第31話 孤独な騎士と、王となる者
あたしと奏は、玉座の間に通じる「誓いの大扉」の前にいた。
「いよいよね」
「ええ」
「……倒したらどうする?」
あたしは即答しない。
「……勝てたら、考える」
あたしは、ふと右手の指輪に目をやった。
「太陽と翼」の刻印がある指輪。
今は光らない。映像も、声もない。
それでも――ここにある。
指先に、確かな温度だけが残っている。
あたしは、冷たく重い『誓いの大扉』に、両手をかけた。
扉の向こう――玉座の間。
父が信頼した親衛隊最強の剣士。
彼が今、最強の壁となる。
――それでも、超える。
* * *
重厚な『誓いの大扉』が、ゆっくりと軋みを上げて開かれた。
――玉座の間。
冷え切った空気が、肌を刺す。
砕けたステンドグラスから差し込む歪な光が、広間の中央に立つ一人の男を照らしていた。
「……来たか」
レオナルトは、すでに剣を構えていた。その姿は微動だにしない。まるで、この場に根を張った古木のように、ただそこに在る。
あたしは、数歩進み出る。
「……あなたが、レオナルト」
その名を呼ぶ声は、思っていたよりも静かだった。
怒りでも、憎しみでもない。
ただ、確かめるような響き。
「……王女アイラ、それと守護者・奏か」
静寂。
「もう、終わりにしましょう」
レオナルトの瞳が、わずかに細められる。
「何をだ」
「この戦いも、この国の歪みも。……あなたが背負ってきたものも、全部」
静寂が落ちる。
「……ほう」
彼は、わずかに剣先を持ち上げた。
「それで?」
「もう必要ないの。あなたが、そんなやり方で守り続ける時代は」
言葉は、まっすぐに放たれた。
逃げも、迷いもない。
「恐怖で縛る統治も、犠牲の上に成り立つ平和も……終わらせる」
レオナルトは、ゆっくりと息を吐いた。
「……理想だな」
その一言には、嘲りはなかった。ただ、冷たい現実だけがあった。
「だが国は、理想だけでは守れん」
一歩。
石畳に靴音が響く。
「なぜ魔導士を拘束した。なぜ魔法石を帝国に渡した。なぜ恐怖で統治した」
奏が鋭く問う。
レオナルトは、あたしたちをしばらく見据え、話し始めた。
「帝国が狙っていたのは、領土の拡大ではない。セレスティアの『塗り替え』だ」
レオナルトの声が、冷たく重い玉座の間に響いた。その低い響きには、十五年という途方もない歳月を、たった一人で耐え抜いてきた血の味が滲んでいた。
「大量の帝国民を移住させ、我々の言葉と歴史を消し去ろうとした。……同化政策だ」
「え?」
「放っておけば、数世代でセレスティアという国は、内側から完全に死に絶えていただろう」
剣の柄を握る彼の手が、ギリッと白く染まる。
「だから、私は選ぶしかなかった……!」
レオナルトの悲痛な咆哮が、玉座の間にビリビリと反響する。
「帝国の脅威となる同胞たちに自ら鎖を掛け、誇りである魔法石を帝国に売り渡す! ……その血の滲むような屈辱と引き換えに、奴らの移住を押し留めたのだ!」
「レオナルト……」
あたしたちは息を呑んだ。知りえなかった事実。
目の前に立つこの男は、悪逆非道な簒奪者なんかじゃない。誰よりも深くこの国を愛し、その愛ゆえに修羅の道を歩んだ、不器用な騎士の成れの果てだった。
「民こそが文化だ……!」
レオナルトの叫びが、悲痛な咆哮となって響き渡る。
「土があっても、そこに住む者の魂が書き換われば、国は死ぬ! 私は……セレスティアの魂を守るために、身体の一部を切り捨てたのだ!」
沈黙が流れる。
「私が統治した歴史は国への裏切りだ。許されることではない。しかし――」
レオナルトは、あたしを強く見据える。
「お前は、帝国にどう対抗する? ――お前は何を差し出す?」
あたしは、ほんの一瞬だけ言葉を失う。
その問いには、嘘が通じない。
「……それでも」
それでも、あたしは顔を上げる。
「それでも、進むしかない。……失う覚悟も、全部引き受けて」
震えはない。
「あなたのやり方じゃ、未来は続かない」
レオナルトの瞳が、わずかに揺れた。
「だから――」
あたしは、一歩踏み出す。
呼吸を一つ。
「あたしは、あなたを倒す」
静寂。
その言葉を、レオナルトは正面から受け止めた。
「いいだろう」
そして――
「剣を取れ! 私を倒せ」
低く、しかし確かな声。
「この剣を越えられぬのなら、お前は王になってはならん」
剣先が、わずかに上がる。
「私を倒して、新しい時代の幕開けにするがいい」
空気が張り詰める。
呼吸すら、重い。
「来い!」
ただ、その一言。
あたしは、横に立つ奏を見る。
奏は無言で頷き、剣を構えた。
