第1話 遊び人と噂の領主
ヴァルティエ領の若き領主、アレン・ヴァルティエ。
王都では、彼を知らぬ者はいない。
――女好き。
――酒好き。
――毎晩のように女性を屋敷へ連れ込む遊び人。
そんな噂が、本人の知らないところでも好き勝手に広まっていた。
「アレン様!」
夜会の広間で、華やかな声が弾む。
振り返ると、三人の令嬢がこちらへ駆け寄ってきた。
「今日は私と踊ってください!」
「いいえ、私です!」
「その後は一緒にお食事を!」
アレンは困ったように笑った。このやり取りも、もう慣れたものだ。
「ありがとう。でも、ごめんね。今日は他の子と先約があるんだ。」
「えぇー!」
「またですか!」
「ずるいです!」
三人は口を尖らせる。
けれど。
本気で怒っているわけではないらしい。
「次は約束ですよ!」
「はいはい。」
「絶対ですからね!」
最後には笑顔で去っていった。
その様子を見ていた貴族たちが、面白そうに声を潜める。
「相変わらずだな。」
「若いというのは羨ましい。」
「女好きも、あそこまで徹すると清々しいものだ。」
アレンは聞こえないふりをした。
(ごめんね。本当は誰とも約束なんてしてないんだけど。)
女性を遠ざけるには、この方法が一番だった。
曖昧に断れば、また次があると思わせてしまう。
けれど、すでに別の女性と約束があると言えば、たいていは諦めてくれる。
その結果積み重なったのが。
『遊び人』
という評判だった。
(まあ、都合はいいんだけど。)
誤解を解くつもりはない。
むしろ、その方が助かることも多かった。
「ヴァルティエ様。」
給仕が銀の盆を差し出す。
その上には。
琥珀色の酒が入ったグラス。
アレンは一つ受け取り、口をつけた。
「今年の出来でございます。」
「へぇ。」
もう一口。
喉を通る熱さだけを感じる。
味の違いは正直、よく分からない。
「おかわりはいかがですか?」
「うん。」
空になったグラスへ、すぐに次の酒が注がれる。
周囲から感心した声が上がった。
「もう二杯目か。」
「さすが酒豪。」
アレンは内心で苦笑する。
(酒豪っていうほどじゃないんだけどな。)
ただ人よりかなり酔いにくい。
飲もうと思えば、いくらでも飲める。
だからといって、酒そのものが好きかと言われれば、そうでもない。
領主になってから。
『酒好きの若い領主』
という噂を聞きつけては、商人や貴族が珍しい酒を贈ってくるようになった。
どうせ貰ったものなら。
無駄にはしたくない。
だから飲む。
余った分は交渉や接待へ回す。
それだけだった。
(使えるものは使う。)
それが。
領主として生きてきたアレンのやり方だ。
「アレン卿。」
別の貴族が近づいてくる。
「次の夜会ですが。」
「うん?」
「ローラン家のご令嬢がいらっしゃるそうですよ。」
その名に。
周囲が僅かにざわめいた。
「社交界の花か。」
「滅多に姿を見せないという。」
「病弱で有名な。」
アレンも名前だけは知っていた。
ヴィオレット・ローラン。
王都一の美貌を持つとも言われる令嬢。
けれど、身体が弱く人前へ姿を現すことはほとんどない。
「会えるといいですね。」
「そうだね。」
アレンは軽く笑って答えた。
特別な興味はない。
夜会は情報を集めるための場所。
人脈を作り、誰が誰と繋がっているのかを探る場所だ。
踊るためでも。
恋をするためでもない。
少なくともアレンはそう思っていた。
◇
夜会を終え、屋敷へ戻る。
「ふぅ……。」
部屋へ入るなり。
アレンは首元を緩めた。
「お疲れ様です、アレン様。」
迎えたのは。
幼い頃から仕える侍女、リリアだった。
「ありがとう。」
「本日の夜会はいかがでした?」
「令嬢が増えた。」
「またですか。」
「断る理由を考える方が大変だよ。」
リリアが小さく笑う。
「遊び人も楽ではありませんね。」
「演じるだけならね。」
アレンも苦笑した。
鏡の前へ立つ。
上着を脱ぎ、クラバットを外す。
そしてリリアが慣れた手つきで、胸元に巻かれた晒しをほどいていく。
きつく締め付けられていた布が外れると、ようやくアレンは大きく息を吐いた。
「やっぱり楽だ。」
「今日も跡が残っています。」
「毎日のことだから。」
ほどかれた晒しを受け取り、アレンは丁寧に畳んだ。
誰にも知られてはいけない秘密、この屋敷の者だけが知っている。
アレン・ヴァルティエが。
本当は女性であることを。
「そうだ。」
リリアが思い出したように口を開く。
「酒蔵がいっぱいになりました。」
「また?」
「本日だけで六本届いております。」
「……交渉用に回そう。」
「承知しました。」
「本当にみんな、僕がどれだけ酒好きだと思ってるんだろう。」
「かなりお好きだと思われているのでは?」
「困ったなぁ。」
「ご自分で広めたようなものでは?」
「それはそうだけど。」
アレンは苦笑した。
その時。
執事が静かに部屋へ入ってくる。
「アレン様。」
「どうしたの?」
「王都より、招待状が届いております。」
差し出された封筒には王家の紋章が押されていた。
アレンは受け取り封を切る。
中に入っていたのは、次回の夜会への招待状。
そして。
出席予定者の一覧だった。
何気なく目を滑らせる。
その中で一つの名前に視線が止まった。
ヴィオレット・ローラン。
「……あ。」
「どうかなさいました?」
「今日、名前を聞いた令嬢。」
アレンは紙を軽く持ち上げる。
「次の夜会に来るみたい。」
「社交界の花、と呼ばれている方ですね。」
「らしいね。」
「お会いになるのが楽しみですか?」
「別に。」
「左様でございますか。」
「何その顔。」
「何も。」
リリアが平然と答える。
アレンは小さく息を吐いた。
「まあ。」
もう一度。
その名前を見る。
「会ったら挨拶くらいはするよ。」
それだけだった。
その時のアレンにとっては、ヴィオレット・ローランという名前も。
次の夜会に出席する、ただそれだけの情報に過ぎなかった。
まさかその令嬢に。
自分の秘密を最初に見抜かれることになるとは。
もちろん。
まだ知るはずもなかった。




