第229章:帰郷への長い道のり(2)
真っ暗な『甲州街道』を東へ進む茂。
大月駅を出た彼は、ときおり車のヘッドライトが自分の背後に迫るのを感じながら、また、カーブで対向車にまともにライト光を、目に顔に、体全体に浴びせられながら、無言で街道をゆく。
(・・・また俺は、『おかしな場所』へ向かっていくのか・・・。)
『猿橋駅』を過ぎ、やがて国道は、線路をまたぐ立体交差となってクロスし、道路と線路の南北の位置関係が南北さかさまになった。
大月駅は、国道の北側にあったが・・・猿橋駅以降は、駅の位置が、国道の南側に位置する構図となるのだ。
この「猿橋」というところは・・・このサファイアの涙が調べてみたところ、茂が当時ここを徒歩で通過した時分には、まったく知らなかったものの、非常に有名な観光スポットがあるらしい。
またまた物語とは関係のない「脱線」ではあるのだが、せっかくの機会なので、それをさりげなく(?)皆様に紹介して、この章を閉じたいと思う。
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【日本三奇橋 猿橋】
桂川の深く美しい渓谷に架かる猿橋は、珍しい構造から「岩国の錦帯橋」、「木曽の桟」とともに日本三奇橋と呼ばれています。
四季折々(しきおりおり)に変化する美しい渓谷に架かる奇橋の景観は、甲州街道きっての名勝とうたわれ、多くの文人・墨客が訪れました。中でも歌川(安藤)広重は猿橋の美しさに非常に感動し、『甲陽猿橋之図』を世に残しました。
(※)「墨客」は、書画や詩文などの風雅な芸術を愛好し、たしなむ人を指す言葉です。
「墨」は書画を意味し、「客」は「かく」と読んで「ある分野に長じた人物」を表します。つまり「書画に優れた人」という意味になるのです。単独で使われることは少なく、「文人墨客」や「騒人墨客」といった四字熟語として用いられることが一般的です。例えば、島崎藤村や与謝野夫妻のような文学者や芸術家を「文人墨客」と呼び、彼らが集まるサロンや愛した場所について表現する際に使われます。
猿橋の珍しい構造
長さ30.9m、幅3.3m、水面までの高さ31mの猿橋は、橋脚をまったく使わず、鋭くそびえ立つ両岸から張り出した四層のはね木によって支えられています。
猿橋の珍しい構造の起源は定かではありませんが、推古天皇の時代(西暦600年頃)、百済からやってきた造園博士の志羅呼が深い渓谷に何度も阻まれてきた橋の建設を引き受けましたが、いろいろな方法を試みてもうまくいかずあきらめかけていたところ、たくさんの猿がつながりあって対岸へと渡っていく姿から発想を得て作られたという伝説が残っています。
現在の猿橋は昭和59年に、嘉永4(1851)年の資料を基に忠実に復元された橋です。明治以降になると、猿橋を挟んで次々に新しい橋が架かり、険しくも美しい渓谷とともに歴史ある橋を一挙に眺めることができます。