「……行くわよ」
「ええ」
二人で、一歩踏み出す。
その瞬間――。
床が砕けるほどの踏み込み――レオナルトの姿が搔き消えた。
「っ――速い!」
奏の剣が、火花を散らし、受ける。
その一撃だけで、空気が裂けた。
「くっ……!」
押し込まれる。
一切の無駄がない。
最小の動きで、最大の攻撃。
(これが……レオナルト)
あたしは、掌に魔力を集める。
押し出すのではない。
導く。
奏の動きに合わせ、軌道を読む。
「――右!」
黄金の閃光が走る。
レオナルトは、それを紙一重でかわし、すぐさま間合いを詰め直す。
速い。
正確すぎる。
「甘い」
低い声。
次の瞬間、奏の体勢が崩された。
「奏!」
間に合わない――
だが。
「……まだよ」
奏が踏みとどまる。
その瞳は、揺れていない。
「一人じゃないもの」
剣が、再び構えられる。
あたしは、その背中を見る。
(そうだ。あたしたちは――)
再び、二人で踏み込む。二人がかりの波状攻撃。
神羅島で培った『気』と『魔法』の完璧な連携のはずだった。
――届かない。
レオナルトの剣には、淀みも、迷いも、そして『殺気』すらなかった。まるで嵐の中でただ一本そびえ立つ大樹のように、あたしたちの攻撃をすべて、最小限の動きで弾き落としていく。
「……完璧すぎる。剣の軌道も、魔法の予測も」
奏が血の滲むような声で呟く。
「これが、十五年間……たった一人で、すべてを弾き返し続けてきた人間の『壁』……」
誰も信じない。誰にも背中を預けない。
自己完結した、孤独で悲しい絶対の剣。それが今のレオナルトだ。
(でも、あたしたちは……!)
あたしは、隣に立つ奏と視線を交わした。
言葉はいらなかった。神羅島で、お互いのすべてをさらけ出し、同調させたあたしたちには、次にすべきことが痛いほど分かっていた。
「行くわよ、アイラ!」
奏が地を蹴る。真っ直ぐ、レオナルトの正面へ。
同時に、あたしは両手に限界まで魔力を収束させた。
「――いっけぇぇっ!」
放ったのは、玉座の間を白く塗りつぶすほどの、最大出力の黄金の光弾。
その軌道は、レオナルトへ――そして、彼に斬りかかろうとしている『奏の背中』ごと飲み込む直線だった。
「……愚かな。味方ごと焼く気か」
レオナルトの目が、初めてわずかに細められた。
戦場を生き抜いてきた彼なら、当然こう予測するはずだ。奏が魔法を避けるために軌道を変えるか、魔法の消散を待つかと。
――だが、その『常識』こそが、レオナルトの最大の誤算だ。
「あたしは、アイラの光を拒まないッ!」
奏は避けない。防御すらしない。
あたしの放った暴力的な魔力の奔流の真っただ中へ、一切の躊躇なく飛び込んだのだ。
「なっ……!?」
レオナルトが驚愕に目を見開く。
神羅島で『統一回路』を開通させたあたしたちにとって、この魔力はもはや『攻撃』じゃない。奏の「気」の経絡と同調し、彼女の刃を加速させるための『追い風』だ。
絶対の信頼がなければ成立しない、狂気の特攻。
黄金の光の海を真っ二つに裂き、無傷の奏が、レオナルトの予測を遥かに超える神速で飛び出した。
「もらったぁッ!」
十五年間、誰のことも信じられなかった孤独な騎士の防壁が、たった一瞬、わずかに遅れる。その隙を縫い、奏の放った柄打ちが、レオナルトの膝の関節を正確に打ち据えた。
「くっ……!」
最強の騎士の体勢が、ついに大きく崩れる。
その隙を、見逃さない。
フットワークを奪われた彼を前に、あたしは奏の背中へぴたりと並び立った。
「今よ、奏!」
「分かってる、アイラ!」
二人で並んで立つ。
もう、「守る・守られる」の関係じゃない。
あたしはここに立つと決めた。奏は共に立つと決めた。
二人の呼吸が、鼓動が、魔力と気が、
一滴の淀みもなく重なり合う。
「あなたの選択は、間違いじゃない――!」
あたしは、叫ぶ。
「だからこそ――ここで終わらせる!」
魔力が、極限まで収束する。
導く。
一つに。
奏の剣へと――
黄金の光が、刃を包み込む。
二つの軌道が、重なる。
――完全同調。
「「――比翼の剣ッ!!」」
孤独な夜を切り裂く、二人の比翼の光が、玉座の間を眩く照らし出した。
振り抜かれた一閃は、もはや二人ではなかった。
一つの意志。
一つの刃。
圧倒的な光の奔流に対し、レオナルトは咄嗟に防御魔法を展開し、その孤高の剣を盾として掲げた。
だが――。
二人の想いが重なった『比翼の剣』は、彼が十五年の孤独で鍛え上げた刃よりも、遥かに重く、強かった。
「……見事だ」
まばゆい光の中で、静かな呟きが聞こえた気がした。
――バキンッ!
