2.社畜、祖父母を探す
目の前の光景に俺は驚き、その場で腰が抜けた。
「あの化け物も、このネギもなんなんだ……」
まるで刃物のようなネギで化け物が真っ二つになった。
恐る恐る白い部分である葉鞘に触れてみる。
「普通のネギと変わらないな……」
どうやら見た目通りのネギと変わらない。
今のは俺の幻覚だったのか?
「化け物は……いない!?」
気づいた時には目の前で真っ二つになった化け物は消えていた。
まるで初めからなかったかのようだ。
ただ、今もネギは薄らと輝いている。
「ははは……ついに働きすぎておかしくなったか」
映画に出てくる化け物やネギが剣のように切れるなんて、そんなことは現実では起きない。
精神的におかしくなったのだと、わずかに残っているだろう脳の正常な部分が教えてくれる。
「きっとじいちゃんとばあちゃんも買い物に行ってるんだろうな」
ちょうど家に帰った時には車も置いてなかった。
ここから街まで車で行かないと距離があるからな。
俺は再び家の中に入ろうとしたら、現実を突きつけられた。
玄関には血のような生臭いにおいが漂い、以前のように綺麗に掃除された家はそこにはなかった。
「じいちゃん! ばあちゃん!」
幻覚だと思っていたが、やはりあの化け物が襲ったのかもしれない。
さっきから胸騒ぎが収まらない。
何度声をかけても声はしないし、部屋の中を見回しても、祖父母の姿は見当たらなかった。
「何が起きたんだよ……」
俺は情報を得るために、テレビをつけてみるが、どこの局も色褪せたカラーバーだけが無機質に映っていた。
ポケットに触れ、スマホを――。
「あっ、後部座席にあるか」
すぐに車に乗って後部座席を確認する。
明かりをつけてみるが、中々奥までは見えずらい。
「あっ……ネギならいけるか?」
今も手に持っているネギはわずかに光っている。
ネギを座席下に入れて覗くと、ちょうど座席の奥に金属レールとの隙間に挟まっていた。
「ははは、ネギって便利だな」
まさかネギがこんなに便利だとは思いもしなかった。
俺は手を伸ばして、スマホの画面を確認する。
「なんだこれ……」
スマホの画面には、緊急速報が何件も表示されていた。
【緊急速報】
【外出を控えてください】
【不審な生物を発見した場合は――】
その下には大量の通知が並んでいる。
【糞野郎:勝手に有給消化するなんて舐めてるのか?】
【ニュース速報】
【Xトレンド:#化け物】
【糞野郎:お前以外にも無断欠勤して、バカばかりだな。いつになったら出勤するんだ?】
【未確認生物の動画】
【通信障害発生中】
【避難指示】
「……はっ?」
つい糞――主任からのメールに声が出てしまった。
見たこともないほどのたくさんの情報の中から、一番初めに目を通すとはな……。
ただ、メールは二件のみで、それ以上主任からの連絡はなかった。
「詳しいことはわからないけど、何かが起きているのは確かだな」
電波が悪いため、詳しい情報まではわからない。
ただ、今は避難をしないといけないほどの状況なんだろう。
きっと祖父母も避難しているに決まっている。
俺はそう思うことにした。
「はあー、暗くなる前に家の中を少しでも片付けるか」
壊れた家財や食器類をまとめていく。
こんな状況じゃ、祖父母が帰ってきても生活できないからな。
それに避難も時期に解除されるだろう。
「ふぅー、ある程度はどうにか片付いたな」
まるで強盗に入ったような家の中は、ある程度は住めるような形に戻ってきた。
ふと、自分の部屋の扉が目に入った。
「……懐かしいな」
