第25話 王族の血、アイラの覚悟
レガリア王国の王都アステリア、その一等地。
あたしは、馴染みのあるゴードンさんの自宅へと戻ってきた。
よく手入れされた庭に足を踏み入れると、ちょうど花壇に水をやっていたエリーザさんが、ふとこちらを振り向いた。
「……アイラちゃん」
「エリーザさん」
あたしが名前を呼ぶと、彼女はジョウロを放り出して駆け寄り、ぎゅっと抱きしめてきた。
「おかえり」
「ただいま帰りました」
その温もりに、張り詰めていた心が少しだけ解ける。
「奏ちゃんは?」
エリーザさんの問いに、あたしは少しだけ目を伏せた。
「今は、……別行動をとっています」
「そう。……さあ、中に入りましょう」
彼女はそれ以上深くは聞かず、優しい手つきであたしを屋敷の中へと促してくれた。
* * *
ゴードン家の居間。
重厚な革張りのソファに腰を下ろしたゴードンさんは、終始無言であたしの話を聞いていた。
青き山で賢者から聞いたすべて。
日本へ帰る方法。宮廷にある転移装置。
そして――あたしと奏の血筋のこと。
すべてを話し終えたとき、部屋には重たい沈黙が落ちた。
ゴードンさんは、ゆっくりと息を吐く。
「……まさか王女様とはな」
その声音には驚きと、そしてどこか値踏みするような響きが混じっていた。
「アイラ様って呼ぶべきか?」
一瞬だけ迷ってから、あたしは首を横に振る。
「いえ。今まで通り、アイラでいいです」
間を置かずに返した言葉に、彼の視線が鋭く細まる。
試されている――そう感じた。
「それで、……この先どうする」
低く、短い問い。
胸の奥に沈めていた想いを、あたしはゆっくりとすくい上げる。
怖さも、迷いも、全部ある。
それでも――。
「あたしは、……セレスティアを奪還したい」
言葉にした瞬間、心がわずかに定まった気がした。
「どうやって」
即座に返ってくる問い。
あたしは一度息を整える。
リトルセレスティアの人たちに呼びかけること。
そして――
「……レガリア国王陛下に、お会いしたいんです」
ゴードンさんの眉が、わずかに動いた。
「それは、正当な王位継承者としてか」
「はい」
短く、はっきりと答える。
再び、沈黙。
やがて彼は、ソファの背に深く体を預けた。
「奪還したらどうする」
ぽつりと落とされた言葉。
「宮廷にある転移装置で、日本へ帰るのか?」
その問いに、胸の奥が揺れる。
帰りたい。
その気持ちは、消えたわけじゃない。
「……わかりません」
正直に答えるしかなかった。
「でも――奪還しないと、それすら選べない」
静かに言い切ると、ゴードンさんは小さく息を漏らした。
「オーケー。話はしてみる」
あっさりとした了承。
けれど次の瞬間、彼は身を乗り出した。
「いいか、アイラ」
その目が、真っ直ぐにあたしを射抜く。
「これは『できればいいな』って話じゃない」
一拍。
「『する』って話だ」
その一言が、胸の奥に深く沈む。
「……決断の強さ、だ」
低く続けられた言葉は、不思議と重かった。
「不思議なもんだがな。覚悟を決めた奴には、動いてる最中に手を貸す連中が現れる」
そこで一度言葉を切り、わずかに口元を歪める。
「逆に、中途半端な奴を助けようなんて思うか?」
問いではない。断言だった。
「……思いません」
自然と答えていた。
「だろうな」
短く返すと、彼は背もたれに体を戻す。
そして、思い出したように言った。
「それと、お前を襲った帝国の刺客の話だがな」
あたしは思わず身を乗り出す。
「拠点を見つけて、こっちで処置した。……数は多くなかったが、手練れだったぜ」
「……あたしのために?」
わずかに声が揺れる。
「まあそれもあるが」
ぶっきらぼうに肩をすくめる。
「国のメンツってやつだ」
そっけない言い方。
でも、その裏にあるものは分かる。
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
* * *
翌朝。あたしは、王都の隅に広がる、リトルセレスティアに来ていた。
(何から話したらいいんだろう)
そんなことを思いながら、街に入っていく。
土気色の壁と煤けた石畳が続く、薄暗い路地。
壊れた屋根も見える。
その中で――
「ほら、気をつけて。転ぶわよ」
「平気だもん! あ、お母さん、お花!」
不意に、明るい声が響いた。
視線の先。
擦り切れた服の母親と、小さな女の子。
