影を呼ぼう!
ラルフの部屋に戻ると、ラルフはベッドに半身を起こしており、その傍らにクロードが座っていた。
「改めて、おはよう二人とも。クロードは良く眠れた?」
「それなんだが、私は兄上のそばにいたのに、気づいたらとなりの部屋でねていたんだ。私はいつねむったんだ?」
「く~ちゃん覚えてないの?私が夕方薬を持ってここに来た時、貴方ラルフの横で寝こけてたのよ。…貴方も疲れてたのよ。その証拠に、隣室に運ばれても気づかなかったじゃない。」
「そ、そうか…。やはりあれはゆめ?」
後半何やら聞こえたけど黙殺。
にっこり笑顔で有無を言わせない方向で。
「今日の予定なんだけど、私含めて屋敷で待機になったわ。今晩父様が今後について話して下さるみたいだから、二人ともゆっくり過ごしていて。…特にラルフは後からまたお医者様が来てくれる手筈になっているから。」
「もう平気だけどね?」
「でも、動機・息切れ・眩暈がすると言ってたでしょ?」
「な!?兄上、まだねていて下さい!!」
「……あぁ…………あれ、か………」
「兄上!?顔があかくなりましたよ!!またねつが出たのではありませんか!?」
何やらもにょもにょするラルフと騒ぎ立てるクロード。
「ほら、心配だから、安静にね?」
「……ナターシャ、今朝みたく近くにいてくれないのかい?」
「く~ちゃん、ラルフが寂しく無いように付いててあげてね!」
「あたりまえだ!!私の兄上だからな!!」
「え…いや……」
昨日と違ってクロードもしっかり休んだ後だし、今日は任せて大丈夫でしょう。
「じゃあ私はまた後で様子を見に来るから。」
「ふん、お前のしんぱいなんかむようだ!!」
「え!?ナターシャ、行ってしまうのかい?」
「兄上、私がついています。あんしんしてください!」
うんうん。任せたよクロード!私はちょっくら野暮用があるのでね。……何かラルフが情けない顔でこっちを見てるけど、く~ちゃんが付いてるぞ!!心細いなら手とか握ってもらいなさい。
―――――さて。領邸に誂えてもらった私の部屋へ戻って参りました。
一人で行動出来るこのチャンスにやっておきたい事があるのです。
私は部屋の真ん中辺りに立つと、何処へでもなく呼び掛けた。
「出てきて!!いるのでしょう?」
いち、にぃ、さん……。部屋は静まりかえっている。
(う~ん、反応無しか……)
もっと強い言い方しないとダメなのかな?
「貴方たちの事はお母様から聞いています。これは命令です!!私の前に姿を見せなさい!!」
もう一度、何処でもない場所へ訴える。
……やっぱりダメかと思った頃、躊躇うように空気が動いた。そして瞬きの間に人間が現れる。身体のラインに合わせた動き易そうな服を着た男が、片膝をついて頭を垂れていた。
(うわ!!本当にいたよ!!!!)
驚きを隠して言葉を続ける。
「顔をあげなさい。」
つ、と。一切の無駄を省いた洗練された動きで命令に準じる男。精悍な顔立ち。感情の読めない瞳。
私は思わず笑む。期待通りみたい!
