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「水曜日」 しんみり、SF、義体化、帰還兵


刑事は黄色い規制線をくぐった。

部屋の中央に、男が倒れていた。

倒れたというより、停止した機械を横倒しにしたようだった。

腕も脚も金属で、服の下にどれほど生身が残っているのかは分からない。


「メタルシンドローム?」

「はい」

「メンタルではなく?」

「メタルです。戦場で鋼鉄のように熱された心が、平時では熱を失ってしまう。そういう精神疾患だそうです」

「錯乱して暴れたりするのか」

「逆です。問題になるのは無気力と餓死です」


刑事は遺体を見下ろした。

争った跡はない。苦しんだ様子もなかった。

「食べるのを忘れるのか」

「水や酒は飲むんです。本人は最後まで、餓死していることに気づかないこともあるとか」

「機械の身体になったせいか?」

「一説では、機械化による自己感覚の喪失が原因だと」


若い刑事は端末を見ながら続けた。

「ただ、逆かもしれないとも言われています」

「逆?」

「こういう状態になりやすい人間が、そもそも機械化兵に選ばれていたんじゃないかと」

「機械に向いていたから、死ぬまで気づかなかった?」

「噂ですけどね」


窓の外では、雪がちらついていた。

この重量では階段を使えない。遺体は窓からクレーンで搬出することになった。

若い刑事の電話が鳴った。

「はい。……違います。現場は八〇四号室です」

電話の向こうの声に、若い刑事の顔が曇った。

「四〇八号室から、もう搬出してしまった? そっちは知りませんよ」

通話を切る。

「どうします?」

刑事は、規則正しく並んだ窓を見上げた。

「そっちも調べろ」


     *


去年の今頃、俺は戦闘車両の荷台で機関銃を撃っていた。

今日はトラックの荷台で、クリスマス商戦の商品を積んでいる。

浮かれた子供の絵が描かれたロボット玩具。笑っている少女が抱く人形。

原色の箱が、荷台の奥まで隙間なく並んでいた。



忘れていたと思っていた。

そんなに繊細ではないと思っていた。

トラックの荷台へ飛び乗ったとき、足の裏が戦闘車両の床を思い出した。


身体は仕事を選ぶ。


箱を一つ積むたびに、自分がC4を積んでいるのか、玩具を積んでいるのか分からなくなった。

爆薬は、戦場で使う玩具には違いない。

戦争は、大人の遊びだったのかもしれない。


ただ、死ぬことがある。


ごっこ遊びなら失うものはない。戦争ごっこでは、本当に人が死ぬ。

もし復讐や祖国への愛のために戦えていたなら、まだ本望だったのだろう。

達成感もあったかもしれない。


だが、あの頃の気持ちも、今の気持ちも、それほど変わらない。

命令された荷物を、指定された場所へ運ぶ。

人を殺すか、玩具を運ぶかの違いでしかなかった。


精神を病む者は弱いのだと思っていた。

どんな場面でも平静でいられる自分は、強いのだと思っていた。


だが、違った。


湿っぽい気持ちは、水を保てる物体に宿る。

水を保てるということは、押せば漏れるということだ。


俺は違った。

押しても漏れない。

我慢していたのではない。

初めから、湿ってもいなかった。

強い、弱いという違いではない。


人であるか、そうでないかの違いでしかなかった。

戦場で鋼鉄になったのではない。

鋼鉄になることを受け入れた。


自分で使い道を決めるくらいなら、誰かに使われるほうがよかった。


使われるなら、一番価値の高い場所で使われたかった。


戦争が終われば、英雄として人間に戻れると思っていた。

だが、英雄もまた、与えられた型でしかなかった。

仕事を終え、帰還兵寮へ戻った。


部屋の電気はつけなかった。

向かいのマンションの中がよく見える。

食卓を囲む家族がいる。テレビの前で眠る男がいる。洗濯物を畳んでいる女がいる。

窓からこぼれた光が、地面を照らしていた。

マンションそのものが光っているように見えた。


こちらの寮は光らない。


全員、戦場からは帰っていた。


だが、まだ誰も戻ってきていない。


