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アイラの冒険 異世界からの帰還  作者: まさふじ
第5章 選択する故郷

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第28話 王女の十字架と忍び寄る影

潮の匂いが、胸いっぱいに広がった。

水平線の彼方から差し込む朝日が、静かな海を黄金色に染めている。


――ソルナ村。


あたしがこの世界に降り立ち、すべてが始まった場所。


その海岸へと、連合軍の船団がゆっくりと接岸していく。砂浜を埋め尽くす兵士たちの姿に、村人たちは何事かと家々から顔を出し、不安と好奇心の入り混じった視線を送っていた。


砂浜に降り立ったあたしの前に、白髪の老人が歩み寄ってくる。かつて、あたしにこの世界のことを教えてくれた村の長老だ。


「……おお、あんたは。あの時の、風変わりな旅の娘さんか。無事だったんじゃな」


長老はあたしを見て、懐かしそうに目を細めた。彼にとっては、あたしはまだ「運良く生き延びた一人の少女」でしかない。


「しかし、このたくさんの兵隊たちは。……いったい何事なんじゃ」

「……この方々は、レガリアの騎士団。そしてレガリアに住んでいたセレスティアの人々です」


あたしは、長老の方に向き直した。


「長老様。あなたにいただいた魔法石は、あたしをちゃんと導いてくれました」


あたしは、襟元から蒼い魔法石のネックレスを取り出した。


「……ああ!」


不意に、押し殺したような声が響いた。村人たちの中から、一人の痩せた老婆が震える足取りで歩み出てくる。


「その蒼き石。そして……」

「どうしたのじゃ、ばあさん」

「……私は二十年、アークセレスの宮廷で仕えておりました。戦火を逃れてこの村に疎開してきましたが、片時も忘れたことはございません」


おばあさんは、あたしの方を向き直した。


「亡き王妃様に生き写しのその面影――アイラ姫、……あなたはアイラ姫であらせられるのでは!」

「なんじゃと」


驚きの表情を隠せない長老とおばあさんに、あたしは答えた。


「セレスティア王国第一王女、アイラです。レガリアに協力いただき、セレスティアを奪還しに来ました」


 * * *


その日から、ソルナ村は連合軍の拠点として物資が運び込まれ、急ピッチで整備が進められた。


「まったく、人使いが荒い王様だぜ。おっさんをこんな前線まで引っ張り出しやがって」


粗野な、けれど聞き慣れた声が会議室の空気を緩める。

腕を組んで椅子に踏ん反り返っているのは、ゴードンさんだ。


「でも、良かったです。ゴードンさんが同行してくれて、本当に心強いです」

「まあな。いちおう『武闘派』の特命調査官だからな。お前さんの護衛くらいは、死んでも全うしてやるよ」


ニヤリと口元を歪める彼を見て、少しだけ肩の力が抜ける。彼がいるだけで、戦場の殺伐とした空気がどこか現実味を帯びた「仕事」のように感じられるから不思議だ。


「アイラ様、ゴードン殿。作戦の最終確認を」


将軍が地図を広げた。指が差したのは、王都への経路上にある一点。

将軍の太い指が、羊皮紙の地図に記された赤い印をトントンと叩く。


「まずはこの先にある、帝国の『魔獣実験施設』を叩きます。ここを放置すれば、進軍の背後を突かれる。……厄介な場所です」

「魔獣の……実験……」


その禍々しい響きに、あたしは息を呑んだ。


「ええ。その後、中継地点となる都市を落として補給路を確保。そのまま一気に、首都アークセレスの喉元へと迫ります」


淡々と語られる戦略。地図の上ではただの「点」と「線」だけど、そこには確実に血が流れるのだ。戦争が始まる――その重い実感が、足元から這い上がってくるようだった。


「帝国は、俺たちが上陸していることには、もう気づいているだろうな」

「そのとおりです。ですから体制を整える前に、叩きます。スピードが大切です」


 * * *


進軍が始まると、現実は甘くないことを突きつけられる。


道中にある帝国の『魔獣実験施設』。すでに帝国は、こちらの動きを察知していたのだろう。あたしたちが辿り着いたときには、その施設は、不気味なほど静まり返っていた。


「……逃げたか」


ゴードンさんが低く呟く。

建物の中は荒らされ、重要な資料はすべて持ち去られていた。


そして――。


「……っ」


あたしは言葉を失った。


そこにいたのは、「生きている」とも言えない存在だった。


歪んだ身体。濁った瞳。呼吸するたびに、苦しげな音が漏れる。

実験の果てに異形と化し、動くこともできなくなった幼い魔獣たちだった。


「……助けられないの?」


自分でも、すがるような声だと分かった。


「無理だ」


ゴードンさんの短く、重い言葉。


「生かしておく方が地獄だ」


その現実が、胸に突き刺さる。


――あたしが、やるしかない。


震える両手を強く握り直し、前に出す。手のひらに集束する『光弾』の熱さが、やけに生々しかった。


「……ごめんね」


絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。


あたしの指先から放たれた『光弾』は、慈悲などという綺麗なものではなかった。それは、彼らの苦悶を強制的に断ち切るための、あまりに鋭く、あまりに冷酷な「終わりの光」だった。


ドンッ。


視界を白く塗りつぶした光が収まった後、空気に焦げた匂いが混じる。残されたのは、あの苦しげな呼吸すら消え去った、耳が痛くなるほどの静寂だけだった。


「……っ」


膝をつき、自分の両手を見つめる。


掌には、まだ魔法の熱が残っている。その熱が、あたしが奪った命の証のように思えて、吐き気がした。震えが止まらない。


これが、血で汚れても進むと決めた、あたしの選んだ道なんだ。


――これが。


容赦なくあたしに突きつけられた、『王女』として背負うべき罪なんだ。


* * *


その頃。

冷たい風が吹きすさぶ首都アークセレスの宮廷。


帝国の監視官ディートリヒは、伝令からの報告を聞き、薄く嘲笑いを浮かべていた。


「……予定通り、ネズミどもは『空の檻』へと足を踏み入れたようですね」


王女が背負った悲痛な覚悟など知る由もなく、帝国が張り巡らせた絶望の糸は、確実に連合軍の首へと巻き付き始めていた。




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