―――彼はダンデハイム家『隠密部隊』の一人。母様曰く、我が家の人間には必ず影が付いているらしい。私も5歳のパーティーを境に護衛が付けられた事だけ聞いていた。
彼等は当主である父様へ忠誠を誓っており、護衛対象の監視・報告、密偵として動く等、人目につかない仕事を生業としている。『護衛』と称してはいるが、彼等が手を出すのは最後の最後。表の仕事は騎士や正規の護衛兵がいるからだ。
『隠密部隊』は周囲にその存在を隠されている為、――家人も含めて徹底的に――表に出てくる事は限られていた。
「ルール違反をしてごめんなさい。
……貴方にお願いがあるの。貴方の口から父様に報告してくれる?」
無言のまま視線だけが送られる。
まさか彼が今日私に配置されてたなんて僥倖だわ。
私は機嫌良く彼に語りかけた。
「あのね…―――――」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「エルバス、話がある。」
今日の予定を終え、屋敷に戻ったばかりの私の耳朶を揺らすものがあった。
ここは私の執務室。使用人たちも控えさせているので私一人の筈だ。事実、見える所に人影はない。
しかし私はこの声の主を知っていた。
「珍しいな、ソウガ。緊急の案件は無かったはずだが?」
執務机の椅子に腰かけ、聴こえた声に答えると、瞬きの間に男が現れた。黒短髪に黒瞳を持つ長身でがたいの良い男だ。名は『ソウガ』。私の乳兄弟で、ダンデハイム家に代々仕える『隠密部隊』の現頭領である。
「お前の姫さん、本当に5歳児か?胆は据わってるし、賢し過ぎだろ。」
仕事中は冷徹・無表情の男だが、その実、情に厚く明るい奴だ。娘に何かあったのか、興味津々隠す素振りもなく、楽しそうにしている。
「何だ、ナターシャに遭ったのか?」
「遭ったっつ~か呼び出された」
「は?」
「俺を通してお前に頼みごとがあるんだと」
「何!?」
相手を値踏みするような、完全に面白がっている瞳でソウガが言う。…これはろくでもない類のものだ。長年の気安い関係がそう直感で訴えてきた。
視線で続きを促せば、ソウガの右口角がニッと上がる。
「いいか~?姫さんの言葉そのまんま伝えるぞ?
『私は今後、殿下がたと親しくなるに従って目立つ存在となるでしょう。ですがそれではお役目上困るのです。それで、多少の護身術と身を隠す術を習得したく思っております。奇しくも我が家には打ってつけの師匠もおりますしね。私は貴方にその役を頼みたいと願っているのだけれど、その事を貴方の口から父様に伝えてくれるかしら?』…だとさ。」
「…一応聞いておくが、それはナターシャのマネなど言わないだろうな?」
「あれ?似てねぇ?」などとすっとぼけているソウガに軽い殺意が芽生えるが、一先ずそれは置いておこう。
「貴様は娘に素性を明かしたのか?」
「そう思うのか?」
「いいや。…それで貴様を引き当てるとか、うちの娘は運が良すぎるだろう」
「それは同意だが、姫さん俺が誰だか解ってる風だったぞ?」
「そこは謎だな…。しかしナターシャは天才だから当然かもなぁ」
娘の顔を浮かべると思わず目尻が下がってしまう。ソウガが目に見えてドン引いた。…それが主に対する態度なのか。苦笑しながらソウガは続ける。
「で?姫さんはどうやら俺をお望みのようだが、ご主人様は娘の意向にどう応えるおつもりか?」
ニヤニヤと私の様子を窺っている。……私は暫し思考の間をとった。
「――・・・例の件はどうなっている?」
「配下が鋭意調査中」
「娘に対応する事で支障は出るか?」
「今んとこ問題ないな」
「そうか…。―――ならば、命を下す。
『我が隠密部隊頭領ソウガ。そなたは暫く我が娘ナターシャの専任配下として侍ろ。私の意向に背かぬ限り、娘に次点の命令権を与える。頭領として部隊への裁量権はそのまま保持、都合により増員等も許す。娘にはそなたの素性を明かし、事の仔細総て私への報告義務を要すると伝えよ。但し、人目に付く場所でのやり取り、習得した能力の他者への情報開示は一切禁ず』良いな。」
「御意に。」
ソウガが片膝をつき頭を垂れ、臣下の最敬礼をとる。
私が一つ頷くと、あっという間に元の気楽な感じに戻った。
「しかしソウガ…何故『姫さん』なんだ。」
「え~、ナターシャ様って言い辛いじゃん!妥協して『お嬢ちゃん』だな」
「何だか犯罪臭がするので却下だ!」
「そんじゃ姫さんで。」
脱力感満載だが、まぁ良いだろう…。
用は済んだ。しっしっと追い払うジェスチャーをすると、「酷くねぇ!?」などど言いつつ笑っている。
「私はこれから殿下方と食事がある。忙しいからさっさと行け」
「へぃへぃ。俺的にも、おっさんに就くより可愛い姫さんの方が仕事甲斐があるし~」
「貴様、娘に手を出したら地獄へ落すっ!!」
「ヤベっ!!お前目がマジ過ぎだろ!?超コエ~!!」
そう言い残してソウガの姿が消えた。私は奴がいた場所を少しの間睨みつけ、溜息を吐いた。
これから先、愛娘はどんな道を行くのやら。
楽しげな期待感に胸を躍らせながら、私は執務室を出て子どもたちの待つ場所へと歩き出した。




