10話「酔いどれの愛の言葉」
「私と家族になりませんか」
エルにそう言われたリンの返答は——。
「さ、三ヶ月くらい待ってくださいぃぃいいいい!」
であった。
そう叫び、シータの家へと走り出す。
裸足になっていたのも忘れて駆け出したリンを、忘れられた靴を抱えてエルは追いかけた。
ぺたぺたと素足のままに、夜の村をリンは駆け抜けていた。
それなりに発展している村は、規模の小さな街とも言えそうな程であり、こんな時間でも居酒屋などが明かりを灯したままでいる。
砂などでざらつく足を引きずり、「そういえば靴を置いてきてしまった...…」と思い出した頃には、シータの家を通り過ぎてしまっていた。
「さすがに...…戻るか」
海辺の肌寒さに震えながら、もと来た道を帰ろうとリンは振り返る。
「待ちな、坊主」
しかし、それを阻むかのような声が丁度リンの真横に位置している店からかけられた。
誰だ?と疑問に思ったリンが振り返った先にいたのは、村に入ってすぐにシータに声をかけていた漁師の男。
その漁師に手招きされるがままに近づいてみる。
「俺に何か御用ですか?」
「御用ですかって。こんな夜中に薄着で、しかも裸足たあよ。お前さんさすがにさみぃだろ?寄ってけよ」
「え?ってわぁ!」
肩をガッチリと組まれ、無理やり目の前の店の中へと連れ込まれる。
そしてそのまま、リンは椅子に座らされた。
ほとんど深夜と言ってもいい時間帯だが、それでも店の中はむさ苦しい男達で賑わっており、肌寒さを感じていたリンに少しの温もりを与えてくれる。
いや、むさ苦しい男達から与えられる温もりという言葉は、響きからしてあまり良いものではないかもしれない。
リンは剣だけを携えて海に行っていた為、手元には金もないのにどうしようと思っていると、リンの目の前に注文してもないというのにマグが差し出された。
ゆらゆらと湯気を立てているマグの中にあるのは恐らくホットワインで、成人しているとは言えども普段酒を飲まないリンは困惑してしまう。
「あの。俺、今手持ちがなくて」
「あ?シー坊の友達なんだから奢りに決まってんだろ。ほら飲め飲め」
「そうだそうだ。体あっためねぇと死ぬぞ~」
「え、えぇ...…?」
進められるがままに、両手でしっかりマグを掴んでちびちびと飲んでみる。
別にアルコールの味が苦手だとか、あの喉を焼く感覚が嫌いだとかではないのだが、ただ酒を飲むことにそこまで魅力を感じなかった為に、リンは今までの人生で酒を飲むことは少なかった。
それが故に、自分のキャパシティを知らないのでちびちびと飲んでいたのだが、それが癪に障ったらしい。
「おい坊主。おめぇさんもっと勢いよく飲めんだろ?ほら、こうグイッと!」
漁師の男がお手本の様に酒を一気に飲み干す。
ごきゅ、ごきゅ、と喉を鳴らして飲み干していく男。
飲み干した男に空のジョッキを見せつけながら「ほら、やってみろ」と言われ、意を決してリンも片手でマグを掴む。
そして、唾を飲み込み、
「うぉおお!いい飲みっぷりじゃあねぇか!」
「悩み事は酒で飲み下すのが一番だからなあ!」
漁師の男がしていたように、リンもごきゅごきゅとホットワインを一気に飲み干した。
熱い液体が喉を通る感触に、『もしかして、ホットワインは一気飲みするもんじゃないのでは』と思った頃にはもう遅く、マグの中身は空になっている。
しかし、そうやって体に一気にアルコールを入れたからか、それとも暖かい飲み物を飲んだことで体が温まったからか、先程まで感じていた恐ろしさは薄れていた。
「それでぇ、みんな、おれのこと、いつでも、こうてーしてくれうんですけどぉ。それがもうこわくて、おれそんないいやつじゃないのにぃ!」
「がはは、いいじゃねぇか。お前のことそんだけ信頼してるってことだろ?」
ホットワインを一気飲みした後も、リンは次々に寄越される酒を飲み干し、ついには立派な酔っぱらいへと変貌していた。
べろんべろんになりながらも、酒場に集まっている人生の先輩達へと愚痴を溢す。
愚痴と言っても、周りで聞いているものからすれば仲間自慢にしか聞こえない内容ばかり。
だが、誰しもがリンのことを勇者であると知っているため、まだ成人したばかりでこんな重圧に耐えながら過ごしているリンに、哀れみの目を向けていた。
