第68章:この半・私小説『たからものⅡ』の構造や造りについて (※)挿入チャプターのような章となります
茂は、若き日には、かなり「モテた」。
桑川だけでなく、他の食糧事務所の男性職員がうらやむほど、モテたのである。
のみならず、美絵子や理沙、里香と過ごしていた時分・・・つまり、少年時代や青年時代にも、かなり女性には縁があった。
今は、女性の誰もが見向きもしない、ただの「くたびれた警備員の五十オヤジ」ではあるが・・・。
しかし彼は、けっして「驕る」ことはなかった。
いつでも女性に対し、限りない敬意を払い、愛を注いできた。
ついでに記せば、彼は、いわゆる「面食い」ではなかった。
どんなタイプの女性であれ、敬意と慈しみの心を忘れなかったし、大切にしてきた。
彼はまた、女性をルックスや体型などの「外見」だけで判断するような、ちっぽけで、さもしい了見の男ではなかった。
「峯岸美絵子」「田中理沙」「遠山里香」「中岡葉子」の4人は、いずれも、たまたま美人だった・・・それだけのことである。
女性というものに対する「崇拝の念」すら持っていたのである。
もちろん、いま、このときも。
残念ながら彼の中には・・・「峯岸美絵子」という、神にも等しい存在が、ゆるぎないものとして息づいていたがために、その女性たちの「愛」を、受け止めることは一切できなかった。
この「第68章」ですでに『結論』を書いてしまうが・・・それは、この物語においても同じことである。
結局のところ、茂は、「一般的な男女の幸福の形」「あたたかい家庭」「自分の命よりも大切な子供」といった、いわば普遍的ともいえる『たからもの』を得ることはできなかった。
この物語では、あえて「倒叙」という手法を用いている。
あの「刑事コロンボ」や、「ミステリー小説」などでよく採用されるやり方であるが・・・つまり、「最初から犯人が分かっている」といったところか。
要するに、「結論ありき」の物語であり、そこが前作と違う、決定的な特徴でもある。
前作『たからもの』では、「結論」「結果」というものは、読者にはいっさい示されなかった。
・・・最後の最後まで、物語の「コンセプト」というものは不透明だったのである。
野暮な話・・・茂は、とうとう、「生涯のパートナー」というものを得ることはできなかったし、令和に入った今現在も、もう、新しい恋人を求める気力もない。
それは、この作中にすでに登場しいる「あや」こと、「中岡葉子氏」についても、まったく同様である。
茂は、彼女とは、ついに「添い遂げる」ことができなかった。
この物語は、彼女と茂の「恋の物語」という形式をとってはいるものの・・・その恋の「結末」を追っているのではない。
実は、その結末に至る「流れ」「いきさつ」という部分に焦点を当てたエピソードなのである。
そのあたりのことを踏まえながら、次の章からの物語の続きを、ゆっくりとお楽しみいただきたい・・・このように思う次第である。




