第54章:あやとの『逢瀬』・・・手の届かぬ幻影
「・・・杉山君、時間だよ。」
そう言って、待合室に顔をのぞかせたのは、この店の社長の「深沢氏」だった。
客引きのピンクハッピに扮した彼は、もはや茂を「社長」などという、どこかおどけた没個性的な呼び名で扱ったりはしなかった。
いっぱしの「友人」として、認めてくれたのだ。
「では、深沢さん・・・あやちゃんに会ってきます!」
彼もまた、深沢氏に対し、単なる店のスタッフ、責任者としてではなく、ひとりの「オトコ」として、敬意を払い、親しみを込めて、彼の名をそう呼ぶ。
そして「彼女」への呼び名も、すでに「あやさん」から「あやちゃん」に移行してもいた。
茂が狭い石段をのぼり、入り口のドアを一歩入ると、この日の「オープニング」を告げる、国内の人気アーティスト「Bee'Z」の「BAD BAD COMMUNICATION」の、リズミカルでキレのあるサウンドが、待ちわびた入場客を刺激的に出迎える。
そして、フロアに鳴り響く、ボーカルの「♪ WOW WOW WOW WOW BAD COMMUNICATIONッ!!」のハードボイスとともに、奥に向かって一列に並ぶホステスたちの客を迎える拍手が、いやがおうにも、場の雰囲気を盛り上げる。
ここは、外の夜景とは、切り離された別世界。
今宵、この闇の空間でまた、男と女の、妖しくも美しい、そして、切なく狂おしい、いっときの「逢瀬」が展開されるのだ。
訪れる客はまた、あるいは、意中のホステスとの「かりそめの愛」を、あるいは、前回とまったく違う種類の「愛」を別のホステスに求めて・・・夜ごと週ごと通い、自らのなぐさみ・・・また、人生の「いっときの心の糧」としていた。
茂もまた、自分の心に、けっして埋めることの出来ない、ぽっかりと空いた「穴」を埋めようと・・・あるいは、自分が失くし、欠落した「なにか」をあやに求めて、週ごとに、あるいは連日連夜、それら、失ったものを探す旅に没頭した。
彼が失ったものとは・・・もう、言うまでもない。
自身がいつくしみ、命を賭けて愛した、「峯岸美絵子」という、いまは遠く・・・追いかけても追いかけても、決して手の届くことのない、はるかなる幻影・・・彼をいまも限りなく支配する、海よりも深く・・・そして、女神のように慈悲深い、想い出のその人であった。