高校を卒業して家を出てから、ほとんど帰ってきていない。
忙しいのを言い訳にして、バカみたいだ。
「まだ帰ってきてから入ってなかったな……」
俺は扉を開けると、そこにはあの頃のままの部屋が残されていた。
「そのままだな」
学生時代に使っていた机。
少し色褪せたカーテン。
棚に並ぶ漫画やゲーム。
まるで時間だけが止まっているみたいだった。
きっと祖父母が帰ってきた時のために、そのまま残しておいてくれたのだろう。
俺は机の上を懐かしんで触っていると、一枚のメモが置かれていることに気づいた。
【修平へ 避難所へ移動する。もし帰ってきたら、小学校の体育館へ来い。じいちゃんより』
「……ははは、やっぱり避難してたか」
思わず力が抜け、その場に座り込みそうになる。
少なくとも、あの血は祖父母のものじゃないだろう。
それだけで胸の奥が少し軽くなった気がした。
だが、部屋を出た時、視界の端に薬の袋が見えた。
「……薬?」
廊下には飲みかけのペットボトルや、散らばったタオルが置かれている。
壁には引っ掻いたような跡まであった。
「もしかして……いや、そんなことはないな」
さっきは化け物に荒らされたのかと思ったが、どこか違和感を覚える。
手紙も祖母ではなく、祖父の字で書かれていた。
こういう時って祖父よりも祖母の方が気づいて書きそうなのにな……。
「とりあえず、迎えに行くか」
外はすでに薄暗くなり始めていた。
夜になれば、あの化け物がまた現れるかもしれない。
俺はネギをスーツのベルトに通すと、車へ乗り込んだ。
町へ近づくにつれて、異様な光景が目に入る。
乗り捨てられた車。
割れたガラス。
道路に散乱する荷物。
それでも完全に無人というわけではない。
実家に帰ってくる時は気づかなかったが、思ったよりも荒れているようだ。
「マジで終末映画じゃねえか……」
小学校が見えると、中は避難してきた人たちで溢れていた。
泣いている子ども。
怒鳴り合う大人。
スマホを握りしめて呆然としている人。
そして入口付近では、何やら揉めている声が聞こえた。
「だからばあさんは感染なんかしてない!」
「ですが、症状が確認されていて――」
「じいちゃん!?」
慌てて駆け寄る。
祖父は職員に詰め寄り、祖母はその後ろでボーッと立っていた。
「修平! 無事だったか!」
「何やってるんだよ! 迷惑をかけたらダメだろ!」
俺は咄嗟に祖父の手を掴むと、あまりにもシワシワになった手に驚いた。
毎日俺の手を引き、畑から帰っていた大きな手は、もうそこにはない。
俺が帰ってこない間に、祖父母は痩せこけ、あの頃の元気な姿はなかった。
「すまない……」
小さな声で謝る祖父の声に、俺は胸が締めつけられる。
謝るのは俺のほうだ。
今まで帰ってこなくて、心配をかけ続けたのは俺のほうだからな。
「じいちゃん、ただいま」
俺はニコリと微笑むと、祖父は少し戸惑いながらも、いつものように俺の頭を撫でる。
「おかえり。修平」
優しい声に俺は涙が溢れそうになった。
だが、祖母の方をみるが、よだれを垂らして、視線が定まらない。
まるで映画の世界にいるゾンビになっているようだ。
「ばあちゃん……」
俺は声をかけようとしたが、祖父と揉めていた人物は困り切った顔で説明した。
「おばあさまは感染症状の疑いがあります」
「感染症状……?」
俺は何が起きているのかわからず首を傾げる。
「ひょっとして知らないのか? 謎のウイルスに感染したものは脳を奪われて凶暴な悪魔になると……」
視線は祖母に向けられていた。
まさか祖母がその謎のウイルスに感染したかもしれないってことか?
