第27話 アイラの誓い、立ち上がる二つの民
王都アステリアの大広場。
吹き抜ける風さえも重く感じるほどの静寂と、張り詰めた緊張が、その場を支配していた。
広場の中央には、鋼の鎧に身を包んだレガリア王国の精鋭騎士団が、寸分の乱れもなく隊列を組んでいる。
だが、その視線は冷たい。
――なぜ、得体の知れない小娘のために、血を流さねばならない。
その疑念を、誰一人として隠してはいなかった。
その周囲を取り囲むように集まっているのは、擦り切れた服を着たリトルセレスティアの避難民たちだ。「本当に、あの小さな姫様が国を取り戻してくれるのか」と、縋るような、怯えるような瞳であたしを見上げている。
異なる二つの集団。交わることのない感情。
そのすべてを見下ろすバルコニーの最前列で、レガリア国王が重厚な声を響かせた。
「諸君。我らレガリア王国は、北方のアズライト山脈を挟み、常にヴォルガンス帝国と対峙している状況である。奴らは、南下の野望を決して捨ててはいない」
王の声に、騎士たちの空気が引き締まる。
「そしてこの度、帝国は我が王都に工作員を侵入させ、我が客人――旧セレスティア王国の正当な王位継承者、王女アイラ殿の暗殺を企てた」
広場が、どよめきに揺れる。
「これは我が国の主権を踏みにじる暴挙である! よって我がレガリアは、王女アイラ殿と共に、セレスティア地区奪還のため、帝国と事を構える。諸君らの貢献を期待する!」
騎士たちから、地鳴りのような歓声が上がる。
それは王に対する忠誠であり、帝国への敵意だ。まだ――あたしに向けられたものではない。
王が振り返る。
「アイラ殿。皆に、想いを」
小さく頷き、あたしはバルコニーの縁へと進み出た。
何千という視線が一斉に突き刺さる。足がすくみそうになるのを必死に堪え、あたしはマイク代わりの拡声魔導具を両手で握りしめた。
「……正直に言います」
飾らない、あたし自身の声。
「あたしは今、……怖いです。震えるくらいに」
騎士たちのざわめきが広がる。
「……子供の言葉だな」
誰かが吐き捨てるように言った。
そのとき――別の騎士が、無言で剣の柄を強く握り直した。
視線は逸らさない。ただ、あたしを試すように見据えている。
「いつも、背中を守ってくれてた親友も、……今はいません。だから正直……逃げたいって、何度も思いました」
言葉を切って、ぎゅっと唇を噛む。
「――でも。彼女は今、あたしがうまく事を進めてくれると信じて、別の場所で戦っています。……そして、あたしもまた、彼女が信じてくれた自分でありたいと思います」
あたしは、思いの丈を話し始めた。
「少し前まで、あたしはこの世界の人間ですらありませんでした。魔法も知らず、ただ平和な別の世界で、誰かに守られて生きていただけの……迷子の少女でした」
息を吸う。避難民たちの顔が見えた。彼らは呆れるどころか、あたしと同じように怯え、痛みを堪えるような顔で、じっとあたしの言葉を聞いてくれている。
「再びこの世界に戻った時、あたしはずっと、帰ることだけを考えていました。この過酷な運命から逃げ出し、温かな日常に戻ることだけを願っていました。……けれど、旅の中で知ったのです」
声に、少しずつ力を込める。
「この世界にも、守りたかった日常があり、奪われた温もりがあり、帰る場所を失ってもなお、顔を上げて生きている人たちがいることを」
「でも、逃げるわけにはいきません。帝国は……魔獣を操り、この世界を壊そうとしています」
あたしは、レガリアの騎士たちを真っ直ぐに見据えた。
「セレスティアを強固な盾にしなければ、次は間違いなく、このレガリアが火の海になります!」
ぴたりと、騎士たちのざわめきが止んだ。
少女の感傷ではない、為政者としての冷徹な戦局の提示。その言葉に、彼らはあたしを「ただの迷子」ではなく、戦いに臨む「王」として認識し、姿勢を正した。
「帝国では、力こそが理です。でも、あたしの知るセレスティアは、力で誰かを踏みにじる国ではありません。リトルセレスティアで、あたしに一つしかないリンゴをくれた、おばさんの小さな慈しみの中にこそ、私たちの国は生きています!」
人混みの中で、あのおばさんがハッとして両手で口を覆うのが見えた。
「……姫様」
かすれた声で、そう呟いた。
「国とは、土や城のことではありません。私たちの心の中にある『誇り』のことです! だから、レガリアの皆さんに、慈悲を乞うつもりはありません。助けてください、じゃない。一緒に戦ってください。共に新しい時代を作る『友』として、力を貸してほしい。もう、奪われる側で終わるのは、嫌なんです」
あたしは拡声魔導具を置き、生の声で、全力で叫んだ。
「リトルセレスティアの皆さん! これは復讐ではありません。奪われたものを取り戻すための戦いです! あの温かい日常を、家族の笑顔を、あたしたちの帰る場所を――今ここから、取り戻します!」
その瞬間。
あたしの胸元で、魔法石がドクンと脈打った。
放たれたのは、群青の光。
それは目を焼くような閃光ではなく、夜明けの海のように優しく、バルコニーから広場の隅々まで、何千もの人々の足元を鮮やかに照らし出していった。
「あたしは、皆さんの後ろに隠れる王にはなりません! 失われた故郷を、今度こそ自分たちの手に取り戻しましょう。――セレスティアへ、帰りましょう!」
静寂。
魔法の光に包まれた広場で、最初に声が上がったのは、避難民の集団からだった。
「姫様……!」
リンゴをくれたおばさんが、涙を流して叫んだ。それを皮切りに、男が、若者が、次々と拳を振り上げる。
「セレスティア万歳! アイラ様、万歳!」
「俺たちも戦うぞ! 姫様と共に!」
その熱は波のように広がり、やがてレガリアの騎士たちにも伝播した。彼らは剣の柄で盾をリズミカルに叩き始め、それが一つの巨大な鼓動となって王都の空気を震わせた。
「レガリアとセレスティアに栄光あれ!!」
二つの国、二つの民が、今、完全に一つになった。
地鳴りのような鬨の声が、天を衝く。
あたしは光の中で、もう震えることなく――
まっすぐに前を見据えていた。
けれど、その胸の奥で、
小さな震えだけは、消えていなかった。
その日、セレスティア奪還の火は――確かに、灯った。




