第十八話「認識」
第十八話 「認識」
(主人公 イエロー2)
朱祢とタロは不思議な力を手に入れた。しかし、その力を使う機会はなかった。数日経過し、その時のショックも薄れ、日常が戻り始めてきた時にそれは起きた。
予防注射を打つため、病院で診察を受けるタロ。
獣医「ん?おかしいな、心音が聞こえない…」
朱祢「えっ…それってどういうことですか?」
それからしばらくの間、獣医は道具を変えたりレントゲンを撮ったりした。
朱祢「何かわかりました?」
獣医「正直、まったくわかりません。本当に心臓が動いていないとしか…それに、他の臓器も動いている様子がないです。でも…元気ですよね…?」
この時、朱祢は思い出した。この数日間、タロはドッグフードをほとんど食べなくなり、排泄も見られなかった。家族全員で交代でトイレを見ていたので、誰かが換えたのだろうと考えていた。それに、そんな生物離れした奇妙な出来事には心当たりがあった。そう、数日前の出来事だ。
嫌な予感がし、顔がみるみると青ざめる朱祢。
朱祢「すみません。今日はもう帰ります。」
獣医「すみません、おそらく機材の不具合だとは思うのですが…。体調は問題なさそうなので注射だけでも打っていきますか?」
朱祢「あ…では、お願いします…」
獣医が注射を打とうとすると…バシュン!!!と見覚えのあるオーラがライドを包んだ。注射の針は吹き飛ばされ、周りに置かれていたものは滅茶苦茶に荒らされた。
獣医「なっ!なんだ…これは…!?」
看護師「きゃあああああ!!!」
タロの周りにはエネルギーが充満しているかのようにオーラが漂い、近づけば攻撃されるだろうと直感させる何かがあった。それは主である朱祢にすら感じ取れるものであった。他者である人間や動物は朱祢の何倍もの「攻撃の予感」を感じていただろう。
悲鳴を聞いた院内の人間はタロとその周りの異様な光景を見るなり、恐怖に支配され攻撃的になった。それは犬や猫も同様だった。
「バウ!!!バウ!!!」「フシュー!!」「逃げろー!」「早くその化け物をなんとかしてよ!!」「助けてー!」「化け物だ!」「ふざけるな!早く出ていけ!!」「ヒーローはまだか!?」「お前のペットか!どうなっているんだ!?」「怖いよー!!」「早く逃げて!」
阿鼻叫喚の中、当然朱祢は冷静でいられなかった。トラウマを掘り起こされた上で突然、思いもよらない出来事が起こり、しばらく何も考えられなかった。
目に映る非日常の世界、愛犬と自分を非難する声、それらを感じることしかできなかった。
朱祢の意識を現実世界へ引き戻したのはパトカーのサイレン音だった。
朱祢「タロッ!行くよ!」
朱祢はタロを抱え上げ、ただひたすら走った。ただがむしゃらに、動物病院から離れることだけを考えて走った。
自分でも、どれほど走ったのかわからなくなると、ようやく冷静さが戻ってきた。抱えていたタロを見ると、もうオーラは消えていた。サイレンの音も聞こえなくなり、どこかもわからない静かな住宅街と着いていた。
近くの公園のベンチに腰を下ろし、先ほどの出来事について考える。
朱祢(タロはどうなっちゃったんだろう…。もうタロはタロじゃないのかな…やっぱりあの時、死んじゃったのかな…。)
朱祢はタロを抱き上げる。タロは悲しそうな主人の顔をみて「クゥン…」と小さく鳴く。朱祢はタロを抱きしめ、考える。
朱祢(ううん。タロは生きてる。たとえ、ちょっとだけ普通じゃなくなっても、タロはタロだもん…。私の大切な家族…。たとえ、心臓が動かなくても…ごはんを食べなくなっても…。あれ?)
ある考えが頭をよぎる。
全身の血の気が引いた。
朱祢(タロがおかしくなっちゃったのが、あの変な力のせいなら…私は……??)
