第12章
ぼくは、いわゆる『箱入り息子』だった。
特に、父から「しげおしげお」と溺愛され、大切に育てられた。
いまも、そんな父のあたたかく、優しい笑顔・・・そして、愛情あふれる言葉のひとつひとつが忘れられない。
ぼくの母校である矢板東高校は、いわゆる『自称進学校』だった。
・・・たしかに、毎年、国立大学や有名私立大学の合格者を多く輩出してはいるものの・・・
令和のいまもそうだが、まだまだ教育体制には不備が多く・・・2009年に京都大学への合格者を2名生んではいるものの、中高一貫制となったいまこの段階でも、いまだに東大合格者はゼロ・・・ひとりも出ていない。
旧態依然とした、十把一絡げの、無理やり全員に強制参加させる、「課外授業」「補習授業」・・・いわゆる「補講」にも問題がある。
ちょっと脱線してしまったが・・・それでも、この学校にも、ひとつだけいいところがあった。
・・・「生徒が基本的にまじめである。」
これは、いまも変わりない。
ぼくが一時期、無謀にも東京大学・・・それも、理系の『理科Ⅲ類』(= 医学部)を受験すべく、矢板市の図書館で悪戦苦闘し、数学の「二次関数」あたりでもう悲鳴をあげていたとき・・・
わが後輩の女子生徒たちが、こぞって土日の貴重な時間を削って、図書館で机を並べて勉強していた。
なぜ彼女らが、自分の後輩だって分かったのかって・・・?
決まってるじゃないですか。
彼女たちが、部活もなく、学校に立ち寄ることもないのに、休日にも関わらず、朝の朝から、わざわざ「制服で」図書館に来ていたから。
ほかの高校の女子生徒も数多くいたが・・・だれも彼女たちのように、休日にわざわざ「正装」してくる子なんかいなかったよ。
・・・みんな私服だったもの。
(いくら周りの高校よりも偏差値が高いからって、わざわざ、これみよがしに休日なのに制服を着てくる必要がどこにある!? 見栄っ張りの『自称進学校』のくせによ。そんなに「あたくしわぁ、矢板東高等学校の女子高生でござ~い♪」ってアピールしてぇのかよ・・・あぁ、ケッタクソわりィ・・・。)
それからのぼくは、このあと、自分の限界点を知るまで、自宅で受験勉強をすることにした。
ぼくが東大を受験したいと思ったのは、2011年の10月・・・あの『東日本大震災』があった年だ。
わが母校の矢板東高校が、卒業生OBも含めて、ただの1人も東大合格者を出せないでいる現状を嘆き・・・
「そんじゃ、この俺が合格者の、栄えある『第一号』になってやろうじゃないの。見てろよ、後輩ども・・・教師たち・・。。」
・・・いやいや、脱線しちゃって申し訳ない。
m(_ _)m
このあと述べる、新しい母校・・・すなわち農業大学校の男子学生と女子学生というものが、いままでぼくが出会ってきた生徒・・・堅苦しくてまじめな生徒とはいかに一線を画し、まるっきり、その「性質」「性格」「属性」が別物であるのかを、事前知識として皆様にあらかじめ知っておいて頂きたい一心で、余計な情報と思いつつも、わざわざこうして紹介させてもらった次第なのである。




