第二.五章商会飛躍編 第30話「直臣ラナ(前編)」
あらすじ
清王朝初期、王朝拡大に大きな影響をもたらした摂政王ドルゴン。
徳川家康の孫にして、豊臣秀頼の正室・千姫。
権力の絶頂期に若くして急死したドルゴンと、
大坂夏の陣で落城寸前だった千姫は、
突如見知らぬ世界へと身一つで飛ばされる。
そこから成り上がる二人の物語。
千姫とドルゴンは策を巡らせて、ハルトマン商会を掌握する。
王宮の奥にあるという帰還の鍵を手に入れるために、
二人は王宮に近づくために商会を大きく飛躍させるべく動く。
主な登場人物
ドルゴン:清朝初期の権力者・摂政王
ハルトマン商会番頭に就任
千姫:徳川家康の孫・豊臣秀頼の正室 猫かぶりのお姫様
孤児の才女サラとして、商会長屋敷に潜入中
フカ:逃亡奴隷、ドルゴンにフカと名付けられる
河野:ドルゴンの部下となった日本人女性 人の醜聞を覗くことが生きがい
ヨアン:妹を買い戻すためにドルゴンの部下となった元丁稚の少年
エルドリン:繁華街で火起こしの術を披露している大道芸人 ダルガの食客
ルーヴァ:エルドリンの孫 聡明な頭脳と術師の血統を持つ
ブリギッタ:ダルガの管理人となった老婆
オズヴァルト:商会倉庫の荷役統括⇒倉庫長
ミルガ:娼館の呼び込みにして、自称街の情報屋
ラドウィン:小所帯の傭兵部隊の隊長
ラナ:洗濯婦として働く狼族の美しい少女 千姫の友達
マナ:ラナの母親
ミナ:ラナの妹
主な用語
ハルトマン商会:ドルゴン、フカが働いている商会
正社員:幹部
準社員:従業員
ダルガ:ドルゴンの屋敷、転じてドルゴンの私的組織
術わざ・奇跡の術:体内の血肉を違う形に変換する術のこと。街の人たちからは魔法と呼ばれる
「直臣ラナ(前編)」
カロリーネを乗せた馬車が離れていくのを、千姫と河野は頭を下げたまま見送っていた。
「行ったか?」
千姫が確認するように声をかけた。
「はい、行ってしまいましたわ」
河野がそう答えた。
「ふぅ……ようやくじゃの」
そう言って、千姫はゆっくりと頭を上げた。千姫は一つ息をつき、固まっていた肩を軽く回した。
「カロリーネは本当に帰ってこないのか?」
千姫が念を押すように尋ねた。
「はい。ドルゴン様より、策を巡らせているため、最低でも半年は戻らないとのことですわ。
その間に、商会の支配をより堅牢なものにしていくとのことですわ」
河野が落ち着いた口調で説明した。
「分かった……さて、コウノ、妾は出かけてくるぞ。
お主は例の段取りを進めておくようにしてくれ」
千姫がそう指示した。
「はい、畏まりました、千姫様」
河野が深く頭を下げて応じた。
そう言って、千姫は玄関の扉へと歩みを向けた。そして扉に手をかけたところで、千姫は一度ふりむいた。
「そうじゃ、妾の頬は腫れておらぬかの?」
千姫が自分の頬に軽く触れながら尋ねた。
「はい、ご安心下さい。すっかり引いておりますわ」
河野が即座に答えた。
数日前にカロリーネに叩かれた頬の腫れが残っていないかを、千姫は気にしていた。
腫れが残っていないことを確認した千姫は、庶民の着るみすぼらしい服へと着替え、そのまま街へと出ていった。
◆
王都の洗濯場では、洗濯物が乾くのを待つ女たちが、おしゃべりに花を咲かせていた。
その賑わいの中で、狼族の獣人の少女ラナは、一人だけ少し離れた場所にぽつんと立ち尽くしていた。
(お千、どこに行ってしまったの……)
ラナは、友達になった千姫のことを思い出し、わずかに寂しそうな表情を浮かべていた。
ラナと千姫は、初めて会ってから親しくなり、その後も時折顔を合わせていた。
