↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/11

「拷問はシャワーの後で」 笑い、監禁、裏稼業、拷問未満



親を質に入れてでも、生き延びる。

それが俺の信条だった。

金のためなら仲間も売った。脅迫もした。必要なら人も殴った。敵対組織に捕まった以上、拷問されるだろう。こういう時には少しだけ拷問に耐える必要がある。


意外かもしれないが、すぐに吐いてしまうとそれ自体が嘘ではないか、ともっと苛烈になる。

そこが難しい。


俺としては知っていることを全部話して助かるつもりだった。

忠誠心などというものは、命より安いのだ。


薄暗い部屋へ押し込まれ、俺は中央の椅子に縛りつけられた。

「なんとか拉致できたな。あとは拷問して、敵の秘密を吐かせるだけだ」


俺を連れてきたのは、派手なアロハシャツを着た男だった。

粗暴な口調。落ち着きのない目。嫌に体の線が細く、歯が抜けている。

こういう男は、自分より弱い相手には何をするか分からない。

その後ろから、さらに大きな男が入ってきた。

俺も知っている顔だった。無敗のボクシングチャンピオン。なぜ裏社会にいるのかは知らないが、素手で殴られれば、俺の頭など一発で砕けるだろう。


俺は腹を決めた。


だが、チャンピオンの手には、ちりとりが握られていた。

「拷問道具、手に入れたか?」

「お前が用意するんじゃないのか」

「俺はこいつを運んできただろ。部屋の準備をするって言ったのは、お前だ」

「そういうことか。俺、掃除しろって言われたのかと思った」

「だからお前、ちりとり持ってんのか」

「水拭きもしようと思った」

「いいよ! そこまで本格的にやらなくて。拷問部屋を内覧に出すわけじゃねえんだから」


俺は二人を見比べた。

何かの演技かもしれない。

こちらの緊張を解き、油断させるための心理戦。そう考えれば、ちりとりにも意味がある。

むしろ何かの新しい拷問なのかもしれない。


「ここはどこだ。俺をどうするつもりだ」

「うるせえ。今、準備してんだよ」

「その準備を俺の前でやるのか?」


アロハが黙った。

チャンピオンも黙った。


どうやら、そこまでは考えていなかったらしい。


「こういう裏方を見られるのは萎えるな」

「分かる。変身ヒーローが着替えてるところを見られるようなもんだ」


心理戦ではなさそうだった。


「計画性がないな」

「ぐじゃぐじゃうるせえな! これから恐ろしい拷問を始めるぞ!」

「俺はどんな拷問にも耐えてみせる!」


もちろん嘘だった。

もう拷問が始まれば、できるだけ早く全部話してもいいと思った。


「威勢のいいことだ。どこまでその強気が続くかな」


チャンピオンが俺を見下ろした。

声だけは恐ろしい。体格も申し分ない。黙って立っていれば、非の打ち所のない悪党だった。


「何をするつもりだ」


だが、返答はなかった。返ってきたのは沈黙だけだった。

どこかでバイクが通り過ぎる音が聞こえた。



「これから拷問する」

「そうだ。拷問するんだ。楽しみにしてな!」


二人は部屋の隅へ移動した。

ただし、小声で話すという知恵はなかった。


「……ああ言ったけど、マジでどうする?」

「俺、知らない」

「映画で見たことあるだろ」

「水責めはどうだ」

「いいな。どうやる?」

「まず、タオルと大量の水を用意する」

「タオルは何に使うんだ?」


チャンピオンは長く考えた。


「あれじゃないか。水をかけたあと、口元を拭いてやる」

「なるほど」


なるほどではない。


「問題は水だな」

「あ、昨日の風呂の水が残っている」

「昨日の? お前のかよ。気持ちわりぃ」


俺はこれまで何人もの悪党を見てきた。

しかし、拷問される側と同じ理由で使用する水を嫌がる悪党は初めてだった。


