「王都との取引もございますが、この印は見たことがありません。」
「そっか……。」
やはり。
簡単にはいかない。
そう思った時だった。
三人目。
年配の商人が、木札を手にしたまま黙り込んでいた。
「何か気になる?」
「……印そのものに、見覚えはございません。」
「うん。」
「ただ。」
商人は指先で木札の端をなぞった。
「この使い方なら、見たことがございます。」
アレンの表情が変わる。
「どういうこと?」
「商会の印ではなく、荷を仕分けるための目印です。」
「仕分け?」
「はい。」
商人は木札を机へ置いた。
「大きな倉庫や荷役場では、一度に多くの荷が集まります。その際、行き先や扱う者を一目で判別できるよう、文字の代わりに印を使うことがございます。」
「じゃあ、この印も……。」
「可能性はございます。」
商人は慎重に答えた。
「ただし、普通なら番号や文字も併記することが多い。これほど簡素なものは珍しいですね。」
「印だけ。」
「はい。」
「知らない人が見ても、何の荷か分からない。」
「そうなります。」
アレンは木札を見る。
送り主を示すものでも。
商会を示すものでもない。
もし、特定の場所で特定の者たちだけが使っていた印なら。
「……なるほど。」
アレンが小さく呟く。
探すべきものが、少し変わった。
「この印を使ってる商人を探すんじゃなくて。」
「はい?」
「この印を使って、荷を仕分けてる場所を探せばいいのかもしれない。」
商人が頷く。
「その方が可能性はあるかと。」
「ありがとう。」
アレンは木札を受け取った。
「かなり参考になった。」
「お役に立てたのでしたら何よりです。」
◇ ◇ ◇
夕方。
三人の商人を見送ったあと、アレンは執務室へ戻っていた。
「収穫はございましたね。」
「うん。」
机には木札と、瓶底の刻印を書き写した紙が並んでいる。
「木札の印は、商人を示すものじゃない可能性が高い。」
「荷の仕分けに用いる印。」
「うん。だとしたら。」
アレンは木札を指先で押さえる。
「あの商人が、どこから荷を持ってきたのか。それとも、どこへ運ぼうとしてたのか。」
「荷の経路を調べる必要がございますね。」
「そうなる。」
アレンは少し考え。
引き出しから便箋を取り出した。
「情報屋にも追加でお願いしよう。」
「印そのものではなく?」
「両方。」
ペンを走らせる。
木札の焼き印について。
商人組合には該当する登録がなかったこと、領内の商人にも印そのものを知る者はいなかったこと。
ただし、倉庫や荷役場で、荷を仕分けるために使う印に似ているとの証言が得られたこと。
そして灰色亭へ荷を持ち込んでいた商人が、王都のどこで荷を受け取り、どこを経由していたのか。
「……これでいいかな。」
「十分かと。」
リリアが手紙を受け取る。
「いつもの窓口へ届けてまいります。」
「お願い。」
「承知いたしました。」
リリアが部屋を出ていく。
一人になったアレンは、机の上の木札を見つめた。
名前の分からない商人。
出どころの分からない酒。
意味の分からない瓶底の印。
そして荷箱へ付けられていた、もう一つの印。
今まで商人そのものを追っていた。
けれど、本人がすでに姿を消しているのなら、別のものを追えばいい。
「荷物は……どこから来たんだろう。」
商人が消えても荷を運んだ道まで消えるわけではない。
倉庫。
荷役場。
運搬経路。
どこかに痕跡が残っているかもしれない。
アレンは木札を布へ包み、慎重に引き出しへ戻した。
「焦らず、一つずつ。」
そう自分へ言い聞かせる。
相手に気付かれないよう。
確実に辿っていくために。
けれどアレンはまだ知らなかった。
自分がそう考え始めた頃には、すでに相手もアレンがどこまで辿り着いているのかを、探り始めていたことを。




