第11章
・・・その後ぼくは、宇都宮市清原にある『栃木県農業大学校』に入学した。
国立大学を全部落ちたぼくは、父の昔の母校に通うことになった。
・・・そう。
実は父も、ぼく同様、大学受験に失敗し、この大学校へ通っていたのだった。
ただし、父の時代には、ここは『農業短期大学校』という名称で、いまのような四年制ではなく、二年制となっていた。
もっとも、今も学生のほとんどは、JA(= 昔の「農協」)や、各種農業団体、自宅への『就農』といった感じで、ほとんどが二年でこの学校を卒業し、巣立ってゆく。
では・・・
以下、この農業大学校の記憶から、ぼくの人生の「あゆみ方」というものを紹介していきたい。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・1989年4月。
桜ふぶき舞う、あたたかい春の日差しのもと、ひとりの体格のいい学生が、宇都宮市清原にある、農業の専門学校に入学してきた。
・・・『栃木県農業大学校』。
前述の「体格のいい学生」とは、かくいうぼく自身だ。
この学校には、さまざまな思い出がある。
嫌な思い出も多いが・・・終わってみれば、すごく楽しい思い出ばかりだったような気もする。
・・・『青春』。
きっとそれは・・・『すこし遅れてやってきた青春』っていうところだったんだろうな。
ぼくの高校時代は、あまり言いたくはないのだが、『灰色の青春』というべきものだった。
勉強を高校2年のときに投げ出し、完全に放棄・拒否したぼくにとっては・・・いい思い出なんて、ひとつも残っちゃいない。
女子には、「くさいくさい」と忌み嫌われていたしね。
毎年あった、『合唱コンクール』も、嫌で嫌でたまらなかった。
ものすごく汗かきなぼくは、そうやって大勢の生徒の前で歌うのが苦痛で苦痛でたまらなかった。
1小節歌うたんびに、汗をハンカチでぬぐう行為の一部始終を「観察」されているようでね・・・。
もちろん、そんな「汗かきデブ」のぼくのことなんか、誰もロクに見てやしないし、いちいち気にしてやしないさ。
でも、思春期のナイーブで傷つきやすい、もろいハートのぼくは・・・人前で汗をかくのが、恥ずかしくってたまらなかった。
見た目の体格で「ずぶといやつ」と判断されがちだったけど・・・実はそうじゃない。
・・・ものすごく傷ついていたんだよ。