数分後、チャンピオンがバケツを抱えて戻ってきた。

俺の口へタオルが詰め込まれる。

いよいよ来る。

俺は目を閉じ、苦痛を覚悟した。


「よし、いくぞ!」

「よいしょ! よいしょ!」

「よいしょ! よいしょ!」



祭りが始まった。



少量のぬるい水が、手桶で丁寧にかけられていく。

死ぬほど苦しいわけではない。しかし、昨夜この大男が浸かっていた湯を浴びていると考えると、

別の意味で耐えがたかった。


「……ごめん。一回やめようか」

「どうした」

「掛け声やめよう。なんか祭りみたいになってる」

「確かに」


二人は神妙に反省した。


「こいつ、全然効いてない」

「なんか、ちょっと笑ってない?」


笑ってはいない。

ただ、もうどうしていいか分からなかった。

口からタオルが抜かれる。息を吸うと、鼻の奥に花の香りが広がった。



「なんでこんないい匂いするんだ?」

「敏感肌用の入浴剤だ」

「そんなの使ってるのか」

「ラベンダーのやつ。炭酸が入ってて」

「そこまでは聞いてねえ! まったく、俺たちは汗だくなのに、こいつだけどんどん爽やかになっていくのが気に入らねえ」


アロハは不機嫌そうに俺を睨んだ。

嫉妬するところが違う。


「まさか……水責めは冬にやるものなのか?」


季節の問題ではない。

俺は少し疲れていた。


「もう手っ取り早く殴るんじゃ駄目なのか?」


来た。

ついに本物の拷問が始まる。

チャンピオンが俺を殴るのなら、抵抗するだけ無駄だ。一発目で全部話そう。


「駄目だ。グローブがない」

「素手でいけよ。無敗のチャンピオンだろ」

「駄目だ。血が出る」

「お前、血を見ると倒れるもんな」

「倒れはしない。静かに意識を手放すだけだ」

「倒れてんだよ!」


どうやら俺の方が長く意識を保てるらしい。

チャンピオンは少し考えたあと、俺の顔を見た。


「喉は渇いていないか。ここに来るまでトランクは暑かったろ」


冷蔵庫から缶ビールを取り出し、俺の前へ置く。

なぜビールなのか。なぜ拷問をした側が気遣うのか。

だが、喉は渇いていた。




チャンピオンは缶を開け、俺の口元へ運んだ。

一口だけ飲むつもりだった。だが、角度が悪い。口の中に流れ込むビールを飲むのに必死だった。

味は悪くない。思いのほか冷えていた。


「うまいか」


答える前に、チャンピオンは満足そうにうなずいた。


俺は分かった。

こいつは馬鹿なのではない。

馬鹿で、しかも根っからの善人なのだ。

悪党としては致命的だった。


「一度、映画を見て勉強し直そう」


善人のチャンピオンが提案した。


「今からビデオ借りに行くのか?」

「店員に聞けばいい」

「なんて聞くんだよ」

「『拷問シーンのある映画を貸してください』」

「そんな聞き方、俺が店員だったら警察呼ぶぞ。仕方ないからダウンロードするわ」


アロハはスマートフォンを取り出した。



「お前ら、ちょっとやる気出せよ」

なぜ俺が発破をかけているのだろう。


「うるせえ! 速度制限中なんだよ!」


画面には、ダウンロード完了まで残り一時間と表示されていた。


俺は分かった。

おそらく、こいつらは金もない。


「時間を無駄にするなよ。とにかく、ほかに何かないか……こう……」

「水はもうない」

「なら、精神的に攻撃しよう」

「精神的に?」

「嫌なことをしてやるんだ」

「なるほど」


チャンピオンが俺のポケットを探り、スマートフォンを取り出した。


「このスマートフォンを……」

「何をするつもりだ」

「こうしてくれるわー!」


適当な数字が入力された。

パスコードが違います、と画面に表示される。


「ほーら。あと一回間違えたら、三日間使えないぞ」


背筋が冷えた。


「や、やめろー!」


