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アイラの冒険 異世界からの帰還  作者: まさふじ
第5章 選択する故郷

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第30話 玉座へ至る道、待ち受ける剣

崩壊寸前だった連合軍の前線。その戦場の空気が、一瞬で塗り替えられた。


神羅十剣の参戦は、絶望の淵にいた連合軍にとって、これ以上ない「逆転の号令」となった。


――空気が変わった。


肌でわかる。戦場そのものが、こちらに味方し始めた。


後方から容赦なく魔導攻撃を浴びせていた帝国の魔導士部隊は、十剣の神速の強襲により、なす術もなく一掃されていく。分断されていた連合軍は息を吹き返し、首都アークセレスに向かって一転して猛烈な押し込みを開始した。


羅漢が一振り巻き起こす衝撃波だけで、帝国の盾の壁が紙細工のように砕け散る。その背後では、十剣の一人が放った一閃が、遠く離れた塔ごと敵陣を断ち割っていた。


しかし、帝国軍も必死の抵抗を見せる。


「やれやれ、キリがないな。倒しても倒しても、ウジ虫のようにわいてきやがる」


巨大な大剣を軽々と振り回し、羅漢が吐き捨てるように言った。


その時だった。


アークセレスの空に、黒い煙が立ち昇った。


「見ろ! 街の中からだ!」


どこからともなく、地鳴りのような歓声が響き渡る。


『姫様が決起された!』

『今こそ立ち上がれ! セレスティアを取り戻すのは今だ!』


それは、別ルートで潜入していた仲間たち――リトルセレスティアの合図だった。


「……みんな!」


あたしは、喉の奥で彼らの名を呼んだ。圧政に耐えかねていた市民たちが、その声に呼応するように一斉に動き出す。街の中は、内側から食い破られるように大混乱に陥った。


「後ろが……! 街が、敵に回っただと!?」


帝国軍の統制が、初めて目に見えて乱れた。

武人の嗅覚は、これを見逃さなかった。


「――勝機!」


羅漢が叫ぶ。

将軍はこれに同調する。


「今だ! 押し込めぇッ!!」


連合軍が津波となって帝国軍の防衛線を飲み込んだ。あたしたちはその勢いに乗り、ついに、硬く閉ざされていたアークセレスの城門を突破した。


 * * *


硝煙と血の匂いが渦巻く外の世界から一転。


城門を抜け、宮廷の中へ足を踏み入れた途端、ひんやりとした冷たい石の空気が全身を包み込んだ。


最初に足を踏み入れたエントランスホール。

大理石の床のホールを、ゴードンさんと奏が前衛、あたしが後衛に回って進む。

背後で響いていた剣戟の音が、分厚い水底に沈んだように遠ざかる。


その途中だった。


「死ねッ、王女!」


柱の陰に潜んでいた帝国の残党兵が、狂気をはらんだ目で飛び出してきた。


「あ!!! 危ない!」


奏が叫ぶ。

残党兵の狙いはあたし。


――来る。


そう思った時には、あたしは右手を突き出していた。恐怖はない。ただ、奏という『半身』の背中を、この一撃に晒させるわけにはいかない。


(違う……力でねじ伏せるんじゃない――導くんだ)


あたしは掌に集めた魔力を一点に極限まで収束させ、最短の軌道で解き放った。


かつてのような無軌道に暴発する光ではない。鋭く研ぎ澄まされた黄金の閃光が、奏の横髪をふわりと揺らし、背後に迫っていた帝国兵の胸だけを正確に撃ち抜いた。


「ぐあぁっ!」


凄まじい衝撃に、一直線に吹き飛んでいく兵士。


(これが……今の、あたしの力)


