21話「閃光の瞬き」
リンが顔を上げた先にいたのは噴水の様に血を吹き出すエルの胴体と、牛のような耳と角を持った女だった。
「お前のような矮小な存在が勇者を名乗っているなど、なんと嘆かわしいことか」
「……は、? えぁ?」
剣を持つ右手が震える。
何が起こっているのか理解できず、リンはただ目の前の女を見つめることしかできなかった。
深い星空のような色の髪を棚引かせ、エルの頭を持っている右手のみを血に染めて、リンを塵を見るような目で見据えるその女。
ただ、リンが今理解できるのはこの女が敵であるということだけだった。
「ッ、うぉああっ「遅い」がっ?!」
リンは震える手で剣を振り上げた。
しかし、目の前の女はリンが剣を振り下ろすよりも早く、リンを後方数m先まで蹴り飛ばしていた。
そのままトゥーラが破壊し尽くした村の家々の建材などに身体を叩きつけられ、リンの身体は地面に着地した。
「ゴホッ、ゲホッ、ッくそ!」
リンは起き上がろうとするが、勢いよく背中を強打した影響か息すらままならない。
しかし、そうやって動けなくなったことで現状を見ることが出来た。
地面に倒れ伏したまま顔を上げたリンの視界に映るのは、リンと同じ様に倒れ伏した仲間達。
チカは原型が分からぬほどに顔面を血で覆い、地の上でのたうち回っている。
シータは胴体から両腕が切り離され、何が起こったのか理解できないという顔で自身の腕があるはずの場所を見つめていた。
アラーニェは何やら轟々と燃えている塊の前で目元を抑えながら這いずり、火を消そうと必死だった。
娘、そうだあの子はどこだ?
少し思考を巡らせ、リンはすぐに気づいた。
あの燃えている塊が娘なのだと。
動かなければ。助けなければ。だというのに全く身体が動かない。動いてくれない。
ガラン、ガラン、と音が響く。女の耳に垂れ下がるカウベルから、天使が授けたと言われる鈴と同じ音がする。
「ふん、この程度で動けなくなるとは思わなんだ。本当にこんな奴にヒヨドルもトゥーラも負けてしまったのか…...。まぁ、この程度の存在に負けるのであればあいつらもその程度だった、ということだな」
「おま、お前はっ、なんなんだっ!」
倒れたままのリンの前へ歩み寄ってきた女に、リンは思わず怒鳴るように問いかけた。
「喚くな。ああ、本当に嘆かわしいことだな」
「アぎっィ?!」
動けぬリンの腹部に熱い衝撃が走った。
視線を下げた先にあったのはズルリと溢れ出す血と臓物。
感じるのは焼けるような痛みと襲いかかる悪寒。
裂けた周辺が痒いように痛く、しかし内蔵が溢れ出すのを止めようと手で抑えることで精一杯で、リンの思考は痛苦に支配され始めた。
思わず視線を上げた先には、手を血で染めた女の姿。
手袋で隠されたその手からリンのものであろう血が滴り落ちていた。
痛い。痒い。寒い。息がうまく吸えない。
リンはこんな痛みを感じたのは人生で初めてであった。
そしていつもはどんな傷もエルが治してくれていたのだ。
しかし、そのエルも明らかに死んでいる。
先程まで女が持っていたエルの頭は、いつのまにか地面に転がされ、虚ろな瞳がリンを見つめている。
死の気配が濃密にリンの口元を塞いでいった。
「質問に答えてやろう。私はソーレ。魔王猊下直属の部下であり、お前達が今まで戦ってきたヒヨドル、トゥーラ両名が所属している至厄舟の元締めだ」
「ごポッ、ゴぇっ、、はっぐ、ギぃ、」
口から血の塊を吐き出しながらソーレを睨みつけるリン。
睨みつけることしかできないとも言うが、それでも、剣を握る右手だけは緩めなかった。
しかし、これほどまでの傷を与えられてもなお睨みつけてくるリンに対し、ソーレは面倒くさそうに息を吐き、リンの裂けた腹部に足をねじ込んだ。
「愚かだな。狭い世界しか見ることのできないゴミめ。いや、違うな。狭い世界しか見る気がないのか。外を知らぬお前のような愚鈍な存在が、勇者など憐れとすら言えよう」
「ソーレさまー! トゥーラさまのい体はー、回しゅうしてもよろしいですかー? いやー、はじめから見てましたけどー、すごーいたたかいでしたー!」
そんな声が不意に響いた。
くすくすと楽しそうな子どもの声に、リンは一瞬助けなければと臓物を踏みつけられたまま顔を上げた。
ぼやけた視界が捉えたのは、トゥーラの死体の近くにしゃがみ込み、こちらを見ている幼子。
しかし、すぐに何かがおかしいことに気づく。
ソーレ様?
今、女の奥にいるあの子どもは、この女のことをソーレ様と呼んだか?
その事に気づいた瞬間、リンの顔から血の気が引いた。
ただでさえ悪寒が酷いというのに、頭の奥までツンとするような冷えが襲いかかる。
ああ、ああ!
