9話「海は広いな大きいな」
「シータ、おかえりなさい」
「シー坊じゃねぇか」
「シータ兄ちゃんおかえり〜!」
「おやまあ、シータちゃんのお友達かい?可愛いねぇ…飴ちゃんをあげようねぇ」
リーバの屋敷から北西を目指して出発し、約四日。
ついに到着したリオス村は海辺にあり、村から少し外れれば大きな海が見える、そんな場所だった。
まずはシータの両親へ挨拶に、とリンが提案した為に村の中を歩いて進んでいくのだが、その行く先々でシータの帰還を喜ぶ声が聞こえる。
「おかえり」と呼びかけられる為に嬉しそうな顔で返事をするシータの後ろを、はぐれないように皆で着いて行くがチカやリンは初めて来る海辺の村というものに興味津々な顔をしていた。
一応はぐれはしていないが、道端の屋台にある商品や食事にキラキラと目を輝かせ、時たまに足を止めそうになっている。
それ故にエルが一番後ろで、道から反れそうになるチカとリンをどうにか集めながら、シータの家へと向かった。
「...…すぅー、ふぅ」
「キンチョーしてンのか?」
「まぁ、な」
シータの家だという建物の扉の前で、シータは緊張した顔つきで両手を難く握りしめ、深呼吸をしている。
チカの言葉に返した後も扉を開ける勇気はないのか何度も何度も深呼吸を繰り返す。
「すぅー、はぁぁぁぁ。すぅー、は「早く入れ!バカ!」ゥォあ!」
あまりにも繰り返される深呼吸に耐えきれなくなったチカが引き戸を開け、同時にシータの尻を蹴り上げた。
その勢いでシータは開けられた扉を越え、家の中へと足を踏み入れてしまう。
そしてパタパタと廊下を走る音がしたかと思うと、ゴトリ、ベチャ、っと何か濡れた物が地面へと落ちた音が空間へ鈍く響いた。
一歩踏み出したシータの背中の先には、
「……しーた?シータなの?!」
「か、あさん」
涙を堪え、信じられないものを見たとでも言いたげな表情の優しそうな女性が、魚や籠を地面に落として立っていた。
「シータ!シータァァ……!おかえり、おかえりぃぃ」
「ッ。ただいま、母さん!」
シータとその母であろう女性が、お互いに涙を零し嬉しそうな顔をしながら抱き合う。
そんな二人を見て、チカが「アタシ、いい仕事しただろ?」とでも言いたげな視線をリンに向けてきた。
実際、いい仕事はしていると思う。
だって二人の嬉しそうな姿を見れたのだから。
そして母親の泣き声に釣られたのか、シータよりも上背のある男性が家の奥から駆け出してきたかと思うと、シータの顔を見てすぐに抱き合う二人を抱えるように抱きしめる。
「シータァァアアアア!よく帰ってきたなぁぁあああああ!」
「父さん!耳が!痛い!」
「あらもう、貴方ったら」
「うぉぉおおおお!今日はパーティーだぁぁアアアア!」
凄まじい声量の父親が、シータに文句を言われてもなお抱きしめ続けていた。
シータの両親は普通の人間の姿で、モドキではないように見えたが、それでも仲がよさそうに見える。
ぎゅうぎゅうと押しくら饅頭のようにして抱き合い、喜び合うその家族の姿はリンにとっての理想の家族であった。
そのことに、リンは嬉しさと共に少し胸が痛む。
しかし、何故痛むのか分からぬその胸にリンは首を傾げながら、シータの両親へと挨拶をするために一歩を踏み出した。
「ごめんなさいね、皆さん。シータが帰ってきたのが嬉しくて、ついつい」
「都会に!住んでる皆さんには!口に合わないかも知れないが!ぜひ食べてくれ!この村の名産だ!」
「父さん!だから!うるさい!」
「なんだ?!聞こえんぞ!」
「だぁかぁら!」
声の圧で怒鳴り合いにしか聞こえない二人を横目に、差し出された名産品だと言う乾燥した小魚を頂く。
「ウマイなこれ」
「これ油断すると歯茎に刺さるんですが、俺の食べ方が下手なんですかね」
「恐らく?私は全くそんな風にはなりませんから」
噛めば噛むほど独特の旨味が溢れ出してくる小魚と、これまた独特な風味のお茶を飲み食いしていると、シータと父親の会話が終わったようだった。
終わった、というよりもシータが折れただけのようだが、シータが少し嬉しそうな表情なのは見逃さない。
きっと、普段から父親とこんな風に交流しているんだろうなと感じさせるその顔に、思わずリンは頬を緩ませた。
気を取り直したシータが、「コホンッ」と一つ咳をして話し出す。
「こちらが、リン様。こちらの方が名高き聖女、エル様。そしてこいつがチカだ。」
「は、始めまして。え、えと、リンと申します。いつもシータにはとても助けられていて、もう本当によく出来た息子さんで、それでその。
えっと、シ、シータを生んで育ててくださってありがとうございます?」
「リンさん、緊張からか空回ってますよ。ほら見てください、ご両親のこの表情」
