第90章:あっけなく、しかも突然の『納得できぬ別れ』
茂は、63番シートにおさまると・・・駅ビルで買ってきた、あやへのショートケーキと、ささやかなプレゼントをテーブルに置いた。
『オルゴール』。
かつて、美絵子といっしょに、下校時に手をつなぎながら歌った、「松本聖子」のヒット曲を、ロマンティックな音色にした、素敵な調べ。
美絵子のように、可愛い、おしゃれな小箱。
(・・・これなら、きっと、あやちゃんも喜んでくれるだろうな。彼女、聖子の歌が好きなのか、最後まで訊けなかったけれど・・・。)
茂は、別れの日が近づくにつれ、また、あやを美絵子のなつかしい面影に重ね合わせるようになっていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「・・・あやちゃん、誕生日、おめでとう。」
「ありがとう、しげちゃん。でも・・・今日でお別れになっちゃうね。」
「うん。でも、あやちゃんが決めた道だもんね。僕は、応援するよ。さびしくなっちゃうけどね・・・。」
二人で、茂が用意したケーキをほおばりながら、しばし、無言のときが流れる。
と・・・ここで、突然、茂が話題を変えた。
「ねぇ、あやちゃん。訊きたいことがあるんだけど・・・。」
「なぁに?」
「うん。いや・・・やめとこう。」
「どうしたの? ・・・そんな深刻な顔して。何かあった?」
「いや・・・やっぱり、やめとく。」
「・・・しげちゃん。何か変ね。気になるじゃない。ちゃんと言ってよ。ねえ、何があったの・・・?」
茂は、もう後戻りできなくなる覚悟で、ここしばらく彼を悩ませ、心に重くのしかかっていた、つらく苦しい思いを吐き出して、楽になりたいと思い・・・あやに切り出した。
「あのさ、あやちゃん。前に、あやちゃんが言ってた、『いきなり指名してきた連中』って、今もあやちゃんのこと、指名してるの?」
「えっ・・・?」
「ほら、前に言ってたじゃんかよ。変な連中が、あやちゃんのこと、指名してたって!」
茂は、思わず、語気を強めて、あやに詰め寄った。
「・・・しげちゃん。何をムキになってるの? そんな、怖い顔して。おかしいよ、今夜のしげちゃん。それに、そういう人たちがもし来てたら、それが何だって言うの?」
「だから・・・今、この店内に、そいつらが来てるのかって、訊いてるんだよ! 教えてくれよ、頼むから!!」
茂はこのとき、いとしいあやが、にっくき武村の、おぞましい『モノ』に、クチをつけて、頭を上下に動かしている様を想像し、身震いすると同時に、やり場のない怒りに、我を忘れ・・・気がつくと、夢中であやを詰問していた。
するとあやは、深いため息をひとつつくと、茂に告げた。
「・・・しげちゃん。あなた・・・もしかして、あたしを誰かに『売った』の?」
「なに?」
「しげちゃんの知ってる『誰か』に、あたしを売ったのか、って訊いてるのよ。もしそうなら・・・。」
「もし、そうなら・・・なんだい?」
茂は、もう、桑川の言いふらした「うわさ」と、磐石荘での「とりかえしのつかないミス」が、こんにちのことを招いてしまった、などという、にわかには信じてもらえそうにない、ある意味「荒唐無稽な言い訳」を一から丁寧に述べる段階を、とうの昔に越えてしまったことを悟った。
「・・・悪いけど、もう帰ってくれない? 『サービス』は・・・やりません。この時間、しげちゃんが払った分のお金は、ここであたしが返すから・・・。」
あやはそう言うと、茂にお金を渡して立ち上がり、うらめしそうに彼をにらみながら、こう続けた。
「あたし・・・なんにも悪いことしてないのに。どうしてなの・・・?」
茂には、もう、そんな彼女にかけるべき言葉が見つからなかった。
ただ、うかつだった自分の言動に対する、限りない後悔の念、居心地の悪さ、混乱する頭をぐるぐる回る、とりとめのない考え・・・それら、さまざまな感情が入り混じった状態で、うつろな表情で席を立つ。
・・・あやは、この最後の日、茂と手をつながなかった。
それどころか、彼のジャンパーの右端を左手で無造作につかみ、出入り口のドアのところへ、茂ごと乱暴に引っ張っていった。
茂が無言で、誕生日プレゼントのオルゴールの入った箱を差し出すと、それを無視し、彼をキッとにらみつけると、暗い店内に消えていった。
・・・こうして、『美絵子の分身』との、約一年の甘い日々は、あっけなく終わりを告げた。




