第24話 反撃の狼煙、別たれた道
青き山に住む賢者の庵からの帰り道。
木漏れ日が差し込むアズライトの山道を、あたしたちは無言で下っていた。
先頭を行くシロの足音と、枯れ葉を踏む音だけが静かに響く。
「……あたし、いったん王都アステリアに行こうと思う」
歩きながら、あたしは口を開いた。服の下に隠した、王家の紋章が刻まれた青い魔法石をそっと握りしめる。
「ゴードンさんのところ?」
後ろを歩く奏が応えた。
「うん。あの王都には、故郷を追われた人たちが『リトルセレスティア』にたくさんいる。賢者様が言った通り、あたしは王女として彼らの前に立つ。そして……レガリア国王に同盟を、軍の派遣を直談判する」
「それが、アイラの戦いね」
奏は、考え事をするかのように、しばらく黙っていた。
「奏は……どう思う?」
立ち止まり、振り返ったあたしに、奏は静かに微笑んだ。
「私は、一度『神羅島』へ向かってもいいかしら」
「神羅島……ソウシン様のところへ?」
「ええ。もう一度、あの人の元へ行く」
その瞳には、かつてないほどの鋭い剣気が宿っていた。
「帝国の魔導兵器に対抗するには、圧倒的な『個』の武力が不可欠よ。だから私は、修行生としてではなく……先代の守護者ジンの娘として、十剣の参戦を請うつもり」
外交で同盟と民意を束ねるあたしと、武力で最強の剣を連れてくる奏。
それは、これまでずっと背中を預け合ってきたあたしたちが、国を取り戻すために『別々の道』を歩むという決断だった。
やがて、視界が開けた。
青き山のふもと。南のレガリア王国へ続く街道と、東の港へ続く分かれ道。
先頭を歩いていたシロがピタリと足を止めた。振り返ったその瞳が、「ここから先はお前たち自身の道だ」と静かに告げている気がした。
「……ここで、お別れね」
風が吹き抜け、奏の髪を揺らす。この世界で出会ってから、あたしたちはずっと一緒だった。こんな風に完全に別々の道を歩むのは、初めてのことだ。
「……正直に言うと、あなたを一人で行かせるのは不安よ」
「奏」
あたしは、奏の右手を両手でぎゅっと握りしめた。手袋越しの温もりが、ひどく愛おしい。
「絶対に……絶対に生きて。セレスティアで、合流しよう」
「ええ、約束よ。アイラも、気をつけて」
互いの温もりを確かめ合うように強く手を握り合い、そして、離す。
ほんの一瞬だけ、視線が交わる。
――先に背を向けたのは、奏だった。
振り返らない。あたしたちは背を向け合い、それぞれの決意を胸に、別たれた道へと駆け出した。
反撃の狼煙を上げるために。
* * *
時を同じくして。
帝国の支配下にあるセレスティア自治区。
その中枢にそびえる旧王城の宰相執務室。
「……ほう。青き山に配置した監視の魔獣が撃破された、と?」
ワイングラスを傾けながら、帝国の監視官・ディートリヒは薄ら笑いを浮かべた。
豪奢な執務机に向かって羽ペンを走らせていた銀髪の男――宰相レオナルトは、兵士からの報告を受けても、冷徹な能面を崩さなかった。
「いかがなさるおつもりで、宰相殿? あの忌々しい賢者の結界が破られたのではありますまいな。ここは直ちに帝国の精鋭部隊を差し向け、山狩りを行うべきでしょう。……それとも、まだセレスティアの残党に未練がおありで?」
チクリと刺すような嫌味。だが、レオナルトは羽ペンを置き、氷のように冷たい声で切り捨てた。
「……たかがはぐれ魔獣が一匹倒された程度で、軍を動かすと? 帝国の兵はそれほど暇ではないはずだ」
「な……に?」
「賢者の結界など、放置しておけばいずれ寿命で消える。わざわざ刺激して無駄な兵の消耗を招くのは、愚策の極みだ。すぐに代わりの魔獣を補充し、監視だけを続けさせろ」
まるで「些末なことだ」と一蹴するレオナルトの物言いに、ディートリヒはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「……ふん。相変わらず、感情の読めない男だ。せいぜい、帝国の犬としての責務を果たすことだな」
ディートリヒの乱暴な足音が廊下の奥へと消え、カタン、と分厚いオーク材の扉が閉まった瞬間。
張り詰めていた執務室の空気が、ふっと崩れた。
「…………っ」
レオナルトは、鉄の能面のように微動だにしなかった顔を、両手で激しく覆い隠した。
机に手をついた彼の広い肩が、耐えきれない嗚咽を殺すように、小刻みに震え始める。
(ベイル村付近にいた少女。リトル・セレスティアでの魔法石騒動。そして賢者との接触。……間違いない)
彼はゆっくりと立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。遥か遠く、見渡す限りの雲の向こうにある『青き山』の稜線を、万感の思いを込めて見つめる。
「……アイラ様。奏殿。……ついに、この時が来たのですね」
国を売り、民から最も憎まれる泥をすすり続けた十五年。
その孤独な戦いの意味が、今、ようやく報われようとしている。
二人が立ち上がってくれた喜び。そして、愛する王女を、再び血生臭い戦場へ引きずり込んでしまったことへの深い悔恨。
「……どうか、ご無事で。私の命に代えても、玉座は必ずお返しいたします」
レオナルトは、震える手で窓ガラスに触れ、誰にも聞こえない声で祈るように呟いた。
「……その時まで、どうか――私を、憎んでいてください」




