ep.44 アルフレッド その3
符術という新たな技術が、ようやく形を持ち始めた頃。
その有用性を確かめるため、研究者アルヴィンは騎士団のもとを訪れる。
実際の戦闘を想定した場で示される力と、その限界。
そして、誰もがまだ言葉にしきれない“可能性”。
この技術が何を変えるのか――
それを測ろうとする、小さな試みの一幕です。
「……くしゅんっ」
小さなくしゃみが、石造りの広間に乾いた音を残した。広い空間のせいで大きく響くわけではないが、訓練場とは違う静けさを持つこの場所では、その程度の音でも妙に目立つ。音が消えきる前に、低い声がすぐに返ってきた。
「……どうかしたか、学者殿」
間を置かない反応は気遣いというより確認に近く、この場の性質をよく表している。アルヴィンは鼻先を軽く押さえながら首を振り、軽く息を整えてから答えた。
「いえ。……誰かの噂話かもしれません」
わずかに笑みを添えてみせたが、それを拾う者はいない。冗談が無視されたというより、最初から評価の対象に入っていない、と言った方が近い。広間にいるのは十数名の騎士たちで、その多くの視線はアルヴィン自身ではなく、彼の左手にまとめて持たれている紙束に向けられていた。
呪符――紙に過ぎないそれが、先ほどまでの実演によって“ただの紙ではない”ことだけは、全員がすでに理解している。
「で、だ」
腕を組んだ中隊長が、余計な前置きを挟まずに口を開く。
「一通りは見せてもらった。感想を言え」
促される形で、騎士たちが順に口を開いていく。遠慮はないが、無秩序というわけでもない。経験の積み重ねが、そのまま言葉の選び方に出ている。
「威力はあるな」
「的に当てる分には十分だ。さっきの火球も見た通りだ」
「だが実戦じゃ遅い」
「紙を手に取って、構えて、それから、だろう?」
「剣を振るより遅いな」
それぞれの言葉はわずかに角度が違うものの、指している先は似通っている。評価は揃いきらないが、結論だけは自然と同じ場所に寄っていく――このままでは扱いにくい、という一点に。
アルヴィンは途中で口を挟まず、最後まで聞いたうえで、ゆっくりと視線を上げた。
「威力については、ご覧の通りです」
左手の紙束をわずかに持ち上げる。その仕草自体は軽いが、視線が自然とそこへ引き寄せられるあたり、この場における関心の所在ははっきりしている。
「同じ紋様であれば、同じ結果になります。そこにばらつきはありません」
再現性についての説明だったが、騎士たちの反応は一様ではない。意味は理解できる。しかし、それがどれほどの価値を持つのかまでは、まだ実感に落ちていない様子だった。
「……狙いは?」
短く投げられた問いに、アルヴィンは間を置かずに答える。
「使用者次第です」
簡潔な答えだったが、その分だけ余計な逃げ場もない。
「私は戦闘の専門ではありませんので、精度については参考にならないかと」
わずかな笑いが漏れる。嘲りではなく、納得の混じった反応だ。
「正直だな」
「戦えないのか?」
「最低限ですね」
淡々とした受け答えは、誇張も卑下もない。その事実だけが、そのまま場に置かれる。
「ですので、これを主とするつもりはありません」
「なら何だ」
問いは短く、核心だけを掬い上げる。
アルヴィンは一度だけ周囲を見渡した。騎士たちの立ち位置、互いの距離、無意識に取られている間合い。それらは訓練の結果として自然に整えられており、戦うことを前提にした配置がすでに出来上がっている。
その光景を踏まえたうえで、言葉を選ぶ。
「安定して同じ結果が出る、という点に価値があります」
声は強くないが、曖昧でもない。
「一度できた紋様であれば、誰が使っても同じ効果になります」
わずかに間を置く。その間はためらいではなく、言葉の区切りとしての間だった。
「威力は限定的ですし、即応性も高くはありません。ですが――同じ紋様を用意しておけば、同じ効果を繰り返し出せます」
紙束を軽く揺らす。
「呪符自体は一度で消えますが、その分だけ事前に数を用意できます」
