23.社畜、新たな決意をする
化け物の姿が見えなくなっても、しばらく俺はその場から動けなかった。
今さらになって生きている実感が湧いてくる。
全身の力が抜け、立ち上がるのもやっとだ。
あと少しにんにくを投げるのが遅かったら死んでいただろう。
いや、俺だけじゃない。
祖父母やダイコも食われていたかもしれない。
「修平!」
祖父の声が聞こえた。
顔を上げると、足を引きずりながらこちらへ向かっていた。
「じいちゃん!」
俺も慌てて走り出した。
だが、その前に何かが飛びついてくる。
「うおっ!?」
顔面に大根が直撃した。
初めて大根に顔面ビンタされたが、勢いよく飛びついてきたのはダイコだ。
俺を心配しているのか葉で何度もバシバシと叩いてきた。
「痛い痛い! ごめんって!」
……いや、これは怒っているのだろう。
何度謝っても叩くのをやめない。
ダイコも怖かったはずなのに、祖父母を必死に守ろうとしていた。
もう立派な大根……いや、家族だな。
「じいちゃんたちを守ってくれてありがとう」
そう言うと、ダイコは照れたように少しクネクネと葉を動かした。
だが、まだ納得はしていないのか、最後にもう一度だけ葉で額を叩いてきた。
「いたた……」
「修平はダイコに好かれてるな」
「そうか……?」
俺から見たら祖父母の方がダイコに好かれているような気がする。
祖父母には寄ってくるけど、俺にはベタベタと近寄ってこないからな。
今も満足したのか、祖母の元で面倒を見ているからね。
そんな祖母も落ち着いて、畑の上に座り込んでいる。
「心配したんじゃろな」
「大根に説教される人生になるとは思わなかったよ……」
たくさん心配かけたのは俺もわかっているため、何も文句は言えない。
今まで化け物に出会ってもどうにかなっていたが、今回に限っては本当に死ぬかと思った。
化け物もあんなに頭が良い個体がいるとはな……。
「修平」
「ん?」
名前を呼ばれ、視線を向けると真面目な顔をした祖父がいた。
何かあったのだろうか。
「助かったぞ」
聞こえたのは短い言葉だった。
だが、その一言だけで胸が熱くなる。
「ちゃんと守れたかな?」
「ああ、よくやったな」
「そうか……」
「修平がいなかったら、わしらは今頃あの世に行っていたな」
祖父の言葉と冗談混じりの笑顔に涙がポタポタと溢れ出てくる。
実家に帰ってから、変わり果てた祖母の姿を見て、俺は守ると決意した。
それはその場しのぎの言葉じゃなく本気だった。
本当に祖父も祖母も守るつもりだった。
だけど、今日の化け物を前にして、俺は足が竦んだ。
今すぐに逃げたいと思ってしまった自分がいた。
助けたい気持ちはあるのに、体は思うように動いてくれない。
心臓は嫌なほど暴れ、手は震え、呼吸まで苦しかった。
人は本当に恐ろしいものを前にすると、こんなにも弱くなるのか。
俺は初めて知った。
そんな俺を祖父は優しく抱き寄せる。
「そんなに気負わなくていいぞ」
「じいちゃん……」
「人は遅かれ早かれいつかは死ぬ。今は自分が生きることだけを考えなさい」
祖父の言葉は今の俺には重くのしかかる。
あの時、祖父が逃げなさいと言った言葉の裏にはそんなに思いがあるとは知らなかった。
「でも俺はみんなに生きてて欲しいから……」
「ああ、それはわしも同じだ。でも、わしのために命を投げ出すのはやめてくれ」
その言葉に胸が詰まる。
俺は祖父母を守ることばかり考えていたが、祖父も同じだった。
俺が祖父母に生きていてほしいと思うように、祖父もまた俺に生きていてほしいと思っていた。
その時、服の裾が引っ張られる。
視線を向けると、そこには祖母とダイコがいた。
いつの間にかこっちにきたのだろう。
ただ、何も言わず俺の顔を見つめている。
「ばあちゃん?」
祖母はゆっくりと手を伸ばした。
そして俺の頬をゆっくりと触れる。
無事を確認するように何度も何度も顔に触れていた。
「……ただいま」
思わずそう口にしていた。
祖母の手が止まると、わずかに微笑んだような気がした。
きっと気のせいだろう。
だけど、おかえりと言われているような気がした。
「ばあちゃん、帰ろうか」
俺の言葉に祖母は小さく頷く。
少しずつ祖母の認知症は治ってきたのか、俺の言葉に反応するようになった。
「じいちゃん、おんぶしてあげる」
「なぁ!? そこまで孫に頼るわけには――」
「ほらほら!」
俺はその場でしゃがみ込むと、祖父の前に座る。
