第75章:『1993年度ミスター&ミズ東日本ボディビル選手権大会』
8月。
蒸し暑い空気の中、茂はU市の県庁前にある、「T会館小ホール」の中にいた。
この日、地下にある、このホール内で、ひとつのイベントが開催された。
『1993年度ミスター&ミズ東日本ボディビル選手権大会』である。
この大会は、茂のいるT県のボディビルダーが出場する「ミスター&ミズ TOCHIGI選手権大会」と、もっと規模の大きいブロック大会である、「ミスター&ミズ 東日本」の大会が、同じ会場で同時開催されるものだった。
出場者は全員、賞金を稼がない、いわゆる「アマチュア・ボディビルダー」である。
ただし、この試合の観戦者には、入場料が課せられる。
ステージ前の「VIP席」は、6000円、その後ろの「A席」は5000円、「B席」は、4000円・・・だいたい、このくらいの値段であった。
茂自身も、この「ボディビルディング」というスポーツに、最愛の恋人「峯岸美絵子」からの『最後の愛のメッセージ』を受け取った翌日から取り組み、週3日、約一日置きに上半身のトレーニングをこなし、たまに足のトレーニングを入れる・・・このようなメニューを自らに課していた。
もともと茂は、遺伝的に太りやすい体質だったのだが、減量の一環として始めた「補強運動」にすぎなかった、このスポーツを開始してから、急激に骨格が頑健になり、筋肉も面白いように発達して大きくなったので、この「ボディビルディング」に「どハマリ」したのだ。
さらに、知識欲も旺盛だった彼は、ボディビルに関する雑誌、ビデオを買いあさり・・・今日この日、初めて、生の「ボディビル競技」を観戦するに至った、という流れだった。
まだ大会が始まる前の早い時間から彼は会場に足を運び、そこで、まだ「私服」の出場者の群れに遭遇する。
「あっ! 須賀さんだ! 谷野さんもいる!! 全日本に出ている朝生さんも小沼さんもいるし・・・あそこで談笑しているのは、廣田さんご夫妻じゃないか・・・!」
茂は、ボディビル雑誌で普段から目にしている有名選手を目の前にして、興奮を隠せない、といった様子で、それら選手の表情や動きを、うっとりとして目で追った。
大会が始まると、館内は、ボディビル大会特有の異様な熱気に包まれる。
「3番、でかい! でかすぎ!!」
「12番・・・キレてる!」
「谷野さーーん! 優勝間違いなし!!」
「内田さん・・・美人過ぎるよお!! 結婚してくれッ!!」
茂は、生のビルダーたちの熱い闘いを目の当たりにして、我を忘れて観戦した。
やがて彼は、「ミズTOCHIGI」の地方大会の部門の枠に、見覚えのある女子選手の姿を認めた。
「あれぇ・・・あの人、どこかで見たことがあるぞ??」
よくよく見てみれば、茂と同じ職場の三階フロアにいる、別室の業務二課の「磯川ゆかり」ではないか!
この年の「ミズTOCHIGI」では、磯川氏を含め、女子の出場選手は、たったの2名だった。
彼女は、女性選手としては、よく筋肉が発達した、プロポーションも申し分の無い、素質のある選手だったが・・・残念ながら、今大会では減量に失敗した模様で、最後の「ひと絞り」に泣き、惜しくも、もう一人の選手に、優勝トロフィーを持っていかれることとなった。
「焼き込み」も甘かったので、かなり肌が白く映ってしまい・・・それも「減点」の対象になったようだ。
大会は滞りなく順調に進み・・・やがて、この大会の目玉である「ゲストポーザー」が、満を持して観客の前に姿を現した。
新進気鋭のアメリカのボディビルダー、「クリス・カミアー選手」。
このとき、彼はまだアマチュアであったが・・・前年の「ミスターUSA」で好成績を残し、今後の「プロボディビルダー」の有力候補として、活躍を期待される大型新人だった。
彼の迫力ある「ゲストポーズ」のあと、各クラスの表彰式が順番に執り行われ、大会は無事閉幕した。
(・・・よし! 俺もいずれは、この会場に、『コンテストビルダー』として戻ってくるぞ!!)
そう決意を固めた茂が、まだ興奮冷めやらぬ様子で会場から出ようとした、ちょうどそのとき・・・通路で、見覚えのある数人の女性とバッタリ出くわした。
「杉山さん・・・どうして、この会場に??」
まっさきに声をかけてきたのは、茂と同室で勤務する、あの漆原めぐみだった。
「あら、本当に杉山さんね。 ・・・あっ、そうか。あなたもたしか、ボディビルやってたもんね。」
大会を終えて、2位のトロフィーと花束を手にした磯川氏も、少々驚いた様子で、そう言う。
他には、2階の「庶務課」の「宗像さん」、同じく庶務課の「平野さん」も、「なぜあなたが、ここに??」といった不思議そうな表情で、茂を見つめている。
普段は、桑川の垂れ流した、例の「風俗通い情報」のせいで、めっきり茂を相手にしなくなり、避けていた彼女たちであったのだが・・・自分たちの応援する「磯川氏」が出ている大会でバッタリ会った「親近感」「意外感」からなのか、かつての「嫌悪感」「違和感」という印象を、茂からすっかり取っ払ってしまった・・・そのような明るい感じなのであった。
「・・・磯川さん。お疲れ様でした。本当に綺麗で、素晴らしい仕上がりでした。僕・・・感動しました!!」
茂がそう告げると、磯川氏は、にっこり微笑んだあと、少し不安そうに、こう返す。
「ありがとう、杉山さん。でも・・・このことは、くれぐれも職場の人たちには言わないでくださいね。お願いだから・・・。」
「はい。もちろん、言いませんよ。信用してください。」
すると磯川氏の表情が、心なしかゆるみ・・・丁寧におじぎをすると、めぐみたちと会場をあとにした。
(・・・僕を、桑川といっしょにしないでくれ。口が裂けても、誰にも漏らすもんか・・・!)