リンは、自身の愚痴に返された言葉に「でも、でもぉ」とうじうじしているが、仕方のないやつだとでも言いたげな視線を向け、漁師の男は更に言葉を重ねる。
「仲間に信頼されているのなら、その信頼に答えられるように自分を律し続けるしかねぇさ」
カラカラと音を立てて揺れるウィスキーの入ったグラスを傾けるその男に、酔い酔いな視線を向けつつもリンは口を開く。
「それでも、あんなにこうていされると、こわいです。おれがただしいっていわれると、まちがえられないきがして。
ただしくあろうとしなくていいって、さっきいわれたばっかではあるんですけどね!」
「なら、尚更正しくなくていいだろ。肯定してもらえるってのはいいぞ。おれみてぇに嫁に否定されて尻に敷かれまくるよりはな」
その言葉に、周囲の男達もゲラゲラと下品な笑い声を上げた。
「お前の場合は、お前が悪いんだろうがよ」だの「てめぇはまずは信頼されるのが先だバカ」だのと、やいのやいの言う外野の雰囲気に、リンは微睡んでいく。
そんな微睡み始めたリンに、そっとチェイサー代わりの水を渡し、漁師の男はグラスを傾けた。
「シー坊はよ、自己犠牲の気が強いんだ。自分には物を固める力があるからって、怪我の治りが早いからって、自分から進んで怪我しに行っちまうんだ。自分以外の誰かが傷つかなきゃそれで良いってな」
「しーた……たしかに、そーいうところ。あったなぁ」
「だからよ。お前さんが守っちゃくれねぇか。お前が肯定されて、信頼されてツレぇって言うならよ、シー坊を守ってその思いを返してやってくれ」
瞼を落としていくリンに聞こえているのか聞こえていないのか。
そんな事は気にせずに、独り言のように漁師の男は願いを零していた。
「あ、たま痛い...…」
海の音と窓から差し込む厳しい日差しを受けて、頭痛を携えながらリンは目を覚ました。
頭痛で揺れる頭を抱え、昨日の内に言われていた通りに階下へと降りたのだが、そこで待ち受けていたのは。
「アサガエリとはいい度胸だな。リン!見損なったぜ!」
何やら嬉しそうな顔をしてリンを指さしているチカと、気まずそうな顔をしているシータ。
そして先に朝食を食べているエルの姿だった。
チカの朝帰り、という言葉に思わず硬直してしまうリンだが、昨日何が会ったのか思い出し、すぐさま顔を真赤に染める。
「ち、ちが。別に朝帰りとかそんなんじゃないんだ!本当に何もなくて、」
「でも昨日、夜遅くにセイジョ様と一緒に帰ってきたじゃねェか!」
「エルさんと一緒、に?」
思わずもう一度記憶を洗い直す。
昨日はあのまま逃げて、そして酒場に連れ込まれて、それで。
それで?
その後の記憶がない。
今ある頭痛もアルコールによるものなのでは、と今更ながら思う。
というか、自分はあの後にエルを一人にして逃げ出したという事実を思い出して、顔が真っ青になっていく。
それに、エルと一緒に帰ってきた?
さすがにそういうのはマズいのでは?
などと思考が空回りし始めた時だった。
「村の漁師さんに抱えられているリンさんを見つけて、一緒に連れ帰っていただいただけですよ。ですので、二人きりというわけではありません」
「エー?もっとリンをからかおうと思ったのに...…」
「リン様をからかうんじゃない!バカ狸!」
「最初二人見た時、めっちゃびっくりしてたのはオマエじゃん」
二人きりではなかったという事実に思わず胸を撫で下ろしたが、それと同時に部屋を借りている立場だというのにそんな深夜に帰ってきてしまったのか、とまたもリンは絶望する。
迷惑をかけてしまった、と打ちひしがれるリンを慰めながら、チカとシータは朝食の準備をしてくれた。
ここまで甲斐甲斐しく世話をされると困ってしまう。
「ご両親にも迷惑をおかけした。あ、謝りに行かなきゃ……」
「あの二人のことは気にしなくても問題ありません。逆に微笑ましそうでしたし」
「そういうものじゃないんだよ。迷惑をかけたんだから謝らなきゃ俺の気が済まないんだ」
謝らなくていい、などと言われてもそれはそれで困る。
必ず謝らなきゃ、と思いつつも準備して貰った朝食を頬張った。
初めて食べる生の魚に若干驚きつつだが、美味しいと食べる手が止まらない。
「準備してくれてありがとう。なんも手伝えなくてごめんな」
「いっつもガンバッてんだろ?そんなことであやまんな!」
