第18話 老人の証言
夕暮れ。
王都の西門には、仕事を終えた荷馬車や旅人が行き交っていた。
その喧騒から少し離れた場所で、アレンは白髪の老人と向かい合っていた。
「探してるんだろ。あの印のついた酒を運んだ男を。」
老人の言葉に、アレンの表情から笑みが消える。
「……知っているんですか?」
「少しだけな。」
老人は周囲へ視線を巡らせた。
「ここなら、灰色亭よりは話しやすい。あの店じゃ、誰が聞いてるか分からん。」
「それで、わざわざ呼び出したんですね。」
「ああ。」
アレンは少し離れた場所へ視線を向けた。
リリアと護衛二人がいる。
何かあれば、すぐに駆けつけられる距離だ。
「まず、あなたのことを聞いても?」
「大した者じゃない。ただの荷運びだよ。若い頃から王都と地方を行ったり来たりして、それで飯を食ってきた。灰色亭にも長いこと出入りしてる。」
「だから、あの商人も?」
「ああ。お前さんが探してた男だろ。名前は知らん。」
「名乗らなかったんですか?」
「少なくとも、俺は聞いたことがない。周りもみんな『旦那』って呼んでた。」
「旦那……。」
アレンはその呼び名を覚える。
「灰色亭にはよく来ていたんですか?」
「時々な。ただ、酒を飲みに来てるって感じじゃなかった。」
「では、何を?」
「人に会ってた。」
老人が声を落とす。
「毎回、相手は違った。商人らしい奴もいれば、荷運びもいた。中には、どう見てもそこらの商人じゃない奴もな。」
「例えば?」
「身なりのいい男の使いみたいなのが何度か来てた。」
アレンの目が細くなる。
「貴族ですか?」
「さあな。俺みたいな荷運びには、貴族の家の紋章なんざ全部分からん。ただ、服も立ち居振る舞いも、灰色亭に普通にいる連中とは違った。」
「顔は?」
「そこまでは覚えちゃいない。」
「そうですか……。」
偽名を使っていた商人。
灰色亭へ出入りし、複数の人間と接触していた。
その中には、貴族に仕える者らしき人物までいた。
「他に何か覚えていることは?」
「ある。」
老人は短く答えた。
「あの旦那は、人と話し終わると必ず裏口から出ていった。」
「裏口?」
「ああ。一度も正面から帰るところを見たことがない。灰色亭の裏は細い路地だらけだ。昔からあの辺りを知ってる奴なら、尾行されたって簡単に撒ける。」
「追ったことがあるんですか?」
老人が苦笑した。
「一度だけな。」
「どうして?」
「若い頃は余計なことに首を突っ込みたくなるもんだ。」
「……今も十分突っ込んでません?」
「だから後悔してる。」
アレンが思わず小さく笑った。
「それで、見失った?」
「あっという間にな。それからは追うのをやめた。」
「なるほど。」
それだけでも十分な情報だった。
けれど。
老人はまだ帰ろうとしない。
「……それだけじゃないんですよね?」
老人が目を細めた。
「若いのに察しがいいな。」
「わざわざ子供に手紙を持たせて、ここまで呼び出したんです。それだけじゃないと思っただけです。」
「そうか。」
老人は懐へ手を入れた。
取り出したのは、掌に収まるほどの小さな木札だった。
「これは?」
「荷札だ。」
アレンが受け取る。
使い古された木片。
穴が一つ開き、紐を通せるようになっている。
そして、その端には黒い焼き印が残されていた。
「……見たことがない。」
「俺もだ。」
「どこでこれを?」
「あの旦那が持ち込んだ荷から落ちた。」
アレンが顔を上げる。
「商人の?」
「ああ。ずいぶん前だが、灰色亭の裏へ荷箱を運び込んでるところを見た。その時、一枚だけ落ちたんだよ。」
「それを拾ったんですか?」
「何となくな。」
「……何となくで、ずっと持ってたんです?」