足を痛めている祖父を歩かせるわけにはいかない。
ゆっくりと俺の背中に重みがかかる。
思ったよりも背中の重みは軽く、祖父が小さくなったことを実感した。
一度振り向いて、本当に祖父が乗っているのか確認したぐらいだ。
俺は立ち上がると、ゆっくり家に向かって歩いていく。
隣ではダイコが祖母の手を引きながら歩いている。
「じいちゃん、空にも化け物がいたんだね……」
「ああ、びっくりしたな」
俺たちは同時に空を見上げていた。
祖父も同じことを考えていたらしい。
まさか空中から化け物が襲ってくるなんて考えたこともなかった。
「町は大丈夫かな?」
「すでに町は壊れてるんだろ? それならまずは自分たちのことを考えるのが先だな」
祖父の言っていることは一理ある。
ホームセンターに行った時は、ほとんどの建物が半壊していた。
残っていたのは壊れにくい大きな建物ばかりだ。
それに拓也が言っていた謎の力を持った人は俺だけではない。
鴨田さんの鶏すら、何かしらの力に目覚めているぐらいだ。
俺が動かなくても、対処できる力ぐらいは持っているだろう。
「そうだよね……。それにしても大きかったね」
「あの姿はまるで恐竜図鑑から飛び出てきたようなやつだったな」
祖父もプテラノドンに似ていると言っていたが、この世にはもう存在しない生物だ。
だから祖父もずっと考えているのだろう。
「今まで見た化け物は犬や人間が変異したようなものばかりだったよな?」
「俺が見たのもシカ、犬型、人型ぐらいだよ」
言われてみればどれも四本足動物なのか人型だった。
そもそも傷からウイルス感染すると聞いていたから、どれも元になった生き物が想像できる。
だが、今回は違っていた。
プテラノドンのような恐竜なんて、現代には存在しない。
「まるで空想上の生き物……」
「あるいは進化した存在か」
祖父の言葉に嫌な予感がした。
もし化け物が進化しているのだとしたら、これからもっと凶暴な化け物が出てくるかもしれない。
そんなやつらに今の俺たちは対抗できるのだろうか。
数ヶ月経てば、ある程度は元に戻ると思っていたが、それはもっと先になるのかもしれない。
「難しく考えても無意味だぞ」
祖父の言葉に俺は頷く。
今は目の前の問題をどうにかするしかない。
あそこまで痛みつけたなら、化け物もすぐに町で暴れることはなさそうだしな。
それにあれだけ頭が良ければ戻ってくる可能性もある。
その間に戦える準備をしないといけないだろう。
「そういえば、修平は爆弾でも持ってたのか?」
祖父の言葉に俺は収穫した玉ねぎとにんにくを思い出す。
「あれは玉ねぎとにんにくだよ」
ヒガンバナ科だから、攻撃的な野菜になるとは想定していた。
だけど、見た目は普通だったのに、あそこまで危ないものだとは思いもしなかった。
玉ねぎは空気を吸って一気に解き放たれて爆発したし、にんにくに至っては有害物質そのものだ。
それににんにく散弾が想像よりも殺傷能力が高い気がする。
ただ、周囲に関係なく撒き散らかす悪臭はにんにくらしい。
「臭かったね」
「臭かったな」
思わず重なった言葉に俺たちはその場で苦笑する。
思い出しただけで、今も鼻の奥が痛い気がする。
何か似ている匂いはないかと聞かれたら、魚と生ゴミと排水溝を混ぜたような悪臭と答えるが、実際はそれよりも臭かった。
あそこまで刺激臭がするとは誰も思わないだろう。
なるべくならにんにくは使いたくないと思うぐらいだからね。
だけど、戦うにはにんにくに頼らないといけない時は今後もあるだろう。
そして、今日襲われてわかった。
俺一人ではどうにもできないということを。
だから、今できることは――。
「じいちゃん、たくさんの野菜を作るのを手伝ってくれる?」
「ああ、構わんぞ」
今できることは色んな野菜を作ることだろう。
いつ化け物が襲ってきても、戦えるように力をつける必要がある。
ダイコも手伝いたいのか、俺の足を何度も踏んでいた。
祖父を背負ってるから、転びそうになるからやめて欲しいものだ。
「ダイコも頼りにしているぞ!」
ダイコは納得したのか、大きく葉を揺らしていた。
化け物は確実に強くなっている。
今も町へ向かったあの化け物のことが頭から離れない。
だからこそ今はとにかく野菜を増やすのが先だろう。
家に帰っても、嫌な予感だけが胸の奥に残り続けていた。
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