乾いた破砕音が玉座の間に響き渡る。レオナルトの剣が、半ばから無惨に砕け散った。
彼はもう、逃げようとはしなかった。
すべての重荷を委ねるように、誇り高く、正面からその光の波を受け止めたのだ。
――次の瞬間。
膝が、崩れた。
それでもなお、彼は立とうとする。
砕けた剣を支えに――
だが。
指先から、力が抜けた。
カラン、と。
砕けた剣が、床に落ちる。
それと同時に。
巨躯が、静かに前へと倒れ込んだ。
* * *
静寂。
あたしは、息を整えながら、その姿を見つめる。
「……終わりにする」
レオナルトは、ゆっくりと顔を上げた。
その表情には――
かすかな、安堵があった。
「……ああ」
短く、息を吐く。
あたしを見上げる彼の瞳は、十五年前のあの日、次元の光へと見送った小さな少女を探してはいなかった。
かつて彼が命を懸けて仕え、背中を預けたという本物の『王』。
今のあたしにその面影を重ねているのだと、なぜか痛いほどに分かった。
「これで……ようやく、……終われる」
長い年月を背負っていた男の言葉は、あまりにも穏やかだった。
「見事だ。……王よ」
その視線が、まっすぐにあたしを捉える。
胸の奥が、強く鳴る。
否定はしない。
逃げもしない。
あたしは、その言葉を受け止めた。
レオナルトは、静かに目を閉じる。
「よかった……」
その言葉は、安堵だった。
後悔でも、言い訳でもない。
「私より……重いものを、選べる者が……戻ってきた」
唇が、わずかに動く。
「ならば……セレスティアは生きる。……守ってみせろ、アイラ」
それが、最後の命令のように響いた。
玉座の間に、静かな光が差し込む。
* * *
静寂が、玉座の間を満たしていた。
あたしはしばらく剣を構えたまま、動かなかった。
刃先は、わずかに震えている。息を吸い、吐く。
それを何度か繰り返して、ようやく力が抜けた。
――けれど、落とさない。
震える手で、それでも握り続ける。
それは無意識の動作だった。
勝者の驕りでも、敗者への侮りでもない。
ただ、彼が最後まで持っていたものを、壊したくなかった。
あたしは一歩、前に出る。
倒れた男の前に膝をつき、その顔を見下ろした。
怒りはなかった。
すべてを終わらせたという高揚感もなかった。
あるのは、胸の奥に沈んでいく重さだけ。
「……」
言葉は、出てこなかった。
代わりに、あたしは手にした剣を、そっと床に置いた。
音を立てぬよう、慎重に。
それは降伏ではない。祈りでもない。
――宣言だ。
もう、この国にこれ以上の血と犠牲は要らない、という、新しい王としての決意。
あたしは立ち上がり、正面の玉座を真っ直ぐに見据えた。
あの席に座るために、血を流して剣を振るったわけじゃない。
だが、剣の重みを知らぬ者が、座ってはならない席でもある。
あたしは、ぐっと背筋を伸ばした。
血塗られた剣を手放した、その両手で。
迷子の少女ではなく、セレスティアの女王として、初めて前を向く。
戦いは、終わった。
そして――
新しい時代が、静かに動き出した。
次回、最終回です。