「スゴイなリン。そこまでイッキに言えるとは思わなかったぜ」
エルに言われて見たご両親の顔は、どこか戸惑ったような顔をしていた。
久しぶりのエルの辛辣発言と、チカのフォローのようでフォローではない言葉にリンは顔面蒼白になって平謝りする。
自分でも変なことを言い出してしまった自覚はあったが、回りだした口はそうそう止められるものではなかったのだ。
「す、すみません。本当に、その、シータには助けられてて、シータが居なかったら、というか誰が居なくてもなんですけど、きっと心が折れてたと言いますか。
いつも俺を信じてくれるシータのお陰で、俺も自信を持ってここまで旅を続けられたんです。だから、ありがとう、ございます」
絞り出した声は震えを交えており、リンが涙を堪えているのがよく分かる。
そのリンの言葉に、シータも涙を堪えているだが問題はシータではなく、そのシータの横でしとどに涙を零しておんおんと泣いている母親であった。
思わず涙も引っ込み、母親の方を気まずそうに見てしまうリン達だが、変わらず母親は声を上げて泣き続ける。
甲斐甲斐しく父親がその涙を拭き、呼吸が落ち着いてきた頃になって母親が口を開いた。
「偉大なる勇者様からそのようなお言葉を頂戴し、感激の極みです」
「いや!俺はそんな偉大なものじゃないので!」
「いえ!リン様は本当に偉大な方です。自分を卑下なさらないでください!」
「そうだぞ!青年!自信を持て!」
「青年などと呼ぶな!父さん!あと!声がでかい!」
「ちょっとさすがに耳痛てェんだけど...…」
「あはは。《星の奇跡》で治療できるものだといいんですがね」
そうやって、またもシータが父親と言い合いを始めたが、そっちのけで母親は平伏するようにしてリンの横へと移動する。
その姿にリンが「そ、そんな、立ってください!」と声をかけ、立ち上がらせようと手で支えたが、その手は取られることなく母親は言葉を紡ぐ。
「この子はモドキではありますが、今まで村の戦士や外からいらっしゃった武人の方々に師事しておりましたので、強さだけは保証いたします。
必ず皆様の御役に立つことも。ですので、まだまだ未熟者の息子ですがどうぞ、これからもよろしくお願いいたします」
母親の言葉遣いの端々から気品の良さを感じていたが、きっと本当に良い所の出なのだろうと直感した。
それと同時に、仲間の母親にこんな風に地にひれ伏させていることに対する気まずさも、だ。
リンが驚きで返答をしあぐねていると、シータと話していた父親も同じ様に地に伏す。
「オレからも!頼もう!うちの息子は!昔から気立ての良い子だった!
たまに来ていた手紙にも!君達との旅の話が!とても楽しそうに綴られていた!
だからこそ!どうかこれからも!旅に同行させてやってくれ!」
シータの両親の言葉に一瞬気圧されたが、唾を飲み込んですぐに返事を返す。
「も、勿論!勿論ですから、どうか顔を上げてください!本当に、お願いですから!」
元よりシータと別れる気など毛頭なく、言われるまでもなくこれからも一緒に来てもらいたいと思っていたのだ。
というより、お願いするのはこちらの方であるし、こんな風に平伏されるほどの偉大さなど自身は持っていないと、リンは思っている。
そういう思いから両手を右往左往させていたが、シータの両親は地から膝を離し、そしてリン達四人に笑いかけた。
「皆さん、ぜひ我が家に泊まっていってくださいな。シータと話したいこともありますし、皆さんのお話も聞かせて頂きたいのです」
「まあ!良いのですか?事情がありまして、一日程しか滞在できないので、あまりお話できないかもしれないのですが...…」
「えぇ、えぇ。勿論!我儘を言うならばもっと泊まっていって頂きたいのですが。それはまた今度、ですね」
いつの間にかエルと母親の間で話が纏まる。
楽しそうに話す二人を横目に、話に混じれないリンとチカは、父親から更に差し出された魚の乾物を頬張った。
◇◆◇
夜も更けた頃。
リンは一人で海辺を歩いていた。
始めて来る砂浜、初めて触る海水、初めて嗅ぐ湖風の香り。
初めてばかりの物に普段であれば昂ぶっていたであろう胸は海の波のように静まっており、裸足で砂と海水を感じながらも、ただ歩いている。
シータの両親と同じ空間にいる間、シータとその両親が話している間、リンの胸は原因不明の痛みに苛まれていた。
そこまで酷いわけではないが、少し気にかかるその痛みに悩み、こんな肌寒い海辺を歩いていたのだ。
何を思うでもなく、ただ、何故痛いのだろう?と今日の食べた物やした行動を振り返ってみるのだが、特に思い当たる節はない。
いや、まさか、小魚が?
