第86章:そわそわする茂・・・武村の不穏な兆候
3月24日(水曜日)昼食時。
茂は、蛭田管理官を通じてではなく、ちょうど一週間後に「有休」をもらうべく、武村の直属の上司である、上田業務管理官に申請した。
根岸氏と森川検査部長は、この日、出張で不在だった。
彼がいつもなにかと頼りにし、武村本人に直接言いにくい報告や申請に「クッション役」として協力してくれていた蛭田検査管理官は、昼食時にはオリオン通り近くで一人で外食する人なので、このとき館内にはいなかったのだ。
茂が有休をもらいたかった「3月31日(水)」というのは、前述のように、あやの誕生日・・・すなわち、彼女が「パラダイス キャンパス」を辞する日だ。
彼はこの日、どうしても、「いの一番」で入店したかった。
というのは・・・あやは、茂にだけでなく、他の指名客にも誕生日と辞める日のことを教えていて、それも茂に告げていたからなのだ。
(あやちゃんにとって俺は、それほど「特別な客」ではなかったのかもしれないな・・・。)
この時点での茂は、まだそう感じていた。
なぜなら、自分だけでなく、他の指名客にまで、大切な自分の誕生日を教えてしまっていたからだ。
もちろん彼は、それはホステスゆえの仕方のない、「営業行為の一環」と割り切ることにした。
あやにとって、「指名数」が生活に直結していることを、この時点での茂自身も、よく理解はしていたからである。
「指名」が一つ入るたびに、ホステスに、客が店に落としていった金額分から何割かキャッシュバックされるシステムになっていたためであった。
そのため、ホステスの女性従業員たちは、競って「指名数」を稼ぎ、生活の足しにする・・・という構図なのだ。
これは、悲しいかな・・・茂のこのときの心のよりどころであった、あやも決して例外ではなかったのである。
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・・・そんな中、茂は、一日も早く、この「有休」を確実にもらおうとあせっていた。
というのも、勤務終了後にノコノコ店に向かえば、先に述べた、あやの指名客たちが競って最後の指名をしようと、ドバッと押し寄せ、「2時間待ち」どころか、深夜近くになっても、あやに会える保証はどこにもなくなり・・・最悪、待合室で阿呆のように閉店時間を迎えるハメになる可能性が高かったからだ。
事実、あやの話では、日によって運が悪いときには、あやを指名する客の数が多すぎて、いくら待っても、あやにありつけず、閉店の24時まで粘っても無駄足になり、泣く泣く翌日に希望を託す・・・このような気の毒な客もザラだったのである。
これは、この店のオーナーである、深沢氏も言っていたが・・・どこの店の「指名数ナンバーワン」の人気嬢の場合も、そんな状況だったらしい。
(最後の日に、もしあやちゃんに会えなかったら・・・)
勤務中茂は、そんな最悪の事態を想像して、たびたび身震いすることがあった。
・・・幸い、茂の場合、あやが普段からうまく「調整」してくれて、茂以外の余計な指名客たちを、平日に来るように促して、誘導してくれたので、そういう事態には、一度も遭遇しなかった。
他の指名客にも大事な誕生日を教えてしまってはいても、あやは、茂以外の客には1円たりとも次回に店に入るための金を負担しなかったし、ましてや、わざわざ店内でアイスクリームや牛丼をおごることなどもなかった。
まだまだ人間が練れていなかった茂は、あやのその自然な「優しさ」「気遣い」というものが、まるで呼吸をするように当たり前となってしまったがゆえに、あやとの別れに際してもまだ意識できていなかったのだろう・・・。
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「・・・杉山さんよ、なんで、31日に休みたいんだい? それによ、なんで直接私にじゃなくて、上田管理官に申請したんだ?? 私をないがしろにしてるのか?」
開口一番の武村の言葉だった。
「え・・・? いや、私的な理由なんです。個人的な。月末で、忙しいのは分かってますが・・・。」
「『個人的』?? いったい、何の用なんだ!? なんでまた、よりによって3月31日に休むんだよ! きちんとした理由を説明してみろ!! どうなんだ、ええっ!?」
茂の「詭弁」に、武村がムキになって噛み付いてきた。
(・・・やっぱりおかしい。この噛み付き方は、異常だよ。この野郎、あやちゃんに・・・)