     *


「お加減はいかがですか」

「問題ない」

「また、そうやって口を動かさない」

「エネルギーの無駄だ。スピーカーでいい」


女は机の向こうで息を吐いた。

「最初の面談でも、その話をしましたね。もう一年になります」


そうだっただろうか。

「部屋の電気はつけていますか」

「見える。スターライトがある」

「見えるかどうかではなく、電気をつけていますか」

「つけていない」


女は端末へ何かを書き込んだ。

「食事は?」

「週に一度、ユニットB」

「普通の食事です」


少し考えた。

「……パン?」


女が顔を上げた。

「お友達はできましたか」

「同僚ならいる」

「名前は?」

「会えば分かる」

「番号ではなく、名前を覚えましょう」

「相手も名乗らない」

「帰還兵以外は?」

「いない」


女は端末を伏せた。

「私との関係は、どう思いますか」

「メンタルコーディネーターと帰還兵」

「友達では?」

「名前を覚えていない」

「ひどいなあ」

「名乗ったか?」

「何度も」

「今後、気をつける」

「別に構いませんよ」


女は椅子の背にもたれた。

「私は、あなたをよくするためにいるのではなく、これ以上悪くならないようにいるのだと思っています」

「悪くなるとは、どういう状態だ。エラーコードは?」

「分かりません」

「よくなるとは?」

「少なくとも、来月の電気代を倍くらいにしたいですね」

「努力する」

「そうやって、会話を終わらせようとする」


俺は黙った。

「今日、ご飯でも食べませんか」

「補給は済んでいる」

「補給ではなく、食事です」

「腹は減っていない」

「そりゃそうでしょう。減らないどころか、ないんですから」

「今の発言は、差別的発言として記録する」

「いいですよ。そうやって距離を詰めましょう」

「椅子の距離が問題か」


女は笑った。

「お酒は?」

「一日五百ミリリットル。純アルコール換算で二十ミリリットル。摂取時間は平均六分」

「毎日?」

「そうだ」

「今のあなたの体重は一キロもありません。生身は、ほとんど脳だけです。それに対して二十ミリは飲みすぎです」

「酔えない」

「酔いたい理由は?」

「分からない」

「言いたくないだけでは?」

「言いたくない」


女は少しだけ黙った。

「なら、今日は聞きません」


端末を閉じる。


「次回は水曜日にしましょう」

「分かった。シフトを空ける」

「メリークリスマス」

「教徒ではない」

「では、アケマシテオメデトウ?」

「日本人だったのも、子供までだ」


女は答えなかった。

俺も、女の名前を尋ねなかった。


     *


部屋へ帰ると、中央に立った。

気づけば、いつも同じ場所にいる。


窓の外には変化がある。

空が暗くなり、人が通り、向かいの窓に明かりが増えていく。

この部屋には変化がない。


絨毯の柔らかさは変わらない。

窓の大きさも変わらない。


製品としての仕様は、手を加えなければ変わりようがない。


窓も、絨毯も、俺も変わらない。


昨日、迷い込んできた何かの毛は、今日も同じ場所にある。


俺の指では拾えない。


何も変わらないなら、ここには時間もない。

時間がないなら、俺は生きているのだろうか。

欲求のすべてを失った自分は、何者なのか。


いや。


何者ではない。


何なのか。


     *


翌日、向かいのマンションで電気系統の不具合が起きた。

誰かが一室の電気を消すと、棟全体の電気が消える。

別の部屋でつければ、すべての電気がついた。

マンションは一晩中、不規則に点滅していた。

こちらの帰還兵寮には影響がなかった。


誰も電気を使っていなかったからだ。


朝、仕事へ出ると、高所作業車が来ていた。

一人の作業員が、リフトで上がり、配線を調べ、下へ戻って車両を動かし、また上がっていた。


仕事を終えて戻っても、男はまだ作業を続けていた。

向かいのマンションでは、ときおり明かりが点滅している。

回数は昨日より少ない。


人は慣れる。