だが、半年ほど前に千姫は「用事ができた」とだけ言い残し、ラナの前から忽然と姿を消していた。
そのとき、ラナの鼻先に懐かしい匂いがふと流れ込んできた。
(あれ、この匂いは……)
ラナは反射的に周囲を見渡した。
そして、その視線の先に、千姫の姿が入ってきた。
「ラナ、久しぶりね。元気にしていたかしら?」
千姫が穏やかに声をかけた。
「お千、お千じゃないか!どうしたんだい!」
ラナの顔はぱっと明るくなり、そのまま千姫へと駆け寄った。
「ふふっ、ちょっと用事があってね」
千姫は軽く笑みを浮かべて答えた。
二人は、久々の再会をしばらくのあいだ喜び合っていた。
「実はね……」
千姫が少し間を置いて、本題を切り出した。
「今、私はとある商家のお屋敷に勤めているのだけれど、
そこの家の主に、ラナのことを話したら、とても興味を持たれてね。
一度、ラナにお会いしたいそうなのよ。
ねえ、ラナ、私と一緒に来てくれないかしら?」
千姫が丁寧に言葉を選びながら誘った。
「……ねぇ、お千、その人って男の人じゃないだろうね?
まさか、お千!だめだよ、もっと自分を大切にしなきゃ!」
ラナは千姫の提案に違和感を覚え、強い不安をにじませた。
そしてラナは、千姫が屋敷で辛い目にあっているのではないかと本気で案じ、両手で千姫の肩を掴んだ。
「……あぁ、ごめんなさい。誤解させてしまったわ」
千姫は、自分の説明がラナにあらぬ疑いを抱かせてしまったことに気づき、すぐに謝罪した。
「家の主は、私たちと同じくらいの女の子なのよ。とても可憐で、おしとやかなお方よ。
その主様はね、最近ご家族を不幸で亡くされていて、幼い身でありながら
家の当主になられたの。だから今、自分の味方になってくれる人をとても必要とされていてね。
私がラナのことをお話ししたら、とてもご興味を持たれた、というわけなのよ」
千姫は事情を丁寧に説明した。
「そう……なんだね」
ラナは千姫の言葉を聞き、千姫が酷い目にあっている様子ではないと分かって安堵した。
ラナはそっと千姫から手を離した。
「ねえ、ラナ。明日は日曜でお仕事はお休みでしょ?
私と一緒に来てくれないかしら?」
千姫が改めて頼んだ。
「うーん……お千のお願いなら……会ってみるだけだよ?」
ラナは少し迷う様子を見せながらも、千姫の頼みをしぶしぶ受け入れた。
「ラナ、それで、お願いなんだけど……」
千姫は言葉を選ぶように、少し口ごもった。
「なんだい、お千?」
ラナが首をかしげた。
「今日、泊めてくれないかしら?明日また迎えに来るより、一緒に行った方が楽だと思うし、
マナさんとミナちゃんにも、久々に会いたいわ」
千姫が遠慮がちに頼んだ。
「なんだ、そんなことか。大丈夫だよ。母ちゃんもミナも喜んでくれると思うよ」
ラナはあっさりと快諾した。
ラナが受け入れると、千姫はほっとしたように微笑んだ。
その後、千姫はラナの洗濯物の回収と返却を手伝い、そのままラナの家へと共に向かった。
◆
「あ、お千お姉ちゃんだ」
ミナが弾んだ声で言った。
「お千ちゃん、久しぶりね。ラナから話は聞いているわ。今日はゆっくりしていってね」
ラナの母マナが、穏やかな笑顔で迎え入れた。
「マナさん、ごぶさたしています。ミナちゃん、元気だった?」
千姫が丁寧に応じた。
突然訪れた千姫を、ラナの母マナと妹ミナは温かく歓迎した。
「あれ……お千お姉ちゃんから、いい匂いがするよ」
ミナが鼻をひくつかせながら言った。
「ミナちゃん、よく気付いたわね。マナさん、これ、お土産です」
そう言って、千姫は懐から小包を取り出し、マナへ差し出した。