「避難者の安全のため、中へ入れるわけには――」
「違うんだ!」
祖父が声を荒げる。
「妻は認知症なんだ!」
「えっ……」
祖母が認知症だって……。
確かに家の中は汚れていたし、薬が散らばって――。
いや、家の中が汚れていたのは、掃除が苦手な祖父が一人で頑張っていた証拠かもしれない。
「最近ちょっと様子がおかしくてな……急に叫んだり、暴れたりすることがあるんだよ!」
周囲の避難民たちは露骨に距離を取っていく。
その姿を見た瞬間、胸の奥がズキリと痛んだ。
俺は何も知らなかった。
祖父が一人で支えていたことも。
祖母がこんな状態だったことも。
俺は仕事を理由に目を逸らしていた。
「早くここから出て行ってちょうだい!」
「感染している人が避難できるわけないだろ!」
一人声をあげれば、周囲の声は少しずつ大きくなる。
みんな自分のことを守るのに精一杯なんだろう。
「じいちゃん、家に帰ろう」
「修平?」
「家なら人目もないし、じいちゃんたちも落ち着けるだろ」
このまま祖父母を見世物にするわけにはいかない。
今度は俺が守ってあげる番だ。
「でも外は危険だぞ」
「たぶん大丈夫」
俺は腰につけていたネギを見せる。
「これがあれば、なんとかなるかもしれない」
「……は?」
祖父母が同時に固まる。
いや、祖母はずっと固まっていたか。
「このネギで化け物が切れるんだよ」
「修平……」
祖父が心配そうに俺の顔を見つめた。
「都会で無理しすぎたんじゃないのか……。働きすぎで頭がおかしくなったんだな」
「それにこんな状況じゃ仕方ないですよ」
なぜか祖父だけではなく、周囲の人にも哀れな目で見られてしまった。
ついさっき化け物をネギで切ったのに、誰も信じてくれないようだ。
ただ、そのおかげで俺たちに文句を言うものはおらず、静かになった。
「ばあちゃんは信じてくれるだろ?」
俺は祖母の手を握ると、どこか頷いたように見えた。
ネギで化け物を真っ二つにしたなんて、まともな人間なら信じるわけがない。
それでも祖母は味方になってくれたような気がして嬉しかった。
「……とにかく、お前を一人にはできん」
祖父は困ったように頭を掻いた。
「……えっ?」
「おかしくなった孫を放っておけるか」
「その言い方やめてくれない!?」
結局、半ば強引に俺は祖父に引っ張られる形で一緒に帰ることになった。
そういえば、祖父の車はなかったけど、車に乗るのをやめたのだろうか。
「じいちゃん、元気だった?」
「ああ……」
車の中で祖父に声をかけてみるが、どこか気まずそうに足元を見ていた。
祖母が認知症になったことを負い目に感じているのだろうか。
「じいちゃんは一人で――」
「修平! 止まれ!」
「っ!?」
俺は急いでブレーキを踏む。
ヘッドライトの先。
そこには人間ほどの大きさをした黒い化け物が立っていた。
全身がぬめりのある泥のようで、異様に長い腕を引きずっている。
「また出やがった……!」
前は犬のような見た目をしていたが、今回は人のような姿形をしている。
俺は車から飛び出し、腰ベルトに挟んでいたネギを構えた。
「修平! 危ないぞ!」
「下がってて!」
実際にネギで化け物を切るところを見たら、祖父も安心するだろう。
化け物は俺に気づいたのか飛びかかってくる。
「うおおおおっ!」
距離はあるが、俺は勢いよくネギを振り抜いた。
犬の化け物が真っ二つになった時も、少し離れていたから問題ない。
だが――。
「えっ?」
ネギはふにゃりと曲がり、化け物の身体に押し返された。
「切れない!?」
化け物は手を額に当てて、ケタケタと笑っているように見えた。
あいつら感情でもあるのだろうか。
「修平!」
「じいちゃん!?」
そんな俺を祖父が押し倒した。
俺たちの真上を長くて黒い腕が通っていく。
「うっ……」
俺はすぐに転がっていくが、祖父はその場で倒れたまま動けなくなっていた。
それを見た化け物は再びケタケタと笑っている。
「くそっ……!」
さっきは化け物が切れたのに、なんで今は駄目なんだ。
ネギを見てみるが、折れ曲がってその辺に売っているネギと変わりない。
そして、あの輝きはなくなっていた。
「どこかに……」
焦って周囲を見回した瞬間、道路脇の畑が目に入る。
「ネギ!」
反射的に畑へ飛び込み、植えてあるネギ一本を引き抜いた。
その瞬間――。
白い葉鞘が眩く発光する。
やはり光っているネギは何かが違うのだろう。
「やめろおおおお!」
祖父に伸びる怪物の手を目掛けて、俺はネギを振り抜く。
光の軌跡が闇を裂いた。
化け物は抵抗する間もなく真っ二つになり、そのまま黒い煙になって消えていく。
「……やっぱりこのネギ、おかしい……?」
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