俺は部屋の中央に立っていた。

高所作業はまだ続いている。


外の景色ではなく、作業員が気になった。

彼の顔を見るには、窓へ近づかなければならない。


俺は一歩動いた。


視界を拡大する。


しわの多い顔だった。


雪を警戒しているのか、厚着をしている。


額から汗が落ち、ときおり目へ入り、顔をゆがめていた。

俺は、その顔を観測し続けたくなった。

やがて、男の表情が大きく変わった。


おそらく、しまった、という顔だった。


その、しまった、はすぐにこちらへ影響した。


帰還兵寮の電気が、すべてついた。

窓から光がこぼれ、地面を照らす。

同時に、部屋の中にいた者たちの影も地面へ伸びた。


四角い窓の中央に、直立する人影。

四角の中へ数字の1を並べたようだった。


ただ一つだけ。


俺の部屋の影だけ、形が違っていた。


     *


翌朝、扉が鳴った。

昨日の作業員が立っていた。

「昨日、窓際にいたでしょう。何を見てたんですか」

「お前を見てた」

「どうしてです?」

「汗が額から落ちていた」


作業員は自分の額を触った。

「雪が降ると思って、着込んでまして」


それから頭をかいた。

「で、ここからはご相談なんですがね。ちょっと手伝ってくれませんか」

「何を?」

「点検の手伝いです」

「なぜ俺が」

「なんででしょうね。ただ、あなたなら手伝ってくれるかと」

理由になっていない。

「……何をすればいい?」

「高所作業車の運転、できます?」

「軍用車両なら」

「たぶん、こっちのほうが簡単ですよ」


作業員をリフトへ乗せる前に、俺は尋ねた。

「なぜ一人だ。上がって、作業して、下がって運転して、また上がる。無駄が多い」

「まあ、経費削減……ですかね」


作業員は工具を確かめた。

「この辺りは、まだ電柱ってやつが残ってまして」

「全部、地中へ埋めればいい」

「そうなんですけど、壊れやすいところを埋めると、直すのが大変なんですよ」

「壊れないものにすればいい」

「壊れにくくはできますけどね」


作業員は、電柱を見上げた。

「壊れることと、直すことを織り込んで作るものもありますよ。手で直すほうが安いってんで」


壊れることを織り込んで作る。

理解はできた。

納得したかは分からない。


作業員をリフトへ乗せた。

電線の高さは一定だった。


俺はリフトを上げたまま、車両を動かした。

「ちょっ、ちょっと! まだ乗ってますよ!」

「電線の高さは変わらない。リフトを上げたまま車両が動けば効率的だ」

「駄目ですよ。法律があります!」

「俺はこの車両の免許を持っていない。そちらのほうが重罪だ」

「いや、そんなこと言われても。見られますよ!」

「なら、俺も変装する必要がある」


作業員は帽子を脱いだ。

「じゃあ、この帽子をあげますから、いったん降ろしてください!」

「分かった」


     *


今日は仕事を休んだ。


いや。


行かなかった。


だが、何も連絡はない。


昨日までの部屋とは違う。

今は帽子がある。

帽子の端に、毛が一本絡んでいた。

作業員のものだろう。

よく見えない。


俺は電気をつけた。

窓から光がこぼれ、地面を照らした。

帽子から毛を指で抜き、窓の外へ捨てる。


風が吹いている。


世界に、二度同じことは起きない。


同じ風も吹かない。


飛んでいく毛も、あの作業員の頭皮には戻らない。


もっとも、彼にとっては数少ない毛髪なのだろうが。


ふと、懐かしい感覚がした。


そういえば、今日は水曜日だった。


たまには、約束を忘れるというのも、味があっていいのかもしれない。


以前投稿したものですが、投稿の仕方を間違えて短編としたので、

短編集に組み込みました。


息抜きと毒抜きを兼ねて書いた短編です。


部屋の中央から窓際まで、一歩だけ動く話になりました。




このテイストがお好みの場合は、ホームバウンドもご覧頂ければ幸いです

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