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第2話 社交界の花


 王都にあるローゼン宮殿。


 今夜開かれている夜会は、王国でも指折りの規模を誇るものだった。


 広間へ足を踏み入れたアレンは、集まった人々を見渡して小さく息を吐く。


「……人、多いな。」


 誰にも聞こえない程度に呟く。


 けれど。


 次の瞬間には、いつもの穏やかな笑みを浮かべていた。


「アレン卿。」


「こんばんは。」


「今夜も随分とお忙しそうですな。」


「僕はいつも通りですよ。」


 声を掛けてくる貴族たちへ挨拶を返していく。


 政治の話。


 今年の収穫。


 各地の商況。


 王都で流れている噂。


 笑って話しながらも、必要な情報だけは聞き逃さない。


 夜会は、アレンにとって遊びの場ではない。


 人と会い、情報を集め。


 領地へ持ち帰るものを選別する。


 仕事の延長だった。


 もっとも周囲からは、そう見えていないらしい。


「アレン様!」


 華やかな声と共に、二人の令嬢が近づいてくる。


「今夜こそ一曲お願いいたします!」


「この前も先約があると仰ったではありませんか!」


「そうだった?」


「覚えていらっしゃらないのですか!?」


 アレンは困ったように笑う。


「ごめんね。でも、今夜も先約があるんだ。」


「またですか!」


「いったい、どなたなのです?」


「それは秘密。」


「ずるいです!」


 二人は不満そうに頬を膨らませる。


 それでも。


 本気で怒っているわけではない。


「次は絶対ですよ!」


「覚えておくよ。」


「本当に?」


「もちろん。」


 笑顔で答えると。


 二人も最後には笑いながら離れていった。


 その背中を見送り。


 アレンは手にしたグラスへ口をつける。


(……先約なんてないけど。)


 今日も無事に断れた。


「相変わらず人気者だな、アレン卿。」


 低い声が聞こえた。


 アレンが振り返る。


「ラミレス公爵。」


 レオンハルト・アルマダ・ラミレス。


 王都でも大きな影響力を持つ公爵だ。


 穏やかな笑みを浮かべながら、こちらへ歩いてくる。


「先ほどから令嬢たちが、あなたの周りを離れない。」


「ありがたいことです。」


「その割には、随分と断っているようだが。」


「全員のお相手をしていたら、朝になってしまいますよ。」


「はは。それもそうだ。」


 レオンハルトが楽しそうに笑う。


「しかし、若いうちは遊べるうちに遊んでおくものだ。」


「公爵から勧められるとは思いませんでした。」


「評判になれば、今さら一人二人増えたところで変わらんだろう。」


「酷い言われようですねぇ。」


 アレンは苦笑した。


 レオンハルトも笑う。


 表面上はただの世間話だった。


「ところで。」


「はい?」


「ヴァルティエ領は、随分と持ち直したそうだな。」


「おかげさまで。」


「ご両親を亡くしてから十五年か。」


「……ええ。」


「幼くしてあれほど荒れていた領地を引き継ぎ、よく立て直したものだ。感心しているよ。」


「ありがとうございます。」


 アレンは笑顔のまま答えた。


 褒められること自体は珍しくない。


 けれど何となく、ほんの僅かな違和感があった。


 それだけだ。


「今後とも、良い付き合いをしたいものだ。」


「こちらこそ。」


 二人は軽くグラスを合わせる。


 その時だった。


 広間の入口が、にわかにざわついた。


「来たぞ。」


「まさか本当に出席するとは。」


「ローラン家のご令嬢だ。」


「社交界の花か。」


 あちこちから声が上がる。


 アレンもつられて入口へ目を向けた。


 そこに一人の女性が立っていた。


 艶やかな紫色の髪。


 白い肌。


 柔らかな色合いの可憐なドレス。


 華やかな夜会の中にいても、不思議と目を引く。


(……綺麗だ。)


 素直にそう思った。


 昨夜。


 招待状の出席者一覧で見た名前を思い出す。


 ヴィオレット・ローラン。


 社交界の花と呼ばれる令嬢。


 ただし夜会へ顔を出すことは滅多にない。


 病弱であることでも知られている。


 ヴィオレットはゆっくりと広間へ入ってきた。


 一歩後ろには侍女が控えている。


 歩みも、他の令嬢より僅かに遅い。


(本当に身体が弱いんだ。)