汗が吹き出し、吐き気を催した。朱祢はトイレへと駆け込もうとする。
朱祢(あれ?でも私は今朝、トイレに行った。そして今も汗が出ている!そしてそして、私は今、この異常な心音を感じている…! 良かった!私の体はそのままだ!何も変わってなんかいない!いつものままだ!私は生きている…)
朱祢「はぁ~~~よかったぁあ~~……」
安心した朱祢の全身からは力が抜け、倒れるようにその場に座り込んだ。
タロが朱祢の前に尻尾を振りながら寄って来る。朱祢はそのタロを微笑みながら撫でた。
朱祢「そろそろおうちに帰ろうか!」
朱祢は立ち上がり、ある方角を見る。
そして、あることに気が付いてしまう…。
朱祢(あれ……なんで私…この方向に家があるって思ったんだろう………どうして知らない場所なのに…家の位置が正確に分かるような気がするんだろう……)
鼓動が早くなり、またもや顔が青ざめる。
ポケットからスマホを取り出し、現在地を確認する。
そこには当然知らない地名が書かれていた。そして先ほどまで居た動物病院からは20キロ以上離れていることがわかった。
朱祢(なん…で…?…20キロ以上も走れるわけが…全然疲れてもいないし…あの時は…焦っていたから…焦っていただけ…関係ない…関係ない…私は普通…私はどこもおかしくない…おかしくない…おかしくない、大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫……)
息が切れ、頭を抱えながらその場にしゃがみ込む。目を閉じ、何度も心の中で「大丈夫」「私は普通」「おかしくない」と唱えた。
しかし、意識すればするほど己の意志とは真逆の確信が迫ってくる。
(分かるだろう?その体で息が切れるなんてありえないことが…)
朱祢(違う…!!そんなはずない…私は…私は……)
(家までの距離がミリ単位ではっきりと理解していただろう?)
朱祢(そんなわけない!そんなことできるわけない!!違う違う違う違う…混乱しているだけ…混乱しているだけ…)
(どうして23キロ、427メートル、35センチ、8.2ミリも離れている自宅にすぐに帰れると思ったんだ?)
朱祢(やめて…やめて…気づきたくない…気づきたくない…!!)
(その体で跳べると思ったからだろう?その体はもう普通じゃないんだよ…。お前はもう人間じゃない)
朱祢(いやあああああああああああああああっっっ!!!!!!!!)
朱祢「あ………」
気が付くと、息は整い、鼓動も正常、手の震えも完全に止まっていた。
気が付いてしまった…。
完全に理解してしまった…。
あの力を受けた時からもう普通とは程遠い存在になってしまったことに…。
どれだけ心が否定しても体は変わってしまった…。
獲物を仕留めるために特化したこの体…。
朱祢(涙だけは出るんだ……でも…もう……涙しか………)
「きゃあああああああ!!!」
女性の声が聞こえた。
(行かなきゃ…)(行かないとな)
朱祢(……っ!?)
強烈な意志が全身を貫く。
敵を倒し続けること、それが契約。
朱祢「いやだ…そんなこと…したくない…」
脚に力が入る。弓を持つ握りこぶしに力が入る。
抑えられないほどの衝動。
涙ながらに否定する朱祢。しかし、隣には既にオーラを纏い、弓矢を差し出すタロがいた。
朱祢「タロ……タロまで………なんで……?」
「誰かー!誰か来てー!!助けて」
女性の声はすぐ近くで聞こえる。女性の声は震えており、やっとの思いで声を出しているのが分かる。
おそらく、今にも襲われそうで助けを求めているのだろう。
その女性の状況をイメージした朱祢はそれを自分の経験と重ね合わせていた。
ぎゅっと目を閉じ、数秒考えたあと、弓矢を手に取った。
女性がいる位置、敵の位置、最短で狙える位置、全てわかっていた。
朱祢はその場から一跳びで公園の柵を飛び越え、直線上に見えた敵を射た。
そのセピア色の一矢にはタロのオーラを纏っており、放たれると一直線に残光が煌めいた。
一瞬しか目に映らない直線状の輝き。その輝きは敵を貫いたあとゆっくり、きらきらと消えてゆく。
朱祢(儚い光……まるで命なんて簡単に消えてしまうと伝えているみたい……そして…私にはその命を儚く散らせることができる力があるんだ……)
朱祢は地面に静かに着地すると、タロに弓矢を預けた。
朱祢「帰るよ…」
朱祢の眼はもう少女の眼ではなくなっていた。獲物を射止める冷たい狩人の眼。
力を持った者の使命を刻み込まれ、そのことに絶望した元人間。
敵を狩り続ける意志が、体を貫き続ける。
心だけはそれを否定する。
しかし、その否定は徒労に終わる。なぜなら朱祢自身が死の恐怖を体験したことがあるからだ。その恐怖を感じている人を見殺しにすることはできない。あの時、誰よりも怖がり助けを求めた彼女に、見殺しにされた人の未練を背負う精神性はない。
ならば、あの時力を手に入れなければよかったと後悔するか?
それもできない。あの時に力がなければ愛犬は死んでいた。助けられなければ自分も死んでいた。だから、力を手に入れないという選択肢もなかった。朱祢には、あの選択を後悔することもできない。ただただ、運命を呪うことしかできない。
どこにも感情をぶつけることができない…。
ただただ、絶望に包まれていくだけだ…。
朱祢(運命は残酷だ…)




