ep.49 ルーカス その4
【前書き】
北部高原の牧場で暮らしていたルーカスは、亜人による襲撃で家族と故郷を失った。
王都へ引き取られてから半年。孤児院での生活には慣れつつあったが、失ったものを受け入れられたわけではない。
それでも日常は続いていく。
王都へ来てから半年ほどが過ぎていた。
冬は終わり、街路の隅には少しずつ緑が戻り始めている。それでもルーカスは、この街を好きになれずにいた。高原より人が多く、建物も多い。朝になっても馬の声は聞こえず、夜になってもどこかで誰かが話している。見上げても空は狭く、故郷で毎日のように見ていた山脈もここからは見えなかった。
孤児院での生活には慣れたと言えば慣れたのだろう。決まった時間に起き、決まった時間に食事をし、与えられた仕事をこなして眠る。ただそれだけの日々だった。誰かと親しくなることもなく、自分から話しかけることもない。必要なことだけを話し、あとは黙って過ごす。孤児院の子供たちもそんなルーカスを無理に輪へ引き込もうとはしなかった。
その代わり、力仕事だけはよく回ってくる。年齢の割に体格が良く、北部高原で鍛えられた身体は大人から見ても頼もしかったらしい。薪割りや荷運び、水汲みなどはいつの間にかルーカスの担当のようになっていた。ルーカス自身も断ることはない。身体を動かしている間だけは余計なことを考えずに済んだからだ。
もっとも、それで心の中まで静かになるわけではなかった。
理由もなく苛立つ日がある。誰かの笑い声が耳につくこともあれば、些細な言葉に腹が立つこともある。夜になれば眠れず、朝になれば何事もなかったように起きる。自分でも何に怒っているのか分からない。ただ胸の奥に沈んだ何かが、時折勝手に暴れ出すような感覚だけが残っていた。
その日の昼も、本来ならいつもと変わらないはずだった。
中庭で水桶を運び終えたところで、年上の少年たちが声を掛けてくる。最初は無視していたが、何度か呼ばれて足を止めた。
「何だ」
ようやく返事をしたルーカスを見て、少年たちは面白そうに笑った。
「やっと喋ったな」
別に悪意のある言葉ではない。からかわれただけだ。普段なら聞き流して終わる程度の話だった。それでも、その日はなぜか腹の奥が熱くなった。何が気に障ったのか、自分でも分からない。ただ、笑われたという事実だけが妙に頭に残った。
「怒るなよ」
その一言がきっかけだった。
次の瞬間には相手の胸倉を掴み、地面へ押し倒していた。怒鳴り声が上がり、周囲の子供たちが慌てて距離を取る。殴り返され、殴り返し、誰かが止めに入る。何発殴ったのかも、何発殴られたのかも覚えていない。気付けば大人たちに引き剥がされていた。
頬は腫れ、額から血が流れている。息を荒げながら地面を睨むルーカスに向かって職員が怒鳴っていたが、その声もどこか遠く聞こえた。怒りはまだ残っている。それなのに、何に対して怒っているのかは相変わらず分からなかった。
結局、そのまま診療所へ連れて行かれることになった。
王都の外れにあるその診療所は、待合室と診察室、それに住居が繋がっただけの小さな建物だった。医師は一人しかいない。患者の診察も薬の調合も掃除も食事の支度も、全部自分でやっているらしい。
扉を開けると、薬草の匂いが鼻をついた。
診察室では医師が本を読んでいた。白髪混じりの男は顔を上げるなり、ルーカスの顔を見て小さく眉を動かす。
「また喧嘩か」
半ば独り言のような声だった。
付き添ってきた職員が事情を説明するが、医師は適当に相槌を打つだけで、やがて椅子を顎で示した。
「座れ」
職員が帰ると、診察室には二人だけが残る。
医師は慣れた手付きで傷を洗い始めた。消毒液が触れた瞬間に鋭い痛みが走る。
「痛そうだな」
「痛いからな」
「そうか」
それ以上は何も言わない。
慰めもしない。説教もしない。ただ怪我を見て、必要な処置をするだけだった。
額の傷は浅かったが、念のため二針ほど縫われることになった。針が皮膚を通る感触に顔をしかめると、医師は鼻を鳴らす。
「痛くない顔をするな」
「してない」
「してる」
そのやり取りだけで終わる。
傷の処置を受けながら、ルーカスはぼんやりと天井を見上げた。
すると、あの日のことを思い出す。
牧場が襲われた後、騎士団は周辺の調査を続けていた。死者の確認だけでなく、亜人がなぜ現れたのかも調べていたのである。その数日後、一人の騎士がルーカスを呼び出した。
そこで聞かされたのが、亜人の子供の話だった。
森との境目で見つかったこと。既に死んでいたこと。傷の具合から見て、馬に蹴られた可能性が高いこと。そして、その近くで例の暴れ馬も死んでいたこと。
もし本当に親子だったのなら、あの亜人は目の前で子供を失ったことになる。
だからといって許せるわけではない。
父も祖父も兄も母も帰ってこない。
けれど、怒り狂っていたあの姿を思い出すたび、胸の奥には怒りとも悲しみとも違う重苦しいものが残った。
「おい」
医師の声で我に返る。
気付けば処置は終わっていた。
「考え事か」
「別に」
「そうか」
医師はそれ以上聞かなかった。
奥へ引っ込み、しばらくして湯気の立つ皿を持って戻ってくる。豆と野菜の入った簡素なスープだった。
「余り物だ」
そう言って机に置く。
余り物にしては具が多い気がしたが、ルーカスは何も言わなかった。医師も説明しない。ただ静かな部屋でスープを飲む。窓の外では夕陽が傾き始めていた。
診療所を出た後、ルーカスはすぐには孤児院へ戻らなかった。
騎士団の訓練場の近くを通りかかると、自然と足が止まる。夜間訓練が行われているらしく、月明かりの下で何本もの槍が規則正しく動いていた。踏み込み、突き、引き戻す。その単調な動作が不思議と目を離させない。
祖父も槍を使った。
父も使った。
兄も、いずれはそうなるつもりだった。
ルーカスは黙ったまま訓練を見つめる。懐かしいと思ったのか、寂しいと思ったのか、自分でも分からない。ただ風を切る槍の音だけは、少しだけ故郷に近い気がした。
【後書き】
孤児院というと、子供たちが集まって暮らしている場所という印象があります。
実際それは間違っていませんが、運営する側からすると意外と大変です。
まず食事が必要です。子供はよく食べます。成長期ならなおさらです。服も必要ですし、寝る場所も必要です。怪我や病気になれば治療もしなければなりません。
今回の王都の孤児院も、多くの人々の支えによって成り立っています。寄付をする商人がいて、食料を融通する農家がいて、修繕を手伝う職人がいる。そうした人々がいるからこそ、身寄りを失った子供たちも生きていけるのです。
もっとも、子供たちの方はそんな事情をあまり気にしていません。今日の夕飯が何か、の方がずっと重要でしょう。