「そんなに気を使わなくても大丈夫よ……あら、とてもおいしそうね」
マナは遠慮を口にしつつも、小包の中身を見た瞬間、思わず笑みをこぼした。
中身は焼き菓子であった。
「あとでみんなで食べましょう」
マナがそう言うと、
「わーい」
ミナが嬉しそうに声を上げた。
千姫とラナ、マナ、ミナの四人は、その日、一緒に夕食を囲んだ。
食事の内容は屋敷のものに比べれば粗末であったが、千姫にとっては久々に感じる温かな雰囲気の食卓であり、千姫はその時間を静かに楽しんでいた。
千姫はその夜、三人と同じ部屋で床を共にし、そのまま一夜を明かした。
◆
翌日――
「マナさん、お世話になりました。ミナちゃん、またね」
千姫が別れの挨拶をした。
「お千ちゃん、またいつでも来てね」
「お姉ちゃん、またね」
マナとミナがそれぞれ応じた。
「じゃあ、ラナ、行きましょう」
千姫がラナに声をかけた。
「ああ、わかったよ」
ラナがうなずいた。
その日は日曜であり、ラナは仕事が休みであった。
ラナは可能な範囲で身なりを整え、千姫に伴われて王都の一角へと向かっていった。
「ここよ」
千姫が足を止めて言った。
「え、ここなのかい?」
ラナが戸惑いの声を漏らした。
やがて二人は、ひときわ立派な商家の屋敷へと到着した。
ラナはその規模と雰囲気に圧倒され、思わず足を止めかけたが、千姫は落ち着いた様子でそのまま屋敷の中へと歩みを進めた。
ラナはためらいながらも、千姫の後に続いて屋敷の中へ入っていった。
「ラナ、私はちょっと用事があるから、少し席を外すわね」
千姫がそう告げた。
「え、ちょっと、お千……」
ラナが呼び止めようとしたが、
屋敷の待合の間に通されたのち、千姫は用事があるとしてその場を離れていった。
ラナは、見知らぬ屋敷に一人取り残されたことに不安を感じ、自然と耳が臥せていた。
千姫はなかなか戻ってこなかった。
時間が過ぎるにつれて、ラナの中で不安は次第に大きくなっていった。
「ラナ様ですわね」
やがて声がかかった。
「えっと、あなたは……」
ラナが振り向いて尋ねた。
「私は河野と申しますわ。ご主人様がお待ちです。ついてきてくださいませ」
ラナの前に現れた女性――河野が、丁寧な口調で案内を申し出た。
ラナは状況を飲み込めないまま、河野に従うほかなかった。
「あの……コウノ……さん」
ラナが遠慮がちに声をかけた。
「お千……お千はどこ……ですか?さっき出て行って、戻ってこないんだよ……いえ……です……」
ラナは途中で言葉遣いを直そうとしながら尋ねた。
「お千……あぁ……ついてくれば分かりますよ」
河野は簡潔に答えた。
そのそっけない返答に、ラナの不安はさらに強まった。
「こちらで、ご主人様がお待ちです……失礼します。ラナ様をお連れしました」
河野は扉を軽く叩き、中へ声をかけた。
「……入ってよいぞ」
奥から静かな声が返ってきた。
「ラナ様……どうぞ」
河野が扉を開け、入室を促した。
「し、失礼します……」
ラナは緊張した様子で扉をくぐり、室内に入ると深く頭を下げた。
「頭を上げてかまわぬぞ……ラナ」
屋敷の主人と思われる人物が、静かにそう告げた。
その声は、ラナにとって聞き覚えのあるものであった。
ラナはゆっくりと顔を上げた。
「……え……なんで……」
ラナは思わず声を漏らした。
そこにいたのは、先ほどまで共にいたはずの千姫であった。
ドルゴンという人物が好きで書いた妄想小説です。
楽しんで頂けたら幸いです。
次回:「直臣ラナ(後編)」2026/5/2 8時投稿予定