 噂は本当らしい。


「珍しいものを見られたな。」


 まだ隣にいたレオンハルトが言う。


「ローラン家の娘が、この規模の夜会へ出るとは。」


「そんなに珍しいんですか?」


「滅多にない。身体が弱いからな。」


「そうですか。」


 ヴィオレットは王族への挨拶を終えると。


 周囲の貴族たちから次々に声を掛けられ始めた。


 その受け答えも。


 仕草も。


 完璧な令嬢そのものだ。


「どうだ、アレン卿。」


「何がです?」


「美しいだろう。」


「ええ。綺麗な方ですね。」


「あなた好みでは?」


「どうでしょう。」


「女好きのあなたが随分と淡泊だな。」


「僕にも好みくらいありますよ。」


「これは失礼。」


 レオンハルトが笑う。


 アレンも笑って返した。


 けれど特別な興味を持ったわけではない。


 どれほど美しい女性であっても。


 アレンにとって夜会は仕事だ。


 恋人を探しに来ているわけではない。


「では、私はこれで。」


「はい。」


 レオンハルトが別の貴族のもとへ向かっていく。


 アレンも再び周囲の会話へ意識を戻した。


 しばらくして。


「アレン卿。」


 隣にいた伯爵が、声を潜めて話しかけてきた。


「はい?」


 伯爵の視線の先には、ヴィオレットがいる。


「どうです?」


「何がですか?」


「ローラン嬢ですよ。美しいでしょう。」


「さっきも似たようなことを聞かれました。」


「皆、気になるのでしょうな。」


「僕の感想が?」


「女好きで有名なアレン卿が、社交界の花をどう見るのか。」


「……僕って、そんな扱いなんですか?」


「今さらですな。」


「酷いなぁ。」


 伯爵が笑う。


「ただ、惜しいものです。」


「何が?」


「せっかくあれほど美しいのに。あの身体では。」


「……。」


 アレンの笑みが僅かに薄れた。


「病弱なのが惜しい、と?」


「ええ。」


「僕はそうは思いませんけど。」


「ほう。」


「身体が弱いことと、その人の価値は関係ないでしょう。」


 伯爵が少し驚いたようにアレンを見る。


「これは失礼。」


「いえ。」


 これ以上話すこともない。


 アレンは軽く会釈し、その場を離れた。


 向かった先は、酒の並ぶテーブル。


 酒そのものが目的ではない。


 こういう場所には、人も情報も集まる。


「北の街道では……。」


「今年は小麦の値が……。」


「西の商会が新しく……。」


 アレンはグラスを片手に。


 何気ない顔で耳を傾ける。


 その時。


 ふと視線を感じた。


「……?」


 顔を上げる。


 数メートル先。


 ヴィオレットがこちらを見ていた。


「……。」


 一瞬。


 本当に一瞬だけ、二人の視線が交わる。


 ヴィオレットが静かに微笑み。


 小さく会釈した。


 アレンも、手にしていたグラスを僅かに持ち上げて応える。


 ただそれだけだった。


(ヴィオレット嬢、か。)


 改めて見ると、やはり綺麗な女性だと思う。


 けれど。


 それより先ほどの視線の方が妙に印象に残った。


 柔らかく微笑んでいるのに、その紫色の瞳だけは何かを確かめるように、自分を見ていた気がした。


(……気のせいかな。)


 初対面だ。


 こちらを知っているとしても。


 せいぜい王都で流れている噂くらいだろう。


 アレンは深く考えず、次に声を掛けてきた貴族との会話へ戻った。


     ◇


 夜会も終盤へ近づく。


 音楽が変わり。


 広間の中央ではダンスが始まっていた。


 アレンは誘いに来た令嬢をまた一人かわし。


 人の少ない壁際へ移動する。


「ふぅ……。」


 小さく息を吐く。


 さすがに少し疲れた。


 まだ帰るには早い。


 もう少し情報を拾ってからにしよう。


 そう考え、酒の並ぶテーブルの近くへ戻る。


 その時。


 視界の端に紫色が入った。


「……。」


 ヴィオレットだ。


 どうやら彼女も、人の多い広間から少し離れ、休んでいるらしい。


 侍女はすぐ後ろに控えている。


 アレンは特に声を掛けなかった。


 まだきちんと挨拶すらしていない相手だ。


 それに身体が弱いというなら、無理に話しかけて疲れさせる必要もないだろう。


 そう思っていた。


 けれど、ほどなくしてヴィオレットの方が、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。


 そして、アレンのすぐそばで足を止める。


「……?」


 アレンが顔を上げる。


 間近で見る紫色の瞳が。


 静かに自分を見つめていた。


 この夜。


 アレン・ヴァルティエと。


 ヴィオレット・ローラン。


 二人はようやく、初めて言葉を交わすことになる。


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