言葉を足しすぎない範囲で、必要な説明だけを置いていく。そこから先の価値判断は、聞き手に委ねる形だ。
短い沈黙が生まれる。先ほどまでの評価とは質の違う、考えるための間だった。
やがて中隊長が小さく息を吐いた。
「……使いづらいな」
率直な感想に、アルヴィンはあっさりと頷く。
「ええ。その通りです」
否定も補足もしない。そのまま受け入れる。
「だが」
中隊長が続ける。
「使いようは、ある」
断言ではないが、切り捨てる響きでもない。その言葉を聞いたアルヴィンは、わずかに頷いた。
それで十分だった。
「もう一つ聞く」
中隊長が視線を向ける。
「これは、魔術士でなくても使えるのか」
先ほどまでとは少し違う空気が流れる。評価ではなく、可能性に対する問いだった。
アルヴィンは一度だけ瞬きをしてから答える。
「そうですね」
軽く肩をすくめる。
「現に、僕も魔術は使えません」
小さなどよめきが広がる。驚きというより、認識の修正に近い反応だった。
「……ほう」
「学者殿が、か」
疑いと興味が入り混じるが、どちらも自然な範囲に収まっている。
「使用条件は?」
アルヴィンはすぐには答えず、手にした呪符へと視線を落とした。紙に刻まれた紋様を、確認するように一瞬だけ見つめる。
それから顔を上げた。
「自分で描くこと、です」
「……どういう意味だ?」
間を置かない問いに、アルヴィンは淡々と続ける。
「他人の描いた呪符は使えません。ですが、自分で描いたものであれば、使用できます」
単純だが、扱いにくい条件だった。何人かがわずかに眉をひそめる。
「今のところは、ですが」
と付け加える。
「試した者は、全て共鳴できています」
再び、静かな間が生まれる。先ほどまでとは違い、評価ではなく“自分事として考えるための間”だった。
「……我々でも、か」
誰かが低く呟く。
中隊長がその言葉を拾う。
「描けば使える、ということか」
アルヴィンは一瞬だけ考え、
「……恐らく」
と答えた。断言はしないが、否定もしない。その曖昧さは逃げではなく、現時点での限界をそのまま示したものだった。
誰もすぐには口を開かない。それぞれが自分の手を見て、腰の武器に目をやり、そして再び紙束へと視線を戻す。
比較は単純だ。だが、そこから導かれる結論は単純ではない。
やがて中隊長が小さく頷いた。
「……なるほどな」
短い一言のあと、少し考える間を置く。
「もし」
ゆっくりと言葉を置きながら、
「“誰もが”使えるのであれば――」
顔を上げる。
「戦い方は、変わるな」
断定に近い響きだった。誰もそれを否定しない。否定する理由が、まだ見つからないからだ。
剣を握る手と、紙を持つ手。そのどちらもが意味を持つようになる可能性が、はっきりと形を取り始めている。
中隊長はわずかに目を細め、息を一つ吐いた。
「……面倒なものを持ち込んでくれたな、学者殿」
苦笑に近い声だった。
アルヴィンは小さく肩をすくめる。
「そうかもしれません」
それ以上は言わない。だが、その場にいた誰もが、先ほどまでと同じ見方ではいられなくなっていた。
この世界の符術ですが、基本的には「描けば誰でも使える」という性質を持っています。
(若干の例外は存在しますが…)
便利に聞こえる反面、そのまま放っておけばただの危険物にもなりかねません。
実際、このあと王都では符術の扱いについて、いろいろと決めごとが整えられていくことになります。
おそらく最初に広まるのは騎士団の中でしょう。
運用や管理の必要性を一番強く感じるのがそこですし、実戦の中で形が固まっていくのは自然な流れです。
そこから少しずつ外へ出て、やがて民間へ。
さらに時間が経てば、学校のような場所でも教えられるようになるはずです。
ただ、そのときに一緒に教えられるのは「使い方」だけでは足りません。
どう使うか、どこで使うべきでないか――そういった部分も含めて、ようやく一つの技術として成立するのだと思います。
そういう意味では、符術の発展は技術の話であると同時に、人の側の問題でもあるのかもしれません。