少女は石の隙間に咲いた白い花を摘み、誇らしげに差し出す。
母親はしゃがみ込み、それを受け取って、優しく頭を撫でた。
「ありがとう。とっても綺麗ね」
二人が交わす、何気ない、けれど温かい笑顔のやり取り。
――その光景に、胸が締めつけられる。
『ほらアイラ、車に気をつけて』
『もう、子どもじゃないんだから平気だよ、お母さん』
脳裏に蘇るのは、日本の夕暮れ。
何気ない、当たり前だった帰り道。
目の前の少女と、あの頃のあたしが重なる。
ここは貧しい。
でも――
ここには、確かな日常がある。
家族の愛がある。
「……っ」
唇を噛みしめる。
――帰りたい。お父さんとお母さんに会いたい。
その想いは、消えない。
でも――。
もし、あたしがここから目を逸らしたら。
この光景は、いつか踏み潰されるかもしれない。
あの笑顔も、あの手の温もりも、理不尽に奪われる。
あたしは、胸元の青い魔法石を握りしめた。
震えているのは、怖いからだ。
それでも――。
「……守りたい」
それは願いじゃない。選んだ意志だ。
迷子の旅はもう終わりだ。
* * *
少し歩いた先で、見覚えのある出店のおばさんと目が合った。
「姫様、……あんた姫様じゃろ」
小さな声で呼び止められ、あたしは足を止める。
「あ、はい」
「今日は、あの守護者様は一緒じゃないのかい」
「今は、別行動です」
短いやり取りのあと、おばさんは黙ってリンゴを一つ差し出した。
「これ、持っていきな」
「でも――」
「ええんじゃよ」
しわだらけの手が、あたしの手を包む。
「生きとってくれただけで、十分なんじゃ」
その温もりに、胸が熱くなる。
王族という存在が、まだこの人たちの中で生きている。
「……この地区をまとめている方は、いらっしゃいますか」
さっきよりも、ずっとはっきりした声だった。
* * *
集会所に集まった人々の視線が、一斉にあたしに向く。
あたしは、一歩前へ出た。
「あたしは、セレスティア奪還のために、立ち上がります」
一瞬の静寂。
「皆さんにも、力を貸していただけませんか」
ざわめきが広がる。
やがて、一人の老人が口を開いた。
「……その言葉を、待っておりましたぞ。姫様」
しかし、若者が口を挟んだ。
「ちょっと待ってくれ。俺達だけで帝国になんか勝てるわけないじゃないか。どうやって戦うつもりなんだ?」
不安と焦りに満ちた声に、あたしは逃げずに答えた。
「……この足で、レガリア国王に接見します。そして、出兵を約束させてみせます」
「大国のレガリアが、俺たち難民のために兵を出すなんて……そんな夢物語、信じられねえよ」
ざわめきと、諦めの混じったため息が広がる。無理もない。ただの迷子だったあたしに、そんな力があるはずがないのだから。
――でも、もう逃げないって決めたんだ。
あたしは胸元の石を強く握り、まっすぐに前を見据えた。
「慈悲を乞うわけじゃありません。レガリアにとっても、セレスティアを取り戻すことは『帝国を防ぐ盾』を得ることになる。……必ず、彼らを動かしてみせます。だから、どうかあたしを信じてください!」
あたしの声が、静まり返った集会所に響き渡る。
張り詰めた沈黙。
やがて、老人が深く息を吐き、静かに口を開いた。
「……みんな。レガリアの王がどう動くかはわからん。だが、わしは今の姫様の瞳を……その覚悟を、信じたい」
その声に、場の空気が変わる。
「今のセレスティアの状況を知っている方はいますか」
問いかけると、男が一人、前に出た。
「生活自体は維持されていますが……魔導士は拘束。魔法石は登録制。情報統制も厳しい」
重苦しい男の報告に、地区会長も無念そうに頷いている。
別の若者が続ける。
「しかし、どうする。俺たちは直接戦えない、何をしたらいい」
戸惑う声に、別の若者が応えた。
「俺たちは剣は握れないが、仲間に声をかけることはできる」
「炊き出しや補給なら任せてくれ。裏方ならいくらでもやる」
さらに一人。
「各都市に、姫様の意志を伝えることはできる。帝国に対する民衆蜂起を促すんだ」
その言葉が、次々と連なっていく。
小さな火が、確かに灯っていく。
「……あなたたちだからこそ、できることがある」
あたしは深く頭を下げた。
「どうか――あたしの声になってください」
胸元の魔法石が、あたしの決意に応えるように、わずかに熱を帯びた気がした。
* * *
「よくぞ参った、アイラ殿」