最初から、初めから、アイツは一人じゃなかった。
気づかなかった。気づけなかった。
他にも仲間がいただなんて、全く、今の今まで一切!
「ああ、トゥーラが常々言っていた通りに持ち帰り、故郷に埋葬しよう。あと、この女の頭も持って帰ってくれ」
リンから視線を外し、ソーレはリンの腹から足を引き抜いた。
あまりに腹が痛み続けたため、リンはもはや引き抜かれても痛みを感じない。
だからこそ、ほんの少し剣を握る右手に更に力を込めた。
地面に捨て置かれていたエルの頭を、ソーレはボールでも転がすかのように、子どもの方へとつま先で弾く。
頭はごろごろと転がり、子どもの足にぶつかり、そして静止した。
「うへー、さい悪ですー。気持ち悪いですー。これ持って帰るんですかー?」
足に当たったそれに対し、まるで汚いものに触ったかのように舌を出しながら、子どもは大げさに飛び退いた。
「アリイムが持って帰ってこいと言っていたからな。文句ならあいつに言え」
「あらー、アリイム様からの命令ならー、しかたないですねー」
そう言いながらトゥーラの死体を引きずりつつ、子どもはエルの頭を蹴り遊んだ。
ゴロゴロ、ころころと土埃を上げながらエルの頭が転がっていく。
「ァ、あっ、このっ、クソッ! ッ、ぐィ!」
動け。動け動け。
あんな素晴らしい人が、あんな風に尊厳のないような扱いをされていいものか。
あんなに優しかったあの人が、あんな塵を見るような目で見られていいものか。
死んでもいい。もう、これから先どうなってもいいから、今だけは動け。
そんな憎悪が、リンの身体に最後の力を振り絞らせた。
踵を返し、子どもの方へと歩き出したソーレ。
「ッッッア”ア”ア”ァ”!」
リンの雄叫びに振り返ったソーレの目の前には、リンが剣を振り下ろす瞬間が映っていた。
「ソーレ様ー?!」
「ッッッ!……ふん。意気込みだけの馬鹿では、なかったようだな……」
「ア”、ぁ、ぅぁ、」
剣を振り下ろしたリンは、力尽きたかのように地面に伏せていた。
そしてリンが転がる地面には、ソーレの右腕と右側の角が転がり落ちており、ソーレの右半身はソーレ自身の血で染まっていた。
勝てなかった。殺せなかった。
それでも、一矢報いることはできた。
憎悪と後悔の中でリンは、ほんの少しの安堵を得た。
しかし、その安堵はすぐに絶望へと変わる。
「ああ、残念だな。腕と角を落とし安心したな?圧倒的な強者へ傷をつけることができたと。事実だ。事実だとも。称賛してやろう、絶賛してやろう。だがな……」
リンはもはや顔を上げることすらできず、ただ死を待つ血袋であった。
その様子にソーレは肩を落としたが、それでも歪に口角を上げた。
「優しく照らす星の光。永遠に見守るその慈愛を忘れずにあれ。そして今一度世界の時を戻してみせよ」
そんな詠唱が、死に飲み込まれんとしていたリンの耳に聞こえてきた。
リンは最後、目だけでソーレの姿を追った。
光を撒き散らしながら、切り落としたはずの右腕から新たな血肉を作り出しているソーレの姿を。
◇◆◇
それはリンとエルが出会ってすぐの頃だった。
いつも通り戦いに慣れるためと、エルに連れられ魔物退治に出かけていたリン。
そうして向かった森では、リンのお目当てとはまた違う魔物と戦っている一行がいた。
馬車から飛び降りたリンの目に入ったのは、足を失い倒れている前衛であろう男と、その男を抱えながら必死に逃げる人達だった。
すぐにその魔物を斬り伏せ、エルが前衛の男を治療していくのを眺めていたが、ふとリンは疑問を抱いた。
「聖女様ほどの方でも、欠損した部位を治すことはできないのですか?」
前衛の男の傷口に《星の奇跡》の力を使っているエルは、リンの言葉に眉を寄せ、そして目を伏せた。
「ええ、私でも新しく肉体を生やすことはできないのです。その……部位を治すというのは新しく作り出す、ということなのです。もしくは時間の回帰。この二つをできるのはもっと高位の、それこそ神や《星の——、いえ、神だけなのです」
「そうなんですね。すみません、素人が変に口出ししてしまって……」
「いえいえ。《星の奇跡》のことを詳しく知っているのは教会関係者だけですから、あまり気になさらないで下さい」
そう言いながらエルはいつものように眉を下げ、ふわりとリンに微笑んでみせた。
しかし、例え失った部位を生やすことができずとも、傷口の血を止め治癒を促すことができる《星の奇跡》の力は偉大なのだ。
◇◆◇
だからこそ、欠損したはずの右腕を生み出していくソーレのその力は、異常としか言いようがなかった。
「本当に、お前は可哀想だな。月の勇者などと祀り上げられなければ、こんな所で死ぬこともなかっただろうにな」
話すこともできなくなったリンの視界に最後映ったのは、トゥーラの死体を抱えて行くソーレの姿と、エルの頭を引きずっていく子どもの姿であった。