そんなわけはないか。
なんて心の中で乾いた笑い声を上げる。
痛みが気がかりでシータの両親との会話すら気もそぞろといった様子であったのを思い出し、「さすがにエルさんに相談するか」と思い踵を返そうとした時だった。
「あら?リンさんもお散歩ですか?」
「エル、さん...…?」
肌寒い海辺を対策してか、暖かそうな上着を羽織ったエルが砂浜の外で佇んでいた。
リンの存在を知覚した瞬間、砂が靴に入ることも気にせずに、リンの方向へとエルは駆け出す。
砂に足を取られながらも駆け寄ったエルは、砂の感触に目を白黒させながらも喉を震わせる。
「こんな夜中に散歩だなんて、海辺はまだ寒いですから風邪を引いてしまいますよ?」
「それはエルさんもですよ。つい最近も風邪を引いてらっしゃったでしょう?」
「私は...…貴方を探しに来たんですよ」
「俺を、ですか?」
リンは小首を傾げた。
今日は剣だって持ち歩いているし、もし魔物に襲われたとしても打ち倒せるだけの実力を持ち合わせている。
だから、エルがわざわざ探しに来た理由が分からなかった。
そんなリンの考えを読み取ったのか、エルは呆れた顔をする。
「例えリンさんが強くなったといっても、まだまだ弱いんですからね。慢心してはいけませんよ」
「まだまだクソザコ…ですか?」
「はい!」
いつの日か言われた言葉を思い出し、まさかと思って聞いたがまだまだクソザコらしい。
それはもう元気よく返された答えにリンは肩を落とすが、その様子にエルはくすくすと笑みを零した。
「それで、一体どうなさったのですか?何か思い悩んでいる様子ですが...…」
「えっと、」
思わず言葉を詰まらせる。
上手く説明できる気がしないあの痛みを、どう言い表わせばいいのかとリンは頭を悩ませた。
中々言い出せないリンを、エルは海辺で砂をいじりながら待ってくれる。
どう言えばいいのだろうと悩んで、悩んで。
上手いこと頭の中で話が纏まった頃、隣でしゃがみこんで砂をいじっていたエルの前には、こんもりとした山が出来上がっていた。
一瞬、こんな短時間でこんな山が作れるのか?と混乱してしまったが、気を取り直して話し始める。
「この村に来て、シータがご両親と再会出来て嬉しいんです。本当に。でも、見てるとなんでか胸が痛くて。か、家族を、幸せそうな彼らを見ると、く、苦しくて......。いいことなのに、なんでか、いたくて」
途中から引き攣れたような掠れた声になりつつも、リンは頭の中で纏った理由を喉から絞り出す。
一言話すごとに原因不明だと思っていた痛みに、原因ができていく。
一言話すごとにどうして痛いのか、その理由が分かってしまっていく。
家族というものを、仲間の大切な愛する存在を羨ましい、恨めしいと思っている事実に、リンはめまいがした。
自分が卑しい存在だと思ってしまう。
自分はこんなにも醜悪で愚かな存在だったか、と言葉にした側から吐き気がした。
気持ち悪い。
痛みだけではなく、吐き気すらもリンの体を蝕む。
どうしたらいいのだろう、と苦しむリンを横目に、砂が爪の間に入ったのか気にして触っているエルが、リンの言葉に不思議そうな顔をして口を開いた。
「それはつまり、シータさんが羨ましいということですか?」
ド直球な問いに、リンは思わず固まった。
結論、そういうことなのだが面と向かって言われると尚更苦しい。
「そう、いうことですね」と気まずさと苦しさを混ぜ込みながら答えたリンに、これまた心底不思議そうな顔をしてエルは言葉を続ける。
「それの何が悪いんでしょう?別に人を羨ましく思うことなんて普通ではないですか?」
「いや、だって仲間ですよ?!」
「でも仲間に対して羨ましいと思うことはあり得るでしょう?例えば、私はこんなにも美しいのですから!逆に私に対して羨ましいと思ったことのない存在なんているわけがありませんし?
