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ep.50 ルーカス その5

牧場を失い、家族を失ったルーカスは王都へ移ることになる。


孤児院で暮らしながら学校へ通い、変わらない日々を過ごしていた。怒りも悲しみも整理はつかないまま、それでも時間だけは過ぎていく。


その中で槍を持ち、診療所へ通い、少しずつ生活の形が出来ていった頃の話。

王都へ来てから、随分と時間が経った。


最初の頃のことは、今では少し曖昧になっている。


孤児院へ来たばかりの頃は、何かにつけて腹が立った。誰かの言葉に反発し、何でもないことで手が出た。理由は自分でも分からない。ただ胸の奥に溜まり続けている何かを、どう扱えばいいのか知らなかった。怒りなのか悲しみなのか、それとも別の何かなのかも整理できないまま、気付けば周囲へぶつけていた。


けれど、そういう時間は長く続かなかった。


喧嘩をしなくなった理由は単純だった。怒ることに疲れたのである。


代わりに槍を握る時間が増えた。


孤児院の裏庭には、訓練用に使われている古い丸太が立っていた。誰かが毎年削り直しているのか表面だけ妙に新しく、何年も突かれ続けた跡が残っている。最初はそこへ向かってただ突くだけだった。祖父が使っていた。父も使った。兄も、いずれそうなるつもりだった。ただそれだけの理由で槍を持った。


突いて、戻す。また突く。


最初は身体を疲れさせるためだった。身体が重くなれば夜は眠れるし、余計なことも考えずに済む。けれど続けるうちに、昨日より少し真っ直ぐ突けるようになり、前より深く踏み込めるようになった。槍は振った分だけ返ってくる。人間相手と違って理由も機嫌もない。そういう単純さは嫌いではなかった。


学校でも訓練の時間は自然と槍を選ぶようになった。


誰かに褒められるほどではない。


けれど教師に呼び止められることは増えた。


ある日の授業終わり、槍を片付けていると教師が声を掛けてきた。


「中央、受ける気ないのか」


最初は意味が分からなかった。


理由を聞けば、槍も悪くないし符術の理解も早いからだと言う。


ルーカスは少し考えた。


「受かるなら」


教師は笑った。


「受かってから考えろ」


同じ頃、診療所へ通う回数も増えていた。


最初は怪我を診てもらうだけだったはずなのに、いつの間にか水を運び、掃除をし、薬草を干し、診察後の部屋を片付けるようになっていた。頼まれたのか、自分から始めたのかは覚えていない。気付けばそうなっていた。


診療所は孤児院からそう遠くない場所にあり、王都へ来てからの日常の一部になっていた。


医師は相変わらずだった。必要以上に話さないし、理由も聞かない。褒めもしない。


「棚」


「はい」


「終わったら戸閉めろ」


大体それで終わる。


診療所はいつ行っても忙しかった。大怪我より、風邪を引いた子供や腰を痛めた職人、火傷した料理人の方が多い。医師は淡々と診て、薬を渡し、次を呼ぶ。その繰り返しだった。


ある日、薬草を刻みながらルーカスは聞いた。


「先生、一人で大変じゃないですか」


医師は少し考えたあと答える。


「慣れた」


「人増やさないんですか」


「増やすと飯も増える」


その答えが少し面白くて、ルーカスは笑った。


「飯、美味いですしね」


医師は返事をしなかった。ただ少し鼻を鳴らした。


中央を受けることを伝えた時も反応は変わらなかった。


「そうか」


それだけだった。


行く日も同じだった。


荷物を持って帰ろうとすると、


「夕飯食ってけ」


と言われた。


その日も普段と変わらない味だった。


中央へ通うようになってからも生活は大きく変わらなかった。学校が少し遠くなったくらいで、診療所は変わらず歩いて行ける場所にあった。授業が早く終われば寄るし、休日にも顔を出した。


中央には優秀な人間がいくらでもいた。


槍が強い者。


符術が上手い者。


理論を理解している者。


最初は少し驚いたが、困ることはなかった。上がいること自体は昔から知っていた。だからやることは変わらない。授業を受け、槍を振り、診療所へ行く。競うことより、昨日より少し出来ることを増やす方が性に合っていた。


エリーナに声を掛けられたのは中央へ来て一年ほど経った頃だった。


最初は教師だと思わなかった。訓練場に立ってこちらを見ているだけで、指導もしないし話しかけても来ない。騎士団関係者かと思っていたが、何度か見かけるうちに教師だと知った。


ある日の帰り際、不意に呼び止められた。


「今の教室、面白いか」


質問の意味がよく分からず、少し考えてから「普通です」と答えた。


エリーナは一度頷き、それ以上説明もせず、


「なら来るか」


とだけ言った。


そうして入った特別学級は、最初は教師と生徒の二人しかいなかった。


教室は広く、驚くほど静かだった。課題を渡され、訓練し、終われば帰る。エリーナは必要以上に話しかけない。教師というより、少し距離の近い上官みたいな人だった。


けれど、その静かな教室も長くは続かなかった。


最初にエミリアとアストリッドが入り、急に教室が賑やかになった。さらにアルフレッドが加わると、騒がしさの中に妙な落ち着きが出来た。最後にエリクとソフィアが入った頃には、最初の静かな教室を思い出すことの方が少なくなっていた。


気付けば今の形になっていた。


訓練終わりの教室では誰かが喋り、誰かが巻き込まれ、誰かは別のことをしている。まとまりはないし静かでもない。


けれど、不思議と嫌ではなかった。


片付けの手を止め、教室を見渡していると、ふと昔の食卓を思い出した。


家族がいて、話して、笑っていた。


孤児院も、診療所も、案外似たようなものだったのかもしれない。


静かな場所ではなく、人がいて、勝手に動いて、それでも同じ場所にいる。


後ろからエリーナの声がした。


「何見てる」


ルーカスは少し考えて答える。


「……別に」


少しだけ教室を見る。


「賑やかだなと思っただけです」


エリーナは教室を見回した。


「今更だな」


そう言って出ていった。


ルーカスは何も言わなかった。


窓の外では夕方の光が差し込んでいる。


高原とは違う空だった。


けれど、それでも悪くないと思った。

ルーカスが家族を亡くしたあと、引き取りたいと言ってくれた家はきっとあったのだと思います。牧場はいくらでもありますし、同じように馬を扱う家もあったのでしょう。


けれど、ルーカスはそこへ残りませんでした。何も変わっていない景色の中で暮らしていくには、あの時のルーカスは少し色々なものを抱えすぎていたのかもしれません。


だから王都へ行って、孤児院で暮らして、別の時間を過ごしました。


今では高原へ足を運ぶこともありますし、馬を見ることもあります。ただ、それは戻ったというより、少し離れた場所から見られるようになった、という方が近いのでしょう。

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