ep.51 アストリッド その1
王都の学舎では、午前の訓練と午後の講義のあいだに昼休みが挟まれている。
その時間になると、生徒たちは食堂へ集まり、空いた席に適当に座り、皿を並べて食事を取りながら、思い思いに会話を始める。
訓練や授業のような決まった動きはそこにはなく、話題も長く続くことはあまりない。誰かが言いかけた言葉は、別の声に押されて途中で形を変え、そのまま別の話へと移っていく。
そうした中で、アストリッドのいる一角もまた、特別な輪ではなく、いくつかある机のひとつとしてその中に混ざっていた。
昼休みの食堂は、授業や訓練の時間帯とはまるで質の違うざわめきに満ちていた。
長机のあちこちから皿の触れ合う乾いた音や椅子を引く金具の擦れる音が断続的に重なり、その合間に午前の訓練の疲れを笑い飛ばす声や、午後の授業への小さな不満が混ざり合いながら、ひとつの大きな雑音のような流れを形作っている。
窓際から差し込む光は白く柔らかく、テーブルの上に落ちたパンくずやスープの縁をゆっくりと照らしながら、時間そのものがわずかに緩んだような空気を作っていた。人の出入りは絶えず、皿を抱えたまま席を探す生徒が視線を巡らせ、すでに食事を終えた者が立ち上がっては別の机へと移っていく。その繰り返しの中で、会話はまとまりを持たないまま生まれては消え、別の声に押されてまた流れていく。
アストリッドの周囲にも、特に誰かが意図したわけではないまま数人が残っていた。向かいの男子生徒はパンを半分に割ったまま、次の言葉を探すようにそれを指先で軽く弄びながら、時折視線だけを机の端へ逃がしては戻し、会話の流れに遅れないようにしている。
隣の女子生徒は両手で器を包むように持ち、そのまま少し傾けて湯気を逃がすように息を吹きかけており、視線は器の縁に落ちたまま、会話の断片だけを拾っているような位置にある。
もう一人の男子生徒は皿を端へ寄せて手を止めており、積極的に言葉を差し込むでもなく、かといって輪から離れるでもない中間の位置で、周囲のやり取りを一拍遅れて追いかけていた。
それぞれの動きは別々で、まとまりがあるわけではないが、同じ机にいることだけはごく自然に成立していて、誰かが中心になることもないまま、会話だけがその間をゆるく繋いでいた。
男子生徒がパンを軽く持ち上げながら、視線だけをアストリッドへ向ける。
「今日もこっち来てたな」
その言葉にアストリッドはすぐに返事をせず、スプーンが皿に触れる音が一度だけ落ち着くのを待ってから、軽く肩をすくめた。
「そうよ。もしかしてお邪魔?」
冗談のように言葉を返すと、男子生徒は一瞬だけ目を瞬かせてから慌てたように笑い、首を横に振った。
「いやいや、そういうんじゃなくてさ。むしろいる方が話しやすいくらいだし」
隣の女子生徒がスープを机に置き、少しだけ笑みを浮かべながら頷く。
「わかる。なんか空気が軽くなる感じあるよね」
もう一人の男子生徒も皿を軽く押しやりながら、言葉を探すように一拍置いてから続ける。
「話の流れが途切れにくいっていうかさ」
その言葉にアストリッドは小さく笑い、パンを一口だけちぎる。その動作は会話の外側に出ることなく、むしろ流れを少し滑らかにするように混ざっていく。
女子生徒がふとしたタイミングで視線を上げる。
「アストリッドって、ほんとどこにでもいるよね」
軽い冗談のような言い方に、アストリッドは皿へ視線を落としたまま一瞬だけ間を置き、それから肩の力を抜くようにして答えた。
「そうよ、あたしだもん」
その言葉に男子生徒が吹き出すように笑い、スプーンを持つ手を軽く揺らす。
「それ言われたら終わりじゃん」
「何がよ」
「いや、納得しか残らないのがずるいって」
小さな笑いが机の上を一度流れ、また別の話題へと自然に移っていく。
「最近の訓練場、ちょっと混んでない?」
「人増えてるよな」
「午後の時間とか特に使いづらい」
そんな雑談が、皿の上のパンくずと同じように散らばりながら続いていく。
やがて別の男子生徒が、スプーンを置く音とほぼ同時に視線を上げた。
「そういえば」
その一言で、場の空気がほんのわずかだけ整うように沈む。
「魔術師って見たことある?」
完全に会話が止まるわけではないが、誰もすぐには次の言葉を重ねず、スープの表面が揺れる音や、遠くの机の笑い声だけが少し浮き上がるように聞こえた。
「ないな」
最初に出た言葉は短く、その後に続く声もどこか曖昧なまま重なっていく。
「関わる機会ないし」
「別の世界の人って感じだよな」
「話には聞くけどね」
それぞれが少しずつ言葉を足しながらも、像としてはまとまらず、曖昧な輪郭だけが机の上に残る。
女子生徒がスープの器をそっと机に置き、少しだけ視線を落としながら言う。
「よく分かんないし、ちょっと怖くない?」
「怖いっていうより、単に想像がつかないだけだと思う」
その言葉は特別な結論というより、空気の中に溶けるように置かれただけで、誰かが強く否定することもなく、かといって深く掘り下げられることもなく、そのまま次の話題へと流れていく。
男子生徒の一人が、パンの欠片を指でつまみながら軽く視線を上げる。
「午後の訓練、組変わるらしいぞ」
その一言で、空気はすぐに元の速度へ戻り、誰がどの組になるかという話題へと移っていく。皿が動き、椅子が少し鳴り、笑い声がまた断続的に重なり始めた。
アストリッドはその流れの中で、会話の端に軽く混ざりながら食事を進め、最後に水を一口だけ飲むと、自然な動作のまま皿へ視線を落とした。
窓の方へ目を向けたのはその直後だった。
差し込む光が机の上をゆっくりと横切り、スープの縁や金属のスプーンの上に細い反射を落としながら移動していく。その動きだけが会話の速度とは別のところにあり、ほんのわずかな間だけ、まだ西部と王都を行き来していた頃の昼の食卓が、理由もなく静かに重なって見えた。
昼休みの時間は基本的に自由なものとして扱われています。特別教室のように別のカリキュラムを持っている生徒でも、昼の時間になると食堂へ向かい、普通科の生徒と同じ机で食事をしながら話していることは珍しくありません。
そのため昼休みの食堂は、所属や立場といった区分が一度ゆるむ時間でもあり、授業や訓練のときとは少し違う形で人が混ざり合う場になっています。誰と話すか、どこに座るかといったことも、その日の流れの中で自然に決まっていきます。




