↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

75/246

第74章:ナンクセ男、武村

 7月に入った、ある日のこと。


 この日も、直属の上司の武村から、タバコいぶしやら、仕事上の嫌味やらの悪徳の数々を受けた茂は、もう、うんざりして、この職場を今日、いますぐにでも辞したい気持ちになっていた。


 昼間の、武村の「部下いびり」は、茂の想像を超えていた。


 よく、「箸(はし)のアゲサゲまで・・・」という言い回しがあるが、ちょうどそんな感じであったのだ。


 この日の朝、茂が心を込めて淹(い)れた緑茶に、夕方になって武村が、ナンクセをつけてきた。


 「杉山さん! 今朝の『お茶汲(ちゃく)み』、何だ!?」


 「はい・・・?」


 「『はい?』じゃないよ。あの『お茶汲み』、あれは何だって訊いてるんだよ!!」


 「ですから・・・何が、ですか??」


 「じゃ、おせーてやっから。急須(きゅうす)にお茶入れて、もっぺんやってみろ!」


 「・・・はぁ。」


 茂がシブシブ、自分の湯飲みに茶を注(そそ)ぐと、武村は、乱暴に彼のうしろに回り、『はがいじめ』の格好で茂の両手首をつかみ、手を無理やり『交差』させた。


 「持ち方がおかしいんだよ! 持ち方が!!」


 (いってえ! オイ、武村! そんなに強く握るんじゃねえ! くーっ、それに、酒クセェッ!!)


 武村は、茂が「お茶汲み」を強要されている間、ずっと酒臭い息を吹きかけていたのだ。


 もともとの、「悪臭」ともいえる口臭に、タバコのヤニのニオイと、夕べしこたま飲んだものと思われる酒のニオイが混じり合って、もはや「公害レベル」としか思えないような強烈な『拷問』であった。


 (なんで右利きの俺が、左手で『取っ手』を持って、フタを右手で押さえるんだ?? フツー、逆だろ。それに、片手で淹れるやり方だって、正式にあるんだぜ・・・。おかしいよ、コイツ。)


 茂は正しかった。


 普通、両手で急須を扱う場合、湯飲みなどに茶を注ぐ場合、右利きの人なら、右手で取っ手を握り、左手でフタを押さえるのが、正しい作法なのだ。


 片手なら、「人差し指と中指で挟むスタイル」となる。 


 ・・・それが、人間の体の構造にも合致した、理にかなったやり方でもあるのだ。


 実際にやってみれば、武村の主張する「作法」とやらが、いかにいいかげんで、おかしな動きを強いられるシロモノかは、体感できる。


 気になる読者の方は、『お茶のある暮らし/茶屋すずわ 渥美慶祐』というブログの中の、『急須の取手(柄)の持ち方』という記事を参照されたい。


 この事例は、全体のうちの、ごくごく一部である。


 仕事でも、出張でも、武村は、このように生活全般に至るまで、事細(ことこま)かく口を挟(はさ)み、理不尽なほど「おかしな注文」「ナンクセ」をつけてきた。


 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


 この日の勤務が終わり、茂が事務所の玄関を出てしばらくのこと。


 うしろから声をかけてきた人物がいる。


 「杉山君、待ってくれ。たまには僕と帰らないか・・・?」


 「根岸さん・・・。」


 二人は、茂が食糧事務所に入所して以来、はじめていっしょに駅に向かって歩いた。


 「・・・杉山君。疲れてるようだね。つらいかい?」


 「いえ、疲れてるのは、ここに入所して以来、毎日のことですから。もう、いいかげん慣れましたよ。」


 「強がりを言うなよ。しんどいのは分かってる。僕たちは、あの『磐石荘』で、ともに、『関谷一味(せきやいちみ)』にひどい目に遭わされた仲じゃないか。そうだろ・・・?」


 「ええ。自分も、根岸さんのことは信じてますし、尊敬しています。でも・・・ここのところ、極端に『人間不信』に陥ってしまって・・・。もう、誰を信用していいのか、分からないんですよ。」


 「・・・杉山君。ずいぶん、さびしいこと言うじゃないか。僕は・・・そんなに信用できない人間かい??」


 「そうは言ってませんよ。でもですね、根岸さん・・・」


 「あの『うわさ』だろ?」


 「はい・・・?」


 「杉山君を苦しめているのは、連中がまき散らしている、君についての『悪いうわさ』なんだろ・・・? それにともなう、連中の態度、ふるまい。」


 「・・・・・・。」


 「僕も、それは聞いたよ。君が、風俗店に入り浸っている、という『うわさ』だよね。あの桑川が垂れ流しまわっている・・・。」


 「桑川、がですか・・・?」


 「そうだよ。彼以外にいないじゃないか。どうやら君は、桑川に、そうとう恨みを買っているようだね。 ・・・いや、『ねたみ』の方が正確かな。」


 ここで根岸氏は、肩でひとつ大きく息をすると、話を続けた。


 「僕が小耳(こみみ)に挟(はさ)んだところではね、特に女性職員に、あることないこと、言いたい放題らしいんだ。本当に、好き勝手、言いふらしているらしい。 ・・・用心しろよ。」


 (・・・そうだったのか。この一連の騒動の元凶(げんきょう)は、やはりあの男だったのか。そして、もちろん、その情報をあいつに吹き込んだのは・・・。)


 それは茂も、うすうす気づいてはいた。


 ・・・しかし、客観的な第三者である根岸氏の口から直接『真相』を聞き、「正式に」そこまで状況を悟るに及ぶと、今さながら背筋がゾッとするような戦慄をおぼえたのである。


 いくら自分が、なりゆきから風俗店に通うようになったとはいえ、あれほど忌み嫌っていた桑川と簡単に「打ち解け」、ごったがえす車内の衆目の中、堂々と抱き合い、挙句の果てには、熱いキスまでおやりになる・・・「彼女」のその「神経」に、あきれるとともに、ヒヤリとする寒気を感じたのだった。


 (・・・人は、そんなにコロコロ自分の信念を変えられるものなのか? 昨日、蛇蝎(だかつ)のように嫌っていた異性に、そうもやすやすと心とカラダを許せてしまうものなのだろうか・・・? あの誠実で最後まで俺に優しかった、美絵子ちゃんや理沙ちゃん、それに里香ちゃんたちとは、まるで正反対のひどい女だ。・・・わからない。俺には、さっぱり理解できないよ。武村が、いまだに俺を『さんづけ』なのも、なんだか薄気味悪いしな・・・。)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。