奏は目を見開き、あたしの指先と、壁に叩きつけられた兵士を交互に見た。ホッとしたような、そして信じられないものを見たような顔。


「――アイラ。私、あなたの前衛で盾になることばかり考えていたけど」

「……ん?」

「今のあなたなら、安心して背中を預けられそうね」

「ふふっ。強くなったって、思っていいかしら」

「ええ。……最高の魔法使いよ」


奏は、再び前を見据える。その横顔には、確かな信頼の笑みが浮かんでいた。


さらなる帝国の残党兵が駆けつけたところで、レガリアの兵士も、あたしたちに追いついてきた。


「アイラ、奏! ここから先はお前たちだけで行け!」

「ゴードンさん!?」

「湧いてきた残党の掃除は、俺たちレガリアの仕事だ。……なあに、すぐ追いつく!」


ゴードンさんが大剣を構え、押し寄せる帝国兵の前に立ち塞がる。

ふと振り返ると、大きな手であたしの頭を乱暴に、けれど優しく撫でた。


「レオナルトは任せたぜ。……あいつの背負ったもんを降ろせるのは、お前らにしかできねぇ」

「……はいっ!」


その広く、頼もしい背中に見送られ、あたしたちはホールの奥へ駆け出した。


 * * *


あたしたちは、ホールの奥から『栄光の大回廊』へ足を踏み入れる。


「こっち!」

「アイラ、道がわかるの?」

「……うん。景色に既視感があるわけじゃない。でも」


あたしは、胸元で微かな熱を帯びる魔法石を握りしめた。


廊下の奥から、呼ばれている。

血が、記憶が、この国の最奥で待つ「誰か」の存在を、本能のように教えてくれた。


白亜の回廊を、あたしと奏が進む。

空間を満たしたのは、耳が痛くなるほどの静寂だった。

床には、慌てて逃げ出したような無数の足跡と、打ち捨てられた帝国の物資が散乱している。


――だが、不思議と血の跡が少なすぎた。

まるで、この場所だけ戦いが「抜け落ちている」かのように。


「……何よ、これ。誰もいない?」

「……静かすぎる。逃げたにしては、整いすぎている」


警戒したまま、奏が呟く。


「……でも、一人だけ。……あの人だけはいる」

「――レオナルト」


あたしの言葉に、奏が反応する。


「そして、この戦いを終わらせるのも、きっとあの場所」

「ええ。――宮廷の最奥――玉座の間以外にない」


 * * *


やがて、回廊を抜けた先。

『近衛兵の控えの間』と呼ばれる前室で、奏がピタリと足を止めた。


何もないもぬけの殻の部屋。

だが、奏は部屋の奥にある両開きの重厚な『誓いの大扉』を鋭く睨みつけていた。


「アイラ、待って。……この先よ」

「わかるの?」

「兵士の気配はまったくない。でも、あの扉の向こう側だけ……空気が重すぎる。まるですべてを飲み込む、巨大な『穴』が開いているみたいに」


あの重圧。武人の直感が告げる、たった一人で軍勢に匹敵するほどの死の気配。

間違いない。あの扉の向こうに、彼がいる。


「それと、もう一つの気。……ずっと見られている?」

「……え? 奏?」

「扉の向こうの重圧とは違う。人のものとも思えない、冷たくて嫌な視線……。でも――」


奏は微かに眉をひそめて首を横に振ると、あたしの背中へそっと手を添えてくれた。


罠かもしれない。底知れぬ危険が待っているかもしれない。けれど、あたしの歩みを、不確かな不安で止めるべきではない――。奏の手のひらの温もりが、無言でそう伝えてくれている気がした。


あたしは一度だけ深く息を吸い込み、奏の顔を振り返った。

奏は無言で頷き、あたしの背中を押してくれる。


あたしたちは、『誓いの大扉』に向かった。


 * * *


――同刻。

玉座の間は、死の世界のように静まり返っていた。


かつて祝福の魔法陣が輝いていた床は、今や冷たい石の色を晒し、天井のステンドグラスは半ば砕けて、光を歪ませている。


その中心に、一人の男が立っていた。


レオナルトはゆっくりと、腰の剣を引き抜いた。

キィィィン、と高く鋭い金属音が、冷え切った空気を裂く。


彼は掌に伝わる感覚を確かめるように、一度、その剣を軽く振った。


(……軽いな)


かつて、王の隣で誇りを背負っていた時の重みは、もうどこにもない。


守るべきものを切り離し、今日を生き延びるためだけに研ぎ澄まされたその刃は、今の彼そのもののように、冷たく、虚しかった。


幼い王女を抱き上げ、共に笑った日のことが、否応なく脳裏をよぎる。


「……愚かなことだ」


呟きは、誰にも届かない。


十五年前、帝国の軍勢が国境を蹂躙した夜。


血にまみれ、鬼神のごとく剣を振るった末に、地に伏した彼は、究極の選択を迫られた。


王国と共に誇り高く死ぬか。それとも、泥をすすり、帝国の犬と蔑まれてでも、今日という日を生き延びるか。


彼は後者を選んだ。

誇りよりも命を。未来よりも、今この地で呼吸する民を。


あの夜、自分が膝を屈しなければ、セレスティアの民は根絶やしにされていた。

王の最後の言葉も守れなかった――あの時、あの方が託した『未来』も。

それだけは、今も揺るがない事実だ。


(……だが、この手で同胞を地下牢へ繋ぎ、圧政を強いてきたのもまた、揺るがない事実)


剣の柄を握る手に、じわりと汗が滲む。かつての仲間たちの怨嗟の声が、今も耳の奥にこびりついて離れない。


石畳の上に、確かな足音が近づいてくる。

逃げもせず、迷いもなく、まっすぐに前に出る者の歩き方だ。


レオナルトは、静かに目を閉じた。


もし、彼女が。

王女が、恐怖を知りながらなお進む者であったなら。

剣を取る覚悟と、剣を下ろす覚悟を、同時に持っているなら。


「……いや」


彼はその思考を断ち切るように目を開いた。

期待など、してはならない。

希望は、弱い者から順に奪っていく猛毒だ。


「終わらせねばならん。――この歪んだ継承も、この悲劇も」


剣を青眼に構え、玉座の間への最後の扉を凝視する。

王女が来る。帰ってきた血が、王を名乗りに来る。


ならば、ここで決めるしかない。

この剣を、この絶望を越えられぬのなら、彼女は王になってはならない。


「私が間違っていたと、その剣で証明してほしい。……あの夜から止まったままの時間を、どうか――」


ぽつりと零れ落ちた声は酷くかすれていた。

氷のような能面の下には、十五年という途方もない年月、決して誰にも見せることのなかった切実な祈りが滲んでいた。


(越えてこい。私の剣を、私の恐怖を、私の……選択を)


(そして、私が守れなかったものを、守ってみせろ)


扉の向こう、足音がすぐそこまで来ている。

レオナルトは剣先を正し、感情を完全に押し殺した。


今から彼は、王女の敵になる。

そしてその剣は、王女が真の王になるための、最後の『壁』となる。


扉の向こうで、気配が止まる。

レオナルトは、わずかに剣先を上げた。


――来る。




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