「荷運びは変な物を捨てられねぇんだ。」
「そういうものなんですか?」
「そういうことにしとけ。」
老人が鼻を鳴らす。
アレンはもう一度、焼き印を見る。
瓶底に刻まれていた印とは違う。
形も大きさも一致しない。
「この木札が付いていた荷を、あの商人が運んでいたんですね?」
「少なくとも、俺が見た時はな。」
「ありがとうございます。かなり大きな手掛かりになるかもしれません。」
「期待するなよ。俺には何の印なのか分からん。」
「それでも十分です。」
老人はアレンをしばらく見つめた。
「本当に変わった貴族だな。」
「そうですか?」
「普通、こういう話を聞いたら、もっと根掘り葉掘り聞くもんだ。」
「話したくないことまで無理に聞いても、正しい答えが返ってくるとは限らないでしょう?」
「……なるほどな。」
老人は小さく笑った。
「だったら、俺が話せるのはここまでだ。」
「はい。」
「今日会ったことも、誰から聞いたかも、できれば忘れてくれ。」
「それは難しいです。」
「おい。」
「でも、あなたのことを誰かに話すつもりはありません。約束します。」
アレンは真っ直ぐ答えた。
老人はしばらくその顔を見ていたが。
「……そうかい。」
それだけ言って、踵を返した。
数歩進んだところで、ふと足を止める。
「一つだけ、忠告しておく。」
「何でしょう?」
「あの旦那を探してるんだったな。」
「はい。」
「だったら、本人から話を聞けるとは思わん方がいい。」
アレンの表情が変わる。
「どういう意味です?」
「長いこと荷運びをしてるとな、急に姿を消す奴も何人か見てきた。」
「……。」
「特に、妙な仕事に関わってた奴はな。」
「口封じされた可能性があると?」
「断言はできん。ただ、そういうことも考えて動けってことだ。」
老人は僅かに振り返った。
「相手が何者かは知らんが、随分と用心深い。もしお前さんまで狙われてるんなら、あんまり一人でふらふらするなよ、若旦那。」
「一人じゃないですよ。」
アレンが少し離れた場所を見る。
リリアと護衛たちがいる。
老人もそちらを見て。
「ならいい。気をつけな。」
「あなたも。」
老人は片手を軽く上げる。
そして、西門を行き交う人々の中へ紛れ、やがて姿が見えなくなった。
◇
「アレン様。」
老人が去ったのを確認し、リリアと護衛二人が近づいてくる。
「大丈夫でしたか?」
「うん。色々聞けた。それと、これ。」
アレンは握っていた木札を差し出した。
「それは……?」
「あの商人が灰色亭へ持ち込んだ荷に付いていたらしい。」
リリアが慎重に受け取り、焼き印を見る。
「酒瓶の刻印とは……。」
「違う。」
アレンも頷いた。
「でも、同じ商人に繋がってる。」
瓶底の刻印。
そして荷箱に付いていた木札の焼き印。
「二つの印に直接関係があるかは分からない。でも、調べる価値はある。」
「情報屋へ?」
「それもお願いする。」
「それも?」
「僕たちでも調べたい。」
リリアが黙る。
「無茶はしないよ。」
「まだ何も申し上げておりません。」
「顔に書いてる。」
「アレン様がそう仰る時は、大抵何かなさいますので。」
「今回は本当に調べるだけ。」
「信じておきます。」
「信用ないなぁ。」
アレンは苦笑し、もう一度木札を見る。
商人の名前は分からない。
依頼人も分からない。
瓶底の刻印の意味も、まだ分からない。
それでも今まで一つしかなかった印が、二つになった。
酒瓶と。
木札。
別々の印を残した二つの品が、一人の商人を介して繋がっている。
細い糸ではある。
けれど、次へ進むための手掛かりだった。
アレンは木札を大切にしまい、夕暮れの西門を後にした。