「そうです!オレからすればそうやって美味しく食べて頂けるたけで幸せなのですから!」
そう言いながら笑っている二人に、リンも釣られて笑みを零した。
◇◆◇
「えるさん、えるさーん...…」
「はいはい。私はここに居りますよ」
「えるさん……すきです」
「えぇ、えぇ。知っておりますよ」
「お前さんら、びっくりするぐらいラブラブだな……」
漁師の男に背負われたリンと、その漁師の隣を歩くエル。
酔っ払いも酔っ払いなリンは、漁師の男が数歩進むごとにエルに話しかけ、好きだ、好きなんだと言い続けていた。
聞いている側がブラックコーヒーを飲みたくなるほどの甘さを含んだ二人の会話。
あまりの甘さに漁師の男は空気になるしかなく、何も言わず、エルに先導されるがままに進んでいく。
「えるさん、」
「はい」
「おれを、みすてないでください。これからもがんばるので、ずっといっしょに、いてください」
リンの涙声で放たれた言葉を聞いて、エルは少し足を止めた。
リンの言葉に照れたように、美しいブロンドの長髪で真っ赤な顔を隠してリン達から目を逸らす。
そして何かを考えるように頭を揺らし、考えが纏ったのかリン達の方へと振り返って微笑んだ。
「えぇ、一緒に居てあげますよ」
その言葉を聞いて安心したかのように微笑み返したリンは、そのまま漁師の男の背で瞼を閉じた。
「……おれ、なんでこんな甘ったるい惚気話を聞かなきゃいけねぇんだ?」
一番近い所でこの二人の話を聞いていた漁師の男は、二人の雰囲気のあまりの甘さに吐きそうになっていた。
◇◆◇
その日、太陽が真上に登った頃。
その女は自分の始まりの日を思い出していた。
祈っても何も得られなかった日を。
神に救われたあの日を。
そして自身の信仰が生まれ、自身の進む先を知った日を。
きっと私の人生は◾︎◾︎を倒すためにあるのだと、幼い子どもが理解してしまった日の記憶だ。
願う願う願う。ただただ皆がしあわせであるよう願う。
恨む恨む恨む。賜った役目を果たせぬ己をただただ恨む。
祈る祈る祈る。あいつらが滅ぶようにとただ一心に祈る。
襤褸布を頭からすっぽりと纏い、擦り傷や打撲痕で痛々しい見た目をした少女は、とある路地裏で月の光の下、祈りを捧げていた。
その見た目は薄汚れて《小汚い》という言葉が似合う様であるというのに、ただ一心に祈る姿は神々しくまるで聖女のよう。
月明かりで金色に光る髪は、建物の隙間から入る冷たい風でふわふわと揺れていて、少女の儚さを表していた。
しかし、真冬の厳しい寒さの中で震えながら祈り続ける彼女に、手を差し伸べるものは誰もいない。
そうやって祈り続けて何時間経っただろうか。寒さにより真っ赤になり震えてろくに動かすこともできなくなった手を、少女は擦り合わせる。
さむい、いたい。
息を吸うだけでも肺が裂けるような痛みと血の味が広がり、あまりの寒さに地面の方が暖かく、出来うる限り暖を取ろうと少女は這いつくばる。
もはや救いなど求めるだけ無駄だと、心の何処かで囁く声が聞こえていた。
少女が全てを諦めて、もう足掻くことすら止めようとしたその時。
ふと、凍えた身体に暖かい日差しが差し込んだ。
どれだけの間、外に居たのかなど少女は覚えてすらいない。
だが、死に体であったその身に、柔らかく暖かい日差しが照ったのは確かな救いであった。
そう、その暖かな日差しの正体は太陽の光。
起きてきた太陽が少女の体を優しく照らしだしたのだ。
無意識のうちに少女は温もりを求め、太陽に手を伸ばす。
その手は遥か遠くに存在する太陽に届くことはなかったが、代わりに一人の男がその伸ばされた手を握りしめた。
「……どうしたのだ。こんな寒い日に一人で」
少女のぼやけた視界が目の前に現れた男を捉える。
男の手は寒さで悴んだ少女の手には痛いほどに熱く、しかし少女の手を握りしめる優しい力は彼女にとってある種の救いでもあった。
「あ、ぅ、、ぇ、、」
寒さで喉はろくに動かず、「助けて」という声はその男に音という形では伝わらなかった。
しかし少女の救いを求める言葉は、音には為らずとも男に伝わっていた。
そうか、と男は一言呟くと少女を抱き上げる。
長時間、凍ってしまいそうな寒さを耐えていた少女はその男の体温の暖かさに微睡みを覚えつつ、意識を手放した。
男は冷え切った少女の体を抱き上げ歩いて行く。
ただ自分の思いのままに。