レガリア王国の玉座の間。
重厚な空気が支配するその場所で、あたしは一人、レガリア国王と対峙していた。
豪奢な玉座から見下ろす王の瞳には、同情や感傷ではなく、国家の命運を計る為政者としての冷徹な光が宿っていた。
(どんな形が、我がレガリアにとって有利となるか――)
そんな王の思惑が、肌を刺すような空気から伝わってくる。
「我が王都に潜んだ帝国の工作員は、すでに我が国の手で処断した。我が国の主権を侵害した帝国を、我々は決して許さない」
王の言葉に、居並ぶレガリア王国の精鋭たちが一斉に歓声をあげる。
歓声が収まると、王はゆっくりとこちらに視線を下ろした。
「さて、アイラ殿。我々は帝国と事を構える準備を進めている。……だが、アイラ殿に一つだけ問おう」
「……はい」
王の目は、冷徹な為政者のそれだった。
「私は、『故郷に帰りたいと願う迷子の王女』のために、我がレガリアの兵の血を流させるつもりはない」
その一言が、場を凍らせる。
「帝国を追い出した後、貴女はどうする?」
逃げ場のない問いだ。
「廃墟となり、血と泥にまみれた国を背負う覚悟、残された民を率いていく意志はあるのか」
玉座の間が、静寂に包まれる。
ゴードンさんの視線が突き刺さる。
(奏がいないからこそ、あたしが決めるしかない)
目を閉じる。
怖い。
逃げたい。
普通に生きたい。
――それでも。
目を開く。
「……陛下のおっしゃる通りです」
一歩、前へ出る。
「これは、慈悲を乞う場ではありません」
あたしは震える拳を隠すように強く握り、真っ直ぐに王を見据えた。
そして玉座の間の大地図へと歩み寄る。
重厚な絨毯が足音を吸い込む。居並ぶ精鋭たちの視線が、針のように突き刺さる。
「今、帝国とレガリアの間に広がっているのは、主を失い、荒廃した旧セレスティア領。ここはすでに帝国の支配下にあります」
顔を上げる。
「そして帝国は、南下する野心を捨ててはいません」
空気が変わる。
「ですが――」
地図を指し示す指先に、力を込める。
「ここを、止めます」
周りがざわめいた。
あたしが指差したのは、かつての故郷、セレスティア。
「セレスティアを、帝国の野望を食い止める楔に変えます」
一呼吸、入れる。
「そのために、あたしは立ちます」
王の視線が鋭くなる。
「セレスティアを再興すれば、それは貴国にとっての盾となります。貴国が直接帝国と刃を交える必要のない、不沈の緩衝地帯です」
「ほう……」
王が小さく唸り、姿勢を正して座り直す。
「――これは取引です」
一拍、置く。
「レガリアの平和を、セレスティアが担う」
視線を逸らさず、続ける。
「その代わりに、力を貸していただきたい」
そして――。
「……あたしは」
一瞬だけ、声が震える。それを押し殺す。
「セレスティアの女王として立ちます」
その瞬間。
胸元の魔法石が、鼓動と重なるように脈打った。
冷え切っていた指先をじんわりと包み込むような熱が、全身に広がる。まるで、「ようやく選んだな」と、魔法石の奥底から誰かが微笑んでくれたような気がした。
怖さは消えない。
でも、それ以上に――。
「選んだ」という実感があった。
「どうか、共に戦ってください」
守るとは、背負うこと。
そして、背負う覚悟を持って他者と手を結ぶことだ。
――玉座の王から、微かに息を呑む気配がした。
「……その魔力の波長」
王の冷徹な瞳が、大きく見開かれている。
「やはり、そうであったか」
王は玉座から立ち上がり、ゆっくりと階段を降りてきた。そして、あたしの胸元で青く脈打つ石を見据える。
「その特異な波長、そしてセレスティア王家の証たる『蒼穹の石』の輝き。……疑う余地はない。そなたこそが、間違いなくセレスティアの正当なる血脈」
王の目が、確信に満ちた光を帯びる。
「よい」
低く、しかしはっきりとした声だ。
「その覚悟――見届けた。そなたはもう客人ではない」
王はそう告げると、あたしに右手を差し出した。それは保護を与える手ではなく、対等な盟約を求める、武人の手だった。あたしは、その手をしっかり握り返す。
剣のような王の視線が、わずかに緩む。
「皆の者。この瞬間より、セレスティアとレガリアは同盟関係となった。戦の準備を進めよ!」
ざわめきが爆発する。
「いまこそ、決断の時」
歓声が、地鳴りのように響く。
あたしは、もう迷子じゃない。
――女王として、歩き出したのだから。




