4.社畜、生きる覚悟を決める
俺は部屋に戻ると、ベッドに横たわる。
家を出た時と全く何も変わらないのに、どこか爽やかな心地良さを感じる。
「ばあちゃんのことだから、掃除してたんだろうな……」
綺麗好きな祖母はとにかく家の中で動き回っていた。
静かに座っていることはなく、掃除や洗濯をしているか、ご飯の準備をしていた記憶ばかりだ。
そんな祖母はもういない。
人を襲うなんて――。
それこそ化け物にならないと、祖母があんな姿に変わるとは想像できなかった。
後悔してももう遅い。
実家に帰ってこなかったのは、俺の言い訳だ。
仕事が忙しかった。
休みが取れなかった。
都会で頑張っていた。
そんなのは帰らなかった理由にはならない。
それに心の奥底では田舎に住むのが恥ずかしいと思っていたのだろう。
祖父母の存在すら――。
今となっては惨めな考えを持っていた俺自身が恥ずかしく思う。
「何やってたんだろうな……」
上司に怒鳴られ、仕事を押し付けられて毎日夜遅くまで仕事をしていた。
気づけば、祖父母のことを考える時間すらなくなっていた。
俺はスマホを手に取り、音声データとして残した留守番電話を再生する。
『最近ニュースで物騒なことばっかりやっとるし、一回帰ってこんか? しゅーちゃんの好きなご飯を作って待っとるけんね』
繰り返し聞こえる祖母の声に涙が止まらない。
症状がひどくなる前は、食卓に唐揚げがよく出ていたと祖父が言っていた。
きっと祖母は認知症になっても、ずっと俺が好きなご飯を作って待っていたのだろう。
なぜ帰ることもできなかったのかと、昔の俺に怒鳴りたい気分だ。
その選択をしたのも俺なのにな……。
ふと、メールを確認するが、会社からの連絡は来ていない。
「まあ……会社もそれどころじゃないか」
こんな田舎にも化け物はいる。
それなら人口が多い東京なら無事とは思えない。
だけど、不思議と焦りはなかった。
むしろ――。
「帰ってこられてよかったのかもな……」
そう呟いた瞬間、自分でも驚く。
あれだけ嫌だった田舎なのに、今は都会よりもずっと落ち着ける場所に感じた。
「ふぁー、もう寝るか」
それにこんな謎のウイルスが蔓延しているのに、寝られなかった社畜の体とは反対に、自然と疲れた体は眠気を誘う。
今後のことを考えるためにも、寝られる時に寝た方がいい。
情報の整理はまた明日祖父とやろう。
「朝か……」
目を覚ますと、窓の外が薄っすらと明るくなっていた。
俺はそのまま腕を上げて、体を伸ばしていく。
体に染み付いた早起きはどんな世界になっても変わらない。
ただ、周囲が静かだからなのか、都会で働いていた時よりも疲れが取れた。
「……静かだな」
窓を開けると、冷たい朝の空気が流れ込んでくる。
遠くで鳥が鳴いていた。
山の方からは微かに川の流れる音も聞こえる。
東京では聞こえなかった音だ。
どこか映画の世界みたいな状況のはずなのに、田舎の朝は妙に穏やかだった。
それに不思議と会社にいた時より気分は悪くない。
「修平、起きたか」
居間へ向かうと、祖父が疲れた顔で座っていた。
「じいちゃん、寝てないの?」
「いや、少しは寝たぞ」
その近くでは、祖母が柱に縛られたまま俯いている。
「ばあちゃんは?」
「今は落ち着いてる」
昨日みたいに暴れる様子はなく、虚ろな顔でジーッと床を見つめていた。
ただ、時折小さく唸るような声を漏らしていた。
俺はそっと手に持っているネギを近づける。
すると祖母の肩がぴくりと震えた。
「……やっぱり反応してるよな」
「修平、本当にそのネギはなんなんだ?」
「俺が知りたいよ……」
初めは庭に生えていたネギが光り輝いていたのに、今手に持ってるのは誰かの畑で採ってきたネギだ。
昨日よりは輝きを失っており、言われたらわずかに光っている程度。
そんなネギが化け物を真っ二つにしたからな。
俺にも説明しろと言われても、意味がわからない。
「とりあえず、テレビでも――」
俺はテレビをつけようとしたが、電源すら入らなかった。
「電気は昨日の夜に止まった」
「マジか……」
俺はスマホを確認する。
一応充電しながら寝たのもあり、しっかりと充電はされていた。
モバイルバッテリーを持ってきてはいるものの、それがなくなれば情報を手に入れるのは難しくなるだろう。
ただ、スマホのアンテナは一本だけ立っているが、ほとんど繋がらないため、使えないと言っても過言ではない。
ニュースアプリを開いてみても、読み込めない記事ばかりだった。
『――感染者が』
『――避難してください』
『――繰り返します』
かろうじて再生された動画からも、ノイズ混じりの音声だけが流れる。
「感染って言ってたよな……」
祖父の言う通り、ただの化け物騒ぎじゃないのかもしれない。
あそこでも謎のウイルスの話が出ていたし、祖母が疑われていたからな。
「避難所はどうだった?」
「化け物から逃げきれた人が一気に集まっているらしいぞ」
祖父は疲れたように肩を落とす。
そういえば、祖父母も避難するために学校に向かっていたもんな。
「今頃大変かもね」
いくら避難所だからって言っても、たくさんの人が押し寄せたら対応できないはずだ。
震災時ならまだしも、街全体が機能せずに集まってきているんだからね。
「ここならまだ畑もあるから便利か」
俺は窓の外を見る。
家の庭にはネギが植えられた家庭菜園もあれば、裏には小さい頃から見慣れていた畑がある。
昔は泥だらけになりながら、祖父に収穫を手伝わされていたっけ。
「修平は嫌がってたけどな」
「くっ……昔と今じゃ考えは違うぞ!」
俺が拗ねると祖父は少しだけ笑った。
昨日は現実を受け止めるだけで精一杯で、祖父の顔色を気にする余裕もなかったが、その笑顔を見て少しだけ安心した。
「水は昔使ってた井戸があるから、すぐには困らんだろうな」
「まさか戻った直前に自給自足の生活をするとは思わなかったけどね」
都会ならスーパーやコンビニがなくなったら、数日も生きていけないだろう。
だけど、この家には畑がある。
それだけでも少しだけ希望がある気がした。
会社がどうなったかはわからない。
上司の怒鳴り声を思い出せば出すほど、戻りたいとは思えなかった。
むしろ――。
「ここで生きるしかないよな」
祖父を守って、一緒に祖母を見ながら、この家で生きていく。
そのためにはまず――。
俺は手に持っていたネギを見る。
「お前について調べるか」
さっきまで淡く輝いていたネギは、今ではただの柔らかいネギに戻っていた。
相変わらず意味がわからないままだったが、祖母のネギへの興味は失い、虚ろな目に変わった。
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