第16話 新たな手掛かり
酒蔵襲撃から一週間。
ヴァルティエ邸の執務室。
アレンは机に積まれた書類へ、順番に目を通していた。
領内の収穫状況。
街道の補修。
商人から届いた取引の申し出。
最後の一枚へ署名をしたところで。
コンコン。
「アレン様。」
「どうぞ。」
扉が開き、リリアが一通の封筒を手に入ってきた。
「情報屋からです。」
「来た?」
アレンはすぐにペンを置いた。
差し出された封筒を受け取る。
封蝋には、すでに見慣れ始めた情報屋の印。
静かに封を切り、便箋を広げた。
『酒瓶の刻印について調査を続けている。
商会および酒蔵で用いられている印との一致は、現在も確認できていない。
ただし、酒を届けた商人の足取りを追った結果、一つ判明したことがある。
商人が最後に姿を見せた場所は、王都北区――灰色亭。
表向きは酒場だが、商人や荷運びなど様々な人間が出入りしており、情報交換の場として利用されることもある。
不用意に踏み込めば警戒される可能性が高い。
調査は継続する。』
「灰色亭……。」
アレンが小さく呟く。
「ご存じですか?」
「名前だけなら。」
アレンは記憶を探る。
「王都の北区にある古い酒場だったと思う。商人とか、荷運びをしてる人がよく出入りしてるって。」
「情報屋の報告とも一致しますね。」
「うん。」
もう一度、手紙へ目を落とす。
酒を持ってきた商人は偽名だった。
商業組合への登録もない。
宿帳に残された名前も偽名。
その男が最後に姿を見せた場所。
「灰色亭……。」
アレンは椅子の背へ身体を預けた。
「そこから先の足取りが消えてるんだよね。」
「そのようですね。」
「だったら、何か知ってる人がいるかもしれない。」
「ですが。」
リリアが手紙を見る。
「不用意に踏み込めば警戒される、と。」
「うん。」
「まさかとは思いますが。」
「何?」
「ご自分で行こうなどとは、お考えではございませんよね?」
「……。」
「アレン様。」
「まだ何も言ってないよ。」
「その間で十分です。」
「ひどいなぁ。」
アレンは苦笑する。
けれど否定はしなかった。
「行ってみたいとは思ってる。」
「やはり。」
「もちろん、情報屋が調べてくれてるのは分かってるよ。」
「でしたら、お任せしては?」
「それでも。」
アレンは手紙を机へ置いた。
「僕を狙ってるかもしれない相手でしょ。」
「……。」
「それに、十五年前の父上たちのことにも繋がってるかもしれない。」
まだ何一つ確定してはいない。
睡眠薬を混ぜた者。
王都で飛んできた金属片。
酒を持ち込んだ商人。
酒蔵へ侵入し、その酒を回収しようとした者たち。
そして十五年前の両親の死。
すべてが同じ相手によるものなのかさえ、今は分からない。
だからこそ確かめる必要がある。
「うん。もちろん無茶はしない。でも、人任せでは見えないものもある。」
「……。」
リリアが小さく息を吐いた。
「そのように仰ると思っておりました。」
「じゃあ。」
「お止めしても行かれるのでしょう?」
「たぶん。」
「そこはせめて否定してくださいませ。」
「でも、嘘になるし。」
「……。」
「リリア?」
「護衛をお連れください。」
「うん。」
「最低でも二人。」
「分かった。」
「それから、何かございましたらご自分で追わず、必ず護衛へ。」
「分かってる。」
「本当に?」
「……たぶん。」
「アレン様。」
「分かったって!」
リリアはまだ言いたそうな顔をしていたが。
ひとまず諦めたらしい。
「では、王都へ向かう準備をいたします。」
「お願い。」
アレンはもう一度。
情報屋から届いた手紙へ目を落とした。
王都北区。
灰色亭。
そこにあの商人へ繋がる何かが残っている。
◇
翌朝。
屋敷の前には、王都へ向かうための馬車が用意されていた。
「荷物は?」
「積み込み済みです。」
「護衛は?」
「二名同行いたします。」
「ありがとう。」
アレンは腰の剣を確かめる。
「では、参りましょう。」
「うん。」
馬車へ乗り込もうとして、ふと。
アレンが振り返った。
「どうかなさいましたか?」
「いや。」
屋敷を見る。
酒蔵は、あれから警備を増やしている。
あの瓶も、すでに情報屋へ渡してある。
襲撃してきた者たちが、もう一度ここへ来る可能性は低いだろう。
「何でもない。行こう。」
馬車へ乗り込む。
扉が閉まり、ゆっくりと走り出した。
目指すのは王都。
そして偽の商人が最後に姿を見せたという、灰色亭だった。
◇
同じ頃。
王都北区。
まだ、昼前だというのに灰色亭では、何人かの客が酒を飲んでいた。
「親父、もう一杯。」
「あいよ。」
店主が空になった杯へ酒を注ぐ。
それを受け取った白髪の老人が、ゆっくりと口へ運んだ。
「最近、変わったことはねぇか?」
「何だよ、急に。」
「何となくだ。」
「お前さんがそんなこと聞く方が珍しい。」
「長く荷運びしてりゃ、色々気になるんだよ。」
「知らねぇよ。」
店主は面倒そうに答える。
老人もそれ以上は聞かなかった。
酒を一口飲み。
ぼんやりと店内を見る。
この店には、昔から様々な人間が出入りしている。
商人。
行商人。
荷運び。
どこに仕えているのか分からない男。
そして。
時折、妙に身なりのいい人間も。
「……。」
老人は懐へ手を入れた。
指先に硬いものが触れる。
何年も前、灰色亭の裏へ運び込まれた荷箱から偶然落ちた、小さな木札。
拾った時、端に焼き付けられた印が少し珍しくて、何となく捨てずに持っていた。
取り出すことはせず、そのまま手を離した。
ただの古い木札だ。
今までそう思っていた。
「親父。」
「ああ?」
「勘定。」
「もう帰るのか?」
「ああ。」
老人は硬貨を置いて立ち上がる。
木札のことなど、すぐに頭から消えていた。
この時はまだ。
その古びた木札を探すことになる若い領主が、まさに王都へ向かっていることなど、老人は知る由もなかった。