リンさん。貴方だってそうでしょう?」
自信満々にそう告げたエルに、思わずリンは「この人は何を言っているんだろう」と思ってしまった。
たしかに、初めて会った日にエルのことを羨ましいと思ったのは事実だ。
人柄も良く、容姿も良い、そして何よりどんな人にも愛される素晴らしい存在だと思っていたため、それはもう羨ましく思っていはいたのだ。
今では、そんなエルにもモドキであるという同じ部分や、意外と辛辣な部分があるといった逆に愛嬌でもあるが、そんな所があるのだと知ってしまった。
そして、何故かは分からぬが魔族に狙われているという不幸も。
それは置いておいても、エルが人に羨ましいと思われる存在なのは否定しない。
否定はしないが、ここまで自信満々に言うことはあるだろうか。
いや、普通であればない。
普通ならばありえないのだが、言葉を失ったリンを無視してエルは更に続ける。
「私は美しい。類まれなる美貌を持ち合わせているという自覚があります。ですから、人にどんなに羨ましく思われても気にしません。事実ですもの。
それと同時に、シータさんが恵まれているというのも分かっています。モドキであるのに家族に愛され、村の人々に愛され、健やかに育ってきた彼はとても恵まれている存在です。
幼い頃から孤児院で過ごし、人に疎まれてきた貴方からすれば羨望の眼差しを向けてしまうのも無理はないでしょう。というか、普段から街々で見かける家族に対して羨ましそうな顔してましたし」
「え…?!」
衝撃的な発言が飛び出したが、驚愕の声を上げるリンをこれまた無視してエルは続ける。
「羨ましいから傷付ける。羨ましいから足を引っ張る。そういった事をするのであれば糾弾されても仕方ないですが、貴方はそういう人ではないでしょう?」
リンへ期待のようなものがこもった言葉を言い放ったエルに、リンはどうにか反論する。
「も、もしかしたら危害を加えるかもしれませんよ?!そんな事をしたらどうするんですか」
「危害の加え方が思い浮かびますか?思い浮かんでも傷つけたくないという思いが先行しているでしょう。貴方はそういう人ですから」
たしかにそうだ。
怪我をさせるというのが一番に思いついたが、そんな事をしたくはないという思いがすぐに湧き上がった。
でも、とリンは続ける。
「俺は貴方が、皆が言うほど綺麗な人間じゃないんです。俺は、自分のことだけで精一杯で、それで」
「そんなの皆同じでしょう。その中で少し余裕のある者が周りに気を配るのです。私もそんな者の一人ですし」
「でも、俺は貴方に選んで貰ったんです。だから、正しい人じゃなきゃ「そんなことありません」...…え」
リンの言葉を遮ったエルが、海水で濡れた手でそっとリンの震える手を握りしめる。
その手の冷たさに、悲しそうに顔を歪めるエルの顔に、リンは困惑を隠せない。
「そんなことありません」
ぎゅっと手を握りしめ、エルは言う。
「正しくなければいけないだなんて、そんなことありません。完全な正しさを持つ者など神以外にはいないのです。
人は間違いながら進むものなのですよ。だからこそ、正しい人でありたいと思うのは勝手ですが、正しい人でなければいけないだなんて、思い込まなくて良いのです」
「そんな、でも」
「でももだってもありません。神の信徒であり、聖女である私が言うのですから、これこそが真実です」
エルの異を唱えさせない物言いに、尚も反論しようとするリンの唇を柔らかなものが塞いだ。
突如として塞がれた口に、その感触にリンは混乱する。
何が起こった。何が起こっている。
ただ目の前にあるのはエルの美しい顔のみ。
あまりの至近距離に、閉じられた瞳の瞼を彩るまつげの数すら数えられそうだ。
そこまで考えて、リンはやっと自分がキスをされているのだと気づいた。
頭が沸騰しそうになった時になってようやく、エルは唇を離し、艶やかに舌なめずりをする。
普段のエルからは想像もできない行動に、驚愕などの様々な感情を混ぜて顔を真っ赤にし、混乱しているリン。
そんな様子のリンへとふわりと笑いかけたエルは、ずっと握りしめたままでいたその手を顔元まで持ってきて、もう片方の手で薬指を撫でつける。
「きっと、胸が痛むのは家族を知らぬからでしょう。羨ましいと思うのは家族が欲しいからでしょう」
一拍置いてエルが微笑む。
「ねえ、リンさん。私と、」
その先の言葉を聞きたくないと思ったのは何故だろうか。
その先の言葉に期待したのは本能だろうか。
目を白黒させているリンを見つめ、エルはその先の言葉を紡いだ。
「私と家族になりませんか」
その言葉は、ある種の呪いにも近かった。
太陽の英雄エレミヤの子育て話を書いています。
その内、スピンオフで出したいのですが、ネタバレしかないのでとても先になりそうです。