捕まってから初めて、心の底から声が出た。

この拷問は実に効果的だった。

連絡先も、口座も、仕事の資料も、すべてあの中に入っている。

こいつらはついに、本物の拷問へ辿り着いたのだ。


なにより、こいつらと三日間も過ごすのは長すぎる。


そのとき、アロハのスマートフォンが鳴った。

「うわ、ボスだ。任せた」


任せるな。

アロハは少し離れ、電話に出た。


「はい、お疲れさまです」

『拷問はどうだ』

「順調です」

『いいか。そいつの携帯のパスワードを聞き出せよ』


チャンピオンは高笑いしながら、最後の一回を入力しようとしている。

「どうだー! ふははははははははは!」


アロハがゆっくりとこちらを振り返った。

「……最低でも三日かかりそうです」


俺は分かった。

この三日間は、何とかなるかもしれない。


     *


映画のダウンロードが終わるまで、かなり時間がかかった。

その間、チャンピオンは俺にもう一本ビールを飲ませた。空腹ではないかと聞き、冷蔵庫からチーズまで持ってきた。

アロハはそのたびに、

「捕虜をもてなしてどうすんだよ」

と怒った。

だが、チャンピオンが部屋を離れると、俺の肩にタオルを掛けた。

「濡れたままだと風邪ひくからな。いや、待て。俺は何してんだ」


自分で掛けたタオルを取り上げようとして、少し考え、そのままにした。


「別にお前のためじゃねえ。ソファーを濡らされたくないだけだ」


悪党にはよくある言い訳だった。

ただし、この男の場合は、自分自身に対する言い訳だった。


やがて三人でソファーに座り、映画を見ることになった。

中央には俺。左右にはアロハとチャンピオン。

両手はまだ縛られていたため、俺の腕の上にポップコーンの器が置かれた。


「……おい。水責め、やり方違うじゃねえか!」

「確かに。顔だったんだな。口じゃなくて」

「今からやり直すつもりか?」

「うっせえ。ポップコーンくれよ」


アロハが俺の前の器へ手を伸ばした。

「ここからがいい所なんだよ」


アロハは何気なく、俺の口へポップコーンを放り込んだ。

二つ目を差し出したところで、急に手を止めた。


「キャラメル味は俺のだ」


知らない。



チャンピオンが器へ手を突っ込み、ポップコーンを頬張る。

「これは俺が作った。ならば、俺の物だ!」

「おい、ソファー汚すなよ!」


二人は俺の左右から身を乗り出し、言い争いを始めた。

肩がぶつかる。肘が当たる。挟まれている俺の存在など、二人とも忘れている。

その騒がしさの中で、ふと妙なことを考えた。


兄弟というものは、こんな感じなのだろうか。

俺には兄弟がいなかった。

家族と呼べる人間も、ずいぶん前に自分から切り捨てた。


もし兄弟がいたなら、くだらないことで喧嘩をして、映画の途中でポップコーンを奪い合い、濡れた服を心配されるようなこともあったのかもしれない。


もちろん、こんな馬鹿二人である必要はない。


「あー、もういい! 汗かいた! 風呂浴びてくるわ!」

アロハが立ち上がり、浴室へ向かった。

扉が閉まる。

しばらくして、チャンピオンが俺の口元へビールを運んだ。


また角度がキツイ。


チャンピオンが画面から顔を背けた。

「この先は血が出るから、終わったら教えてくれ」



今がチャンスなのではないだろうか?

血を見せれば逃げられるのではないだろうか?


たぶん逃げられる。

その方法だけは覚えておこう。


だが、少なくとも三日間。

ここでなら、何とかやっていけそうだった。


「おい!!」

浴室から、アロハの声が響いた。

俺とチャンピオンが同時に顔を上げる。


「お湯がねえぞ!!!!」


昨日の残り湯なら、さっき俺に全